近鉄はメチャクチャ多くの路線がありますが、色んな会社がバラバラに作って、あとで近鉄に合併されてます。
そこで今回は路線ごとに、いつできたのか見て行きます。
年表だけでなく、色々な事情もざっくり解説で添えますね。
路線の順番は、駅ナンバリング順で。Aの奈良線・難波線から始めます。
奈良線・難波線
近鉄の超ドル箱路線で、もっとも営業利益が出てるそうです。
近鉄奈良線
1914年4月30日に上本町~奈良が開業
ですが、生駒トンネルは古い方で、まだ奈良駅は地上駅で仮駅でした。
そして近鉄はココから始まりました。
それまでは国鉄が四条畷を経由する、片町線(学研都市線)と大和路線で大阪と奈良を繋げてましたが、大回りなんですよね。
そこに近鉄(当時は大阪電気軌道)がショートカットコースを作るぞ!と立ち上がりました。
当時の技術では大変な工事でしたが、大林組と宝山寺のおかげで奈良線が完成します。
近鉄難波線
難波線は上本町~難波の部分です。
1970年3月15日に難波~上本町が開業
実は最初から近鉄は難波まで延ばす予定だったんですけど
環状線はさておいて、大阪市の中心部は大阪市営地下鉄が牛耳ろうと動いてました。
ですが、私鉄の侵略を防ぐ事はできず、難波線の工事に取り掛かります。
この時近鉄は阪神と手を組んでいて、将来的に直通運転をしようと計画してました。
ですが、大阪市の圧力が強すぎてなかなか延伸できず、戦後まで引き延ばされてしまいます。
特に阪神側は地元住民との交渉が難航して、2009年3月20日にようやっと西九条~大阪難波まで阪神が繋がりました。
京都線・橿原線
この2つの路線も統一されてますが、もとは別の会社。
近鉄京都線
1928年11月3日 | 大和西大寺~桃山御陵前 |
1928年11月15日 | 桃山御陵前~京都 |
京都線も、ほぼ一気に全線開通しました。
この京都線は、奈良電気鉄道が作った会社で、京阪と近鉄が合同で作った会社です。
そもそも丹波橋駅で互いに乗り入れをするつもりで作りました。
ですが、京阪と電車スペックを上げるタイミングが合わなくて、協力関係を解消してしまいます。
その辺の詳しい話はこちら→近鉄丹波橋駅。主要駅なのに規模が小さい原因
1963年に奈良電気鉄道は近鉄と合併してしまいます。
近鉄橿原線
1921年4月1日 | 大和西大寺~近鉄郡山 |
1922年4月1日 | 近鉄郡山~平端 |
1923年3月21日 | 平端~橿原神宮前(旧線) |
1939年7月28日 | 八木西口~橿原神宮前(新線) |
1967年12月20日 | 新ノ口連絡線 |
奈良線の完成から7年後のことですね。奈良盆地を南北に縦断する路線が開業していきます。
この時に国から
と念押しされたので、のちに登場する田原本線や天理線を持っていた会社の買収をしながらなのか、完成形まで時間がかかってます。
旧線はこんな感じ。今の奈良県道161号線や125号線です。
けいはんな線
ですが、駅ナンバリングは「C」
これは大阪メトロ中央線の「C」と合わせるためです。
けいはんな線の開業年表
1986年10月1日 | 長田~生駒 |
2006年3月27日 | 生駒~学研奈良登美ヶ丘 |
これは中央線の延伸区間で、どこが作るねん?と話し合った結果です。
京阪も最初は居たんですが、あっという間に撤退。
近鉄は大阪市と揉めましたが、なんとか話がまとまり、生駒まで繋がりました。
この時、生駒の旧トンネルを再利用しています。
学研奈良登美ヶ丘までの延伸に時間がかかったのは
- 登美ヶ丘の開発確定が1988年のこと
- 延伸の試算で1000億円と出たので、第3セクターを使う
- 開業に手間取って2006年になってしまった
ということ。
詳しい話はこちら→近鉄けいはんな線の延伸は夢のまま終わるのか
けいはんな線の延伸は・・・
京都府精華町は期待して待ってるそうですけど、近鉄にやる気はないと思います。
しかし、近鉄(近畿車輛)では集電方式の開発が進んでいて、奈良線と中央線(けいはんな線)との相互直通運転を現実的に。
あとは何かのキッカケで、けいはんな線の延伸が実現するかも・・・・しれません。
近鉄大阪線
近鉄大阪線は実際の話、大阪上本町~伊勢中川ですが、開業年月日については布施からとします。
