今回は近鉄名古屋線の歴史です。
名古屋線は近鉄のメイン路線の中では長い路線で、大阪線に次いで2位。
営業距離が78.8kmで、駅数は44駅です。
そんな名古屋線、どうやって完成したのか歴史を適当に振り返ってみました。
近鉄名古屋線の最初は地方路線から始まった
近鉄名古屋線の元祖は伊勢電気鉄道です。
通称、伊勢電はこんな計画を立てました。
これが近鉄名古屋線の始まりです。
国鉄が持ってた関西本線と紀勢本線が元凶
近鉄名古屋線の始まりは1915年9月10日です。
今の駅名でいうと白子~高田本山が開業しました。
この時、今のJR東海でいうと関西本線は全通。紀勢本線も繋がっていて、津と四日市は一応繋がってました。
ですが、亀山経由なので遅いし遠回りです。
そこで立ち上がったのが伊勢電気鉄道でした。
三重県の県庁所在地と、第2の大都市である四日市を繋ぐ路線を作って、儲けようと考えました。
それが近鉄名古屋線の始まりです。
順調にコツコツと延伸し、現在の津駅の近くから四日市までが1922年3月1日に開業しました。
伊勢電は津駅ではなく、その近くの部田(へた)駅に駅を置いてました。
伊勢電のこの辺りの路線は廃線となって、一部は「近鉄道路」として残っています。
現存している部分は江戸橋~桑名駅です。
桑名への延伸は、もう少し先の話。
伊勢電の社長に、東海の飛び将軍が就任する
四日市と津を繋げた伊勢電は1925年、新社長に熊澤一衛を選びました。
熊澤は1912年に四日市製紙の取締役に就任し、才能を発揮。
その後さまざまな事業に関わって、さまざまな会社を発展させてきました。
その能力を買われて伊勢電の社長となり、伊勢電が爆発的に成長し始めます。
- 路線の電化
- 桑名への延伸
- 外宮への延伸
- 養老鉄道の合併
これらを計画し、次々と実現していきました。
1929年1月30日に四日市~桑名が開業。
さて、桑名まで延伸した伊勢電でしたが、この時大軌は着々と大阪と伊勢を繋ぐ鉄道計画を進めていました。
詳しい近鉄の路線網の歴史はこちら→近鉄はどうやってできた?歴史をイチからたどってみた(前編)
伊勢電と参宮急行のバトルが始まる
伊勢電が桑名まで延伸した翌年、参宮急行は大阪から伊勢へのルートを確保しました。
同時期に伊勢電は外宮近くの大神宮前まで延伸しました。
と伊勢電はケンカを買いましたが、これが伊勢電・熊澤の失敗でした。
参宮急行が作った伊勢中川~江戸橋
会社を一旦変え、参宮急行の話です。
参宮急行は伊勢への路線と一緒に、三重県を北上する路線も作り始めます。
将来的には名阪を繋げるつもりだったのです。
とりあえずは津まで延伸。
1932年4月3日には伊勢中川~津までが完成しました。
津駅からは伊勢電に乗り換えて四日市、桑名まで行く事はできます。
この段階ではまだ、参宮急行と伊勢電は繋がってません。
伊勢電が桑名~名古屋の延伸を計画する
もちろん黙って指をくわえてない伊勢電・熊澤です。
名古屋からのお客さんを獲得するために、桑名から名古屋への延伸を計画します。
ですが、そのルートの最難関ポイントが木曽三川です。
- 大げさに言うと約4㎞の川越え
- 地盤が緩い
と、かなり難易度の高い川渡りです。
そこで考えたのが、国鉄が捨てる予定だった橋を譲り受けること。
あとで改良を加えるつもりだったんでしょう。
そうして伊勢電は最大のハードルを乗り越えました。
ですが、この国鉄とのやり取りが命取りでした・・・
永田町のゴタゴタに巻き込まれる伊勢電
永田町では色々と揉めてました。
政権交代みたいな事が起こり、新しくできた総理大臣やら大臣の新グループが、前のグループを叩くために色々とあら捜しを始めました。
その1つが、国交大臣と私鉄社長とのズブズブの関係。
それで私鉄の社長が次々と逮捕されました。伊勢電の熊澤、大軌の金森も捕まります。
ですが大軌の金森は無罪で終わり、伊勢電の熊澤は有罪判決を受けてしまいます。
カリスマ性が高く、経営能力も高い熊澤を失い、伊勢電は一気に勢いを失ってしまいました。
なんだか火事場泥棒のように参宮急行が伊勢電を合併しましたが、参宮急行は泥棒と違ってちゃんと意志は引き継ぎます。
ですが、参宮急行そのものに力は残ってないので、新会社を作りました。
それが関西急行電鉄です。
近鉄名古屋線、最後の仕上げ
参宮急行は子会社に「関西急行電鉄」を作り、桑名から先を延伸。
名古屋まで完成させました。
開業が1938年6月26日です。
