前回は路線ごとに開業年月日をチェックしました。
これだけじゃ何がなんだかイメージできないと思うので、近鉄の路線図を使って色を塗りながら、どう変化してきたか見てみましょう。
近鉄は、こうやって完成した(前編)
引用:近畿日本鉄道・路線図
これは現在の路線図です。
白黒にして、近鉄(大軌や参宮急行)になったら赤で。
その時にある路線で、他社線は黄緑
変化する部分は、色を付けています。
1898年~1902年
1898年3月24日 | 柏原~道明寺~古市が開業(河陽鉄道) |
1898年4月14日 | 古市~富田林が開業 |
1899年5月11日 | 河陽鉄道→河南鉄道になる |
1902年3月25日 | 富田林~滝谷不動が開業 |
1902年12月12日 | 滝谷不動~河内長野が開業 |
近鉄の路線で1番古いのが、柏原~古市の部分です。
それからすぐに富田林まで開業し、河内長野まで延伸します。
南大阪線が古市あたりでグネグネ曲がっている理由がコレ。本線は柏原~河内長野だったんです。
関連記事:近鉄で1番古い!近鉄道明寺線の歴史と現在【元は本線だった】
1912年~1913年
1912年8月14日 | 日永~伊勢八王子が開業 |
1912年10月6日 | 南浜田~日永が開業 |
1912年10月25日 | 吉野口~六田が開業 |
1913年5月16日 | 諏訪前~南浜田が開業 |
1913年6月1日 | 湯の山~伊勢川島が開業 |
1913年7月31日 | 養老~大垣~池野が開業 |
1913年9月24日 | 諏訪~伊勢川島が開業 |
柏原~長野まで開通から10年後。まだ近鉄の面影はありません。
吉野線の一部が開業し、今のあすなろう鉄道や養老鉄道、湯の山線が開業します。
吉野線と養老鉄道は狭軌で。あすなろう鉄道と湯の山線は、ナローゲージです。
吉野鉄道は木材貨物輸送のことや国鉄との乗り入れを考慮して、狭軌を選択しました。
あすなろう鉄道と湯の山線は、軽便鉄道法っていう別の法律を利用したローカル線でスタートしたのが要因です。
1914年~1915年
1914年4月5日 | 西桑名~楚原が開業 |
1914年4月30日 | 上本町~奈良が開業 |
1915年2月7日 | 新法隆寺~天理が開業 |
1915年8月5日 | 桑名京橋~西桑名が開業 |
1915年9月10日 | 白子~高田本山が開業 |
1915年12月25日 | 四日市市~諏訪前が開業 |
しかし奈良線の開業にはメチャクチャお金がかかってしまいます。
その翌年には、天理線が全線開通し、三重県では伊勢鉄が今の名古屋線を開業し始めます。
あすなろう鉄道は今のJR四日市駅まで延伸しました。
1916年~1917年
1916年1月9日 | 白子~千代崎が開業 |
1916年3月5日 | 諏訪~四日市が開業(湯の山線) |
1916年8月6日 | 楚原~六石が開業 |
1916年8月8日 | 上野駅連絡所~上野市が開業 |
1917年1月1日 | 高田本山~江戸橋~部田が開業 |
1917年12月22日 | 楠~千代崎が開業 |
名古屋線の延伸ラッシュです。
湯の山線を持っていた四日市鉄道も、起点駅を今のJR四日市駅にするため、そこまで延伸。
伊勢電は、津駅とは少し離れた「部田駅」まで開業します。
この時期に伊賀鉄道が開業。
1918年~1921年
1918年4月26日 | 新王寺~西田原本が開業 |
1918年8月29日 | 鳥居前~宝山寺が開業 |
1919年3月8日 | 河南鉄道→大阪鉄道になる |
1919年4月27日 | 桑名~養老・池野~揖斐が開業 |
1919年10月25日 | 海山道~楠が開業 |
1920年3月 | 上野町連絡所を廃止。伊賀上野駅に統合 |
1921年1月1日 | 天理軽便鉄道が大軌に買収される |
1921年4月1日 | 大和西大寺~近鉄郡山が開業 |
大和鉄道が今の田原本線を開業します。
そして大軌は宝山寺にお礼のケーブルカーを通しました。
借金をなんとかした大軌はここから無双を始めます。
養老鉄道は全線開業。伊勢電は、着々と延伸していきます。
大軌は大和西大寺から南下する路線を作ろうと計画し、その流れで天理軽便鉄道を吸収合併します。
そして郡山まで開業。橿原線をガンガン伸ばしていきます。
1922年
1922年1月10日 | 日永~小古曽が開業 |
1922年3月1日 | 海山道~四日市(JRの近く)開業 |
1922年4月1日 | 郡山~平端が開業、天理線と接続 |
1922年4月18日 | 道明寺~布忍が開業 |
1922年5月16日 | 王寺~信貴山下が開業 |
1922年6月13日 | 養老鉄道が揖斐川電気に合併される |
1922年6月21日 | 小古曽~内部が開業 |
1922年7月18日 | 上野市~西名張が開業 |
1922年9月3日 | 西田原本~味間が開業 |
あすなろう鉄道の内部線が完成しました。
伊勢電は、当初の計画だった四日市までの延伸を果たします。
大軌は橿原線を南伸。合併した天理線と接続。平端から法隆寺の路線は分離しました。