すでに上本町~布施については完成してますので。
近鉄大阪線の開業年月日
1924年10月31日 | 布施~近鉄八尾 |
1925年3月21日 | 大和高田~大和八木(今の八木西口) |
1925年9月30日 | 近鉄八尾~恩智 |
1927年7月1日 | 恩智~大和高田 |
1929年1月5日 | 大和八木(現在)~桜井 |
1929年10月27日 | 桜井~長谷寺(こっから参宮急行) |
1930年2月21日 | 長谷寺~榛原 |
1930年10月10日 | 榛原~伊賀神戸 |
1930年11月19日 | 伊賀神戸~青山町・榊原温泉口~伊勢中川 |
1930年12月20日 | 青山町~榊原温泉口 |
1961年3月29日 | 伊勢中川短絡線 |
1975年11月23日 | 新青山トンネル |
1924年に部分開業ですね。この時にはすでに橿原線が完成してます。
桜井までは大軌が作り、桜井から先は大軌の子会社、参宮急行が作ります。
近鉄山田線はどうだったのか
山田線も1930年3月27日に松阪~宮町まで開業します。
ですので、大阪側からコツコツ伸ばすスタイルではなく、伊勢平野でケンカを売りながら一気に奈良県桜井市~三重県伊勢市まで開通してしまってます。
また、この辺のドラマも面白いんですが、話し出すとクソ長くなるので、やめておきます。
詳しい話は、Reoさんの動画でもみて下さい。全編観るとなるとかなり時間がかかりますので、お気に入り保存でもして時間がある時に観てね。
近鉄名古屋線
近鉄名古屋線は伊勢電と参宮急行と関急の3社が作りました。少し成り立ちがややこしい路線です。
というのも、伊勢電が作った路線と参宮急行が作った路線が津辺りで混ざっているからです。
伊勢電が作った路線の一部はのちに廃線となってしまいます。
近鉄名古屋線の開業など年表
1915年9月10日 | 白子~高田本山 |
1916年1月9日 | 白子~千代崎 |
1917年1月1日 | 高田本山~江戸橋~部田(廃駅) |
1917年12月22日 | 楠~千代崎 |
1919年10月25日 | 海山道~楠 |
1922年3月1日 | 四日市(旧駅・JR四日市駅の近く)~海山道 |
1924年4月3日 | 部田~津新地 |
1929年1月30日 | 桑名~四日市 |
1930年5月18日 | 伊勢中川~久居(参宮急行・狭軌) |
1930年12月25日 | 江戸橋~大神宮前駅(今の伊勢市駅近く) |
1931年7月4日 | 久居~津新町(参宮急行・狭軌) |
1932年4月3日 | 津新町~津(参宮急行・狭軌) |
1936年9月15日 | 参宮急行が伊勢電を合併 |
1938年6月20日 | 津~江戸橋 江戸橋で伊勢電の路線に接続 |
1938年6月26日 | 名古屋~桑名(関西急行) |
1942年8月11日 | 松阪~大神宮前(廃止) |
1959年9月26日 | 伊勢湾台風直撃 |
1959年11月19日 | 標準軌化の工事が順次開始 |
1961年1月22日 | (伊勢電)江戸橋~松阪 廃止 |
1961年3月29日 | 伊勢中川短絡線 |
追記なしは、伊勢電が開業しています。途中で会社名変わりましたが、統一で伊勢電にします。
まず伊勢電は、津~四日市のショートカット路線を作ろうとしました。
今でいう関西本線が内陸を通ってちょっと遠回りなルートだったからです。
伊勢電が作った江戸橋~大神宮前駅のルートは、第2次世界大戦の時に廃止になってしまいます。
さすがに国鉄・阪神・阪急の3社平行がスルーされるほどの人口密度ではないので、お国に怒られましたね。
近鉄名古屋線どこからどこまで?
近鉄名古屋線で現在の路線はドコが作ったかまとめましょう。
伊勢中川~江戸橋 | 参宮急行 |
江戸橋~桑名 | 伊勢電 |
桑名~近鉄名古屋 | 関西急行 |
こうなってます。
参宮急行が江戸橋駅で伊勢電と接続していたので、そこんところは、そのままです。
桑名から先は、伊勢電が作ろうと計画してましたが、資金不足や吸収合併で関西急行が引き継ぎます。
関西急行の引継ぎ話はこちら→近鉄長島駅、ライバル駅と近すぎ。なぜこんな所に?