こうして近鉄名古屋線が全線開業しました。
その後は戦時統合で会社名の変更やら合併があり、近鉄になりました。
近鉄による名古屋線の改造
アレコレあって近畿日本鉄道が設立。
ですが、まだ近鉄名古屋線は完成形ではありません。
この2つが名古屋線の課題でした。
まずは四日市付近の線路移設などの大規模工事が開始し、今のルートになりました。
これが1956年9月23日のこと。
そのルート変更に伴って新設されたのが、新正駅です。
と悩んでいた近鉄。
費用は一旦置いといて、完成には時間がかかってしまいます。
ウダウダと考えているうちに、四日市のルート変更から3年後、伊勢湾台風が名古屋線を直撃。
名古屋線は大ダメージを受けました。
ですが、まだ課題は1つ残ってました。
伊勢中川でのスイッチバックです。
線路幅が同じになったので、名古屋と大阪まで車両の乗り換えが必要なくなりましたが、スイッチバックも改善した方が良いだろう・・・
というわけで、1961年3月29日に伊勢中川短絡線が完成しました。
その他色々と細かい話はありますが、それは省略します。
まとめ年表
1915年9月10日 | 白子~高田本山が開業 |
1916年1月9日 | 白子~千代崎が開業 |
1917年1月1日 | 高田本山~江戸橋~部田(津)が開業 |
1917年12月22日 | 千代崎~楠が開業 |
1919年10月25日 | 楠~海山道が開業 |
1922年3月1日 | 海山道~四日市が開業(JR四日市駅の近く) |
1925年 | 新社長に熊澤が就任する |
1929年1月30日 | 四日市~桑名が開業 |
1936年9月15日 | 参宮急行が伊勢電を合併 |
1938年6月26日 | 桑名~名古屋が開業(関西急行電鉄) |
1941年3月15日 | 大軌が参宮急行を合併し、関西急行鉄道が設立 |
1944年6月1日 | 関西急行鉄道と南海が合併して、近畿日本鉄道が設立 |
1956年9月23日 | 四日市あたりの経路変更が完成 |
1959年9月26日 | 伊勢湾台風が直撃 |
1959年11月19日 | 復旧工事+標準軌化の工事が開始 |
1961年3月29日 | 伊勢中川短絡線が完成 |
こうして今の名古屋線ができました。
この後にも短絡線のカーブが緩やかになったり、といった歴史もありますが・・・この辺にしておきます。
近鉄名古屋線は運賃改定で困った?
次は近鉄名古屋線の最近の状況や、今後のことを好き勝手に言いたい放題言います。
桑名~名古屋間の競争はどうなる?
2023年春に近鉄は運賃が値上げになり、特にJR東海とライバル関係の名古屋線では、苦戦になるかと思われてました。
その区間が桑名~名古屋間です。
運賃の値上げで、こうなりました。
この運賃差はかなりデカいですね。
ですが、JR東海の利便性は全く上がっていないので、やはり近鉄利用者の方が多いみたい。
所要時間はそんなに違いがありませんが、近鉄の運行本数が圧倒的に多いのが要因ですね。
相変わらず三重県は近鉄王国
- 運行本数が多いので、利用しやすい
- 観光資源である地区に鉄道が通っている
- 特急も多く運行されていて、旅行にピッタリ
という理由で、結局は近鉄一択という状況です。
運賃面でも、名古屋から津・松阪・伊勢市・鳥羽は近鉄の方が安くなってます。
四日市に関してはJRと近鉄では場所が違うので、比較になりません。
津より南側に行く「快速みえ」などは単線区間もあるし、途中に第三セクターを挟むので、運賃が上乗せされてしまいます。
その影響で、結局は近鉄を選ぶ人が多いですね。
大阪線とちょっと似ている名古屋線
名古屋線は、大阪線のように都市部から地方へ向かって輸送密度を変化させる方式で運行してます。
名古屋発着の車両が1番多く、富吉までが最も電車の行き来が多い区間です。
他にも
富吉 | 高安 | |
---|---|---|
駅ナンバー | E9 | D13 |
キロ数 | 12.1 | 12.2 |
端の駅からの数、営業キロ数が非常に似ていますね。
しかも、どちらも検車区(車庫)です。
ちなみに規模は高安の方がデカい。
富吉検車区の所属は、富吉と米野だけなので、広い意味で見ても富吉は高安より小さいですね。
白塚は明星検車区で、塩浜は整備するための補完基地で、検車区・車庫とは違います。
もう1つ言うと、運行パターンも似ています。
名古屋→富吉・四日市・津新町・中川
逆は、名古屋行きですね。