生駒線は順調に北伸
大和鉄道は桜井に向けて1歩前進。笠縫駅の東あたりまで伸びました。
桜井市は縄文時代や弥生時代の土器が、そこら辺の畑から出てくるほど、歴史が古いエリアです。
由緒ある寺社が多いこともあって、こぞって私鉄が目指した都市なのです。
1923年~1924年
1923年3月21日 | 平端~橿原神宮前が開業 |
1923年4月13日 | 布忍~大阪阿部野橋が開業 |
1923年5月2日 | 味間~桜井町が開業 |
1923年12月5日 | 橿原神宮前~吉野口が開業 |
1924年4月3日 | 部田~津新地が開業 |
1924年10月31日 | 布施~八尾が開業 |
1924年11月1日 | 橿原神宮前~畝傍が開業 |
今の路線とは違って、より神宮に近いところを通ってました。のちに今の橿原神宮前駅に統合します。
南大阪線は大阪阿部野橋まで延伸。単独で天王寺に行ける路線を手に入れます。
コレが今、近鉄で1番利用客数の多い駅となっているとは、この時だーれも分かるわけないでしょうね。
田原本線(大和鉄道)は、順調に桜井を目指してあと1歩という感じ。
伊勢電の本線は、部田から津新地まで伸びました。津新地駅は三重県津市愛宕町のあたりです。
赤ラインは伊勢電の本線で、今後伸びて行くところ。今は「近鉄道路」と言われてます。
奈良線→橿原線では橿原神宮は遠回りですからね。この時から、その先の桜井、そして伊勢平野への延伸を考えてたのではないかと思います。
そっから更にJRの畝傍駅まで伸びる鉄道を作り、桜井市へ木材を運んでました。
関連記事:映画のロケ地にもなった近鉄・橿原神宮前駅
1925年~1927年
1925年3月21日 | 大和高田~八木西口が開業 |
1925年9月30日 | 八尾~恩智が開業 |
1925年12月20日 | 伊勢若松~鈴鹿市が開業 |
1926年9月22日 | 伊勢電が桑名延伸の免許をゲット |
1926年10月21日 | 信貴山下~元山上口が開業 |
1926年12月28日 | 元山上口~生駒仮駅が開業 |
1927年4月1日 | 仮駅~生駒が開業 |
1927年7月1日 | 恩智~大和高田が開業 |
1927年11月29日 | 湯の山線が四日市~諏訪を廃止 |
大軌はまず八木から大阪方面と、八尾からの延伸から取り掛かります。
伊勢電は本線から鈴鹿へ延伸。海側を通してしまったので、今の鈴鹿市中心街とは外れてしまっているんですよね。
第2の町、白子は通したのですが神戸地区は支線で補いました。
生駒線は1926~1927年の間に完成。
今の湯の山線はJR四日市~諏訪の部分をやめて、仲間の伊勢電に土地をゆずります。桑名延伸のためです。
鉄道を作る免許は、仲間の揖斐電(養老鉄道)からもらってます。
1928年
1928年1月29日 | 四日市市~諏訪前が廃止 |
1928年3月25日 | 六田~吉野が開業 |
1928年5月1日 | 桜井町~桜井が開業 |
1928年11月3日 | 西大寺~桃山御陵前が開業 |
1928年11月15日 | 桃山御陵前~京都が開業 |
今の四日市あすなろう鉄道も、諏訪まで短縮します。
ですが、この時大軌は吉野線を持っていた吉野鉄道に圧力をかけてました。
1928年10月に大軌は橿原~吉野の鉄道免許を手に入れます。これは勝てないと思った吉野鉄道は、翌年に大軌の傘下に入ります。
田原本線(大和鉄道)は桜井に到達。こっから更に名張への延伸を目指し、宇治山田まで繋げるつもりだったそうです。
そう、この免許はのちに参宮急行へ渡ってしまいます。
まさにカネの暴力。大軌は大和鉄道の株を買い占めて、言う事を聞かせました。
そして1928年の11月、大軌は京阪と共同で近鉄京都線を全線開業します。
1929年
1929年1月5日 | 大和八木~桜井が開業 |
1929年1月30日 | 四日市~桑名が開業 |
1929年3月27日 | 宝山寺~生駒山上が開業 |
1929年3月29日 | 古市~橿原神宮前が開業 |
1929年3月31日 | 大軌が伊賀電鉄を合併 |
1929年7月23日 | 鳥羽~賢島~真珠港が開業 |
1929年8月1日 | 大軌が吉野鉄道を合併 |
1929年10月1日 | 伊勢電が養老鉄道を合併 |
1929年10月27日 | 桜井~長谷寺が開業 |
大軌は八木西口から大和八木駅に大阪線のルート変更を行い、桜井まで延伸しました。
一方その頃・・・三重県では伊勢電が台風の目になっていて、まさに飛ぶ鳥を落とす勢い。
四日市から桑名まで延伸し、養老鉄道まで完全に自社の支配下に置きました。
大阪の南では、大阪鉄道が大軌に対抗して橿原神宮前まで開業します。
志摩エリアでは、ひっそりと鳥羽~賢島(今の志摩線)さらにもう少し先の真珠港駅まで開業しました。
大軌は調子が良く、あやめ池遊園地を数年前に作っていて、今度は生駒山上遊園地も開園。ケーブルカーを延伸しました。
そして大阪線は桜井から先、参宮急行が手掛けていきます・・・さぁ参宮急行が設立しました
続きはこちら→近鉄はどうやってできた?歴史をイチからたどってみた(後編)