名古屋延伸が果たされた時
たった4年ほどの間でしたが、こんな状態でした。
まぁ、この間は全て近鉄のモノなのでお客さんがどう使おうが近鉄の売上になってました。
そして1941年12月に大東亜戦争が始まってしまい、日本は色々と節約モードに。
不要路線は引きはがされてしまい、鉄は武器などになってしまいました。
伊勢電が作った江戸橋~松阪はもう少し残ったんですが、後で廃線に。
伊勢中川短絡線が追加されて、完成形となります。
南大阪線・吉野線
ですが、この路線は全て近鉄が合併で手に入れた路線
そういう歴史的な経緯もあって、南大阪線系統は狭軌のままなのです。
近鉄南大阪線
1898年3月24日 | 道明寺~古市 |
1922年4月18日 | 道明寺~布忍 |
1923年4月13日 | 布忍~大阪阿部野橋 |
1929年3月29日 | 古市~橿原神宮前 |
南大阪線の道明寺~古市は、近鉄現有路線でも最も古い部分で、河陽鉄道が開業。
道明寺線の部分も同時開業で、もともとは道明寺線・古市・長野線が本線
ですが、国鉄との折り合いが合わずに独自に天王寺(あべの)まで線路を伸ばして、桜井まで延伸しようと計画します。
まぁ行き着いた先は橿原神宮でしたけど
近鉄吉野線
1912年10月25日 | 吉野口~六田 |
1923年12月5日 | 吉野口~橿原神宮前 |
1924年11月1日 | 橿原神宮前~畝傍(のちに廃線) |
1928年3月25日 | 六田~吉野 |
1929年3月12日 | 吉野ロープウエイ営業開始(地元有志の設立) |
狭軌は特に山のような険しい所を走るのにちょうどいい線路幅で、建設費用が安く抑えられる。
1929年8月1日に吉野鉄道は大軌と合併します。
橿原神宮前駅では、南大阪線(大阪鉄道)と相互乗り入れをしてました。
1939年に橿原線が新しい線に切り替わるまでは、別々の駅だったんです。
だいたい、こんな感じ
なので新線に切り替わるまでは、奈良・京都からやってきた人が吉野へ行くにはちょっと不便でした。
関連記事→映画のロケ地にもなった近鉄・橿原神宮前駅
支線4線・生駒・天理・田原本・信貴
これらの支線を見ていきましょう。
近鉄生駒線
1922年5月16日 | 王寺~信貴山下 |
1926年10月21日 | 信貴山下~元山上口 |
1926年12月28日 | 元山上口~仮生駒 |
1927年4月1日 | 仮生駒~生駒 |
信貴生駒電鉄が作った、信貴山への参拝ルートになる鉄道です。
ですが、大軌が作った信貴線の方が便利で大阪と繋がっているため、全然稼げませんでした。
ちなみに、信貴生駒電鉄は今の京阪・交野線も持ってました。
なかなか資金調達ができずに計画はストップ
最終的には大軌に吸収されてしまいます。
近鉄天理線
1915年2月7日 | 新法隆寺~天理 |
1922年4月1日 | 平端に接続 標準軌に改軌 |
1945年2月11日 | 平端~法隆寺が休止 |
1952年4月1日 | 平端~法隆寺が廃止 |
ですが開業から6年後に大軌に吸収されてしまい、天理軽便鉄道の名前はすぐに消滅
もともとは橿原線の平端とは繋がってません。
平端~法隆寺の部分は分離され、ナローゲージのまま放置され、戦争時に不要不急の路線とされて休止に。
そして廃止となりました。
廃止された部分は、この赤線のところ。
今でも廃線跡は部分的にハッキリ残ってます。線路はありませんが、盛り土などが残ったままです。
近鉄田原本線
1918年4月26日 | 新王寺~西田原本 |
1922年9月3日 | 西田原本~味間 |
1923年5月2日 | 味間~桜井町 |
1928年5月1日 | 桜井町~桜井 |
1944年1月11日 | 西田原本~桜井が休止 |
1958年12月27日 | 西田原本~桜井が廃止 |
田原本線は大和鉄道が開業
通称、ヤマ鉄は天理軽便鉄道と共に大軌に吸収されるかと思いきや、最後まで粘ってました。
西田原本から桜井まで延伸していて、さらに桜井から伊勢平野に繋げるために名張までの鉄道免許をゲットしていました。
ですが大軌の買収には勝てず、線路も鉄道免許も大軌に奪われてしまいます。