ただし、四日市という大きな都市を抱えている三重県の事情もあって、四日市発着の普通もあるのは、大阪線と少し違います。
これで特に需要が多いであろう、名古屋に近い地域の輸送を支えてます。
ですので、そう簡単にJR東海にお客さんは奪われないでしょう。
さすがに東海が複線化すれば逆転しそうですが、東海がそこまで関西本線や参宮線に投資する気は無いと思います。
と思ってそう。
近鉄名古屋線の駅で紹介した駅
今までにこのブログでは名古屋線の駅をいくつか紹介しました。
それらを簡単かつ適当にまとめます。
近鉄長島
引用:Google Map
近鉄長島駅は、同名駅との距離が1番近い駅で、93mほどです。
逆に最も離れているのは八尾。
こんなにも距離が短い理由は、名古屋線の歴史にあります。
というわけで、特に桑名~弥富間はJR東海・関西本線との距離が近いです。
ちなみに弥富は162mほど離れてます。
桑名
引用:Google Map
特急停車駅ですが、2面3線と中途半端な駅構造です。
なぜ、片側にしか待避線が無いのか。
その理由は、スペース不足だと考えられます。
既にJR東海と養老鉄道養老線と北勢鉄道(三岐鉄道)があって、最後に伊勢電が乗り込みました。
このため使える土地が足りなかったようです。
桑名駅の足りない分は、隣の益生駅がサポートしてます。
川越富洲原
引用:Google Map
あれは現在、保線基地として使用中。
元々何があったのかというと、富洲原駅です。
川越駅も別の場所にあり、1945年に富洲原駅と川越駅が統合して富洲原駅に。
戦争中の節約モードに巻き込まれたようです。
その後にアレコレあって、川越富洲原駅に。
新正
引用:Google Map
新正駅は近鉄名古屋線では2番目に新しい駅です。
1番目は南が丘駅。
この新正駅は、四日市駅の移設・線形の改善後に作られた駅です。
四日市市はご存知の通り、三重県イチ発展している市なので、駅をポコポコ置いても収益が増えるエリア。
駅の位置は少し頭を悩ませたようで、幹線道路の上なんていう中途半端な位置になってしまいました。
多分ですが、勾配や土地の都合でしょう。
詳しい考察は個別記事で・・・
江戸橋
引用:Google Map/ゆっくり考えるさん
今は、ただの2面4線駅に見えるでしょうが、過去は伊勢電と参宮急行が接続していた駅でした。
そして、江戸橋から南は伊勢電が別のルートで外宮まで繋がってました。
駅近くにある「江戸橋」は、いつからあったかどうか分からないそうです。
>>近鉄名古屋線の影の重要駅「江戸橋駅」の歴史を振り返ってみた
津新町
名古屋線の普通電車の一部が、この津新町行きです。
なぜこんな津新町といった中途半端な所なのか。
その理由は5つあると考えました。
こういう理由で津新町に折り返し設備を作り、普通電車の行き先になったんでしょう。
久居
引用:Google Map
久居駅は特急停車駅です。とはいえ、ほんの一部の列車です。
なぜ特急が停まるようになったのか、その理由は4つ。
- 久居が町→市に昇格
- 近鉄に「特急を停めて」と要望
- 津と中川の間なので、停車を限定的に
- 普通が来ない分の代わり
久居は大きな町で、単独で久居市でした。ですが、のちに津市と合併。
ですので津市の中で特急停車駅が2つあるのです。
通勤需要の行き先に四日市や愛知という統計があるので、通勤時間帯に停まるよう設定されてます。
伊勢中川
伊勢中川は・・・まぁお察しの通りです。
近鉄の超重要駅ではあるものの、周りは閑静な住宅地。
この駅で降りるのは鉄道ファンか、住民だと思ってます。
駅構造も微妙に不便という、ツッコミどころが無駄にある駅です。
まとめ:近鉄名古屋線は近鉄でも珍しい3社が関わった路線だった
名古屋線は最初、津と四日市を繋ぐだけの地方ローカル線のつもりで始まりました。
ですが、新社長の熊澤によって大きく成長し、大軌と張り合うまでに。
名古屋への延伸を計画するも、資金難と社長を失うという壁にぶち当たり、参宮急行に飲み込まれてしまいました。
桑名~名古屋を完成させ、大規模な工事を重ね、今に至るわけです。
近鉄の路線一覧 | ||
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生駒鋼索線 | 西信貴鋼索線 |
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