廃止になったあとは、道路になりました。
しばらく「大和鉄道」の名前は残ってました。合併ではなくて株式の大半を大軌が持っていただけなので。
ですが1964年に吸収合併して近鉄となります。
詳しい話はこちら→王寺でブチ切れている生駒線・田原本線の将来は・・・
近鉄信貴線
1930年12月15日に河内山本~信貴山口が開業しました。
これは大軌が作った路線です。
信貴線の開業時にはすでに近鉄大阪線がかなりできていて、ほぼ完成形。あとは榊原温泉口~青山町の開業だけの状態でした。
そして同日に信貴ケーブルや、山上鉄道も開業しています。
朝護孫子寺はパワースポット。橿原神宮や伊勢神宮とはまた別格のパワースポットで、必勝祈願や金運アップには最適のお寺です。
名古屋線の支線・湯の山線と鈴鹿線
この2つはまた全然違う歴史をたどってきました。
近鉄湯の山線
1913年6月1日 | 湯の山~伊勢川島 |
1913年9月24日 | 諏訪~伊勢川島 |
1916年3月5日 | 諏訪~四日市 |
1927年11月29日 | 四日市~諏訪が廃止 |
1956年9月23日 | 諏訪~中川原が廃止 中川原~近鉄四日市が開業 |
1964年3月1日 | 標準軌化・昇圧が完成 |
観光地である湯の山と、四日市の中心を鉄道で繋げる計画で、最初はナローゲージで作ってました。
更に近鉄が四日市駅の移転を決めた時に、今の近鉄四日市駅に更に変更。
そして、四日市あすなろう鉄道と相互直通運転をしていました。
ですが関係を解消。近鉄と直通運転することに。
湯の山線の詳しい話はこちら→近鉄湯の山線の存在を忘れてたので、調べてみた
近鉄鈴鹿線
1925年12月20日 | 伊勢若松~鈴鹿市 |
1963年4月8日 | 鈴鹿市~平田町 |
伊勢鉄道は津~四日市に国鉄とは違う鉄道ルートを作る計画で動いてました。
ですが、この沿岸ルートでは今の鈴鹿市の中心街(神戸地区)を通らないので、支線として鈴鹿線を作ります。
あとで平田町まで延ばしたのは、大きな工場を作る計画ができたから。
鈴鹿線の詳しい話はこちら→近鉄鈴鹿線はなぜできた?伊勢電の戦略が垣間見えた
近鉄の主要路線・山田線~鳥羽線~志摩線
次はナンバリングがMで統一されている山田線・鳥羽線・志摩線です。
伊勢中川から賢島まで1本で繋がっているのに、別々の路線名がついているのにはワケがあるのです。
近鉄山田線
1930年3月27日 | 松阪~宮町 |
1930年5月18日 | 松阪~伊勢中川(同日、久居まで開業) |
1930年9月21日 | 宮町~伊勢市 |
1931年3月17日 | 伊勢市~宇治山田 |
山田線は参宮急行が作りました。
同時並行で大阪線をガンガン延伸しています。まるでブルドーザー・・・
伊勢市駅は仮駅のつもりだったんですけど、残すことになってYouTuberのネタにされてますね。
近鉄鳥羽線
1969年12月15日 | 宇治山田~五十鈴川 |
1970年3月1日 | 五十鈴川~鳥羽 |
この鳥羽線ができるまでは宇治山田まで。鳥羽から賢島は志摩線が孤立してました。
そんな不便、近鉄が許すはずもなく、直通できる路線を作りました。
ちなみに新しい線路として、今でも割り増し料金が加算されてます。
近鉄志摩線
1929年7月23日 | 鳥羽~賢島~真珠港 |
1969年7月1日 | 賢島~真珠港が廃止 |
1970年3月1日 | 標準軌の改軌・昇圧完成 |
志摩線は志摩電気鉄道が作りました。
志摩電気鉄道も伊勢神宮への延伸を計画してましたが、なかなか折り合いが付かずに計画は白紙に。
気付けば戦争に突入して、戦時統合。三重交通になり、その後、近鉄に吸収されてしまいます。
鳥羽線の建設と同時並行で、標準軌への改軌と電圧のアップが行われて、直通運転が可能になりました。
詳しい歴史についてはこちら→近鉄の謎?普通1本で行けるのに路線名が違う「伊勢志摩エリア」
近鉄南大阪線系統の支線3路線
今は支線ですが、道明寺線と長野線は完成当初、本線でした。
近鉄道明寺線
1898年3月24日 | 柏原~道明寺(古市まで開業) |
1899年5月11日 | 河陽鉄道が経営破綻。河南鉄道に |
1919年3月8日 | 河南鉄道→大阪鉄道 |
最初は柏原~河内長野までの路線を計画してました。もちろん国鉄や南海との乗り入れも視野に。
ですが、国鉄との仲が悪くなってオーナーの大阪鉄道は南大阪線を作ることにして、道明寺線が支線へ転落してしまいます。
近鉄長野線
1898年4月14日 | 古市~富田林 |
1902年3月25日 | 富田林~滝谷不動 |
1902年12月12日 | 滝谷不動~河内長野 |
最初っから計画していた路線なので、長野線も近鉄の中では古参中の古参
道明寺線に続いて富田林までは早々に作ったのですが、その翌年に河陽鉄道が経営破綻したので、少し間が開いてしまってますね。
柏原~河内長野で見ると、真っすぐです。
こうしてみれば、南大阪線が後付けだということが分かるかと思います。
近鉄御所線
1930年12月9日に尺土~近鉄御所が開業しました。
これを作ったのは、南和電気鉄道で大阪鉄道の仲間です。
元々は御所から更に南下していって、和歌山県橋本市まで延ばす予定だったのですが、不況などを理由に計画がストップ。
御所で中途半端に少しだけ線路が残っている理由がそれです。
御所線の詳しい話はこちら→計画の16.6%しか完成してなかった近鉄御所線
ケーブルカー・ロープウエイ
最後に鋼索線と索道線です。
おいおい、ちょい待て。索道線は鉄道じゃねーぞ!とツッコミを入れる方はさすがです。
確かに鋼索線(ケーブルカー)は鉄道で、索道線は索道なんですよね。
でも、ついでにやっちゃったから許して。
生駒ケーブル
1918年8月29日 | 鳥居前~宝山寺 |
1929年3月27日 | 宝山寺~生駒山上 |
生駒鋼索鉄道が作りましたが、実質は大軌です。
このケーブル線は、宝山寺がお賽銭を近鉄に貸したお礼にできたと言われてますね。
山上まで延伸した時期は、近鉄がノリに乗ってる時で、あやめ池遊園地を開園させた3年後のこと。
山上遊園地も作ろうと考えて、ケーブル線の延伸と山上遊園地の開業に乗り出しました。
西信貴ケーブル
1930年12月15日に信貴山口~高安山のケーブル線と高安山~信貴山門の山上鉄道が開業しました。
1957年3月12日に山上鉄道は廃止。
西信貴ケーブルは信貴山電鉄が作りましたが、これも実質は大軌の会社です。
西暦587年に作られた寺で、歴史がかなり長い。
聖徳太子が指示して作った寺なんですけど、その理由が
本当かどうか分かりませんが、聖徳太子が戦いの前に偶然、寅並びの時にお祈りしたのが由来だそうです。
- 寅年
- 寅の月(陰暦1月)
- 寅の日(今の曜日の代わりに干支を使用)
- 寅の刻(午前3時~午前5時)
寅は金色の毛をしていることから、金運を高める象徴でもあり、邪気を追い払う神聖な動物として古くから信じられてました。
その事も含め、朝護孫子寺には寅が置いてあるのです。
近くには「開運バンジー」もあって、楽しみもある観光スポットですよ。
高さは30mほどと大した事ありません。ビル7~8階から飛び降りる程度です。
葛城山ロープウエイ
1967年3月26日に開業しました。
ツツジの名所で、毎年5月には多くの人が訪れています。
大阪府で最も高い山で、山頂からは大阪平野が良く見えるそうです。
さて、ロープウエイは鉄道ではなく索道
もう1つ別であるのが、軌道
何が違うのかというと
- 索道→ロープウエイ
- 軌道→路面電車
- 鉄道→その他
このようになってます。ですので、トロリーバスも鉄道だし、モノレールも鉄道です。
まとめ:近鉄の現有路線
さて、以上が近鉄が今持っている路線それぞれの開業年表です。
まぁ部分的に見ていても全然イメージ付かないと思います。
ですので、次回は地図に色塗りとかしながら、全体図付きで追っていきましょう。
記事はこちら→近鉄はどうやってできた?歴史をイチからたどってみた(前編)
それでは、またね・・・・・
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