撮り鉄の鉄道ノート

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橿原神宮前駅の歴史、見どころ。映画のロケ地にもなった駅

橿原神宮前駅の歴史、見どころ。映画のロケ地にもなった駅

引用:GoogleMap

今回は近鉄でも3路線が集まる、限られた駅の1つ橿原神宮前駅の話をします。

橿原神宮前駅は、その名前の通り橿原神宮という神社の目の前にあります。

橿原神宮というのは、伊勢の神宮出雲大社に次ぐくらい重要な神社で、天皇家のルーツである神武天皇が祀られている神社です。

ですので奈良県でトップ級のパワースポットと言えます。

先の戦争で自粛になっても、神道信仰が強かった当時は参拝対象の1つだったので、近鉄が大打撃を受けなかった要因の1つ。

岡寺>>

橿原神宮前駅は近鉄の超重要駅

橿原神宮前駅は近鉄の超重要駅

引用:GoogleMap

橿原神宮前駅は結構面白い駅です。

3路線が集まる橿原神宮前

今や全て近鉄の路線ですが、元々はそれぞれ別の会社だった3路線が集まっています。

吉野鉄道とは大軌自慢の経営力(?)を見せつけて吸収合併しました。

大阪鉄道は途中で大軌が経営権を握りつつも、合併まではしませんでした。

ですが、戦争中に国からの命令で一緒になるよう言われ、当時「関西急行鉄道」だった近鉄が全てを吸収しました。

吉野鉄道や大阪鉄道とのやり取りは、>>二上駅と二上山駅が近い件。激しい鉄道会社の争い跡をご覧ください。

橿原神宮前駅の重要設備とは

近鉄は、ほぼ全ての車両を五位堂で検査します。つまり、南大阪線吉野線で使っている車両も五位堂で検査します。

ですが、五位堂のある大阪線標準軌で、南大阪線系統は狭軌

線路幅が違うので、そのまま乗り入れることが出来ません。

その時に使うのが、橿原神宮前駅の設備です。

台車を挟むことで狭軌用の車両を標準軌の上に乗せて五位堂まで運びます。

この時に八木西口から伸びている連絡線を使い、橿原線から大阪線へ入るのです

日本では珍しい4線軌条

日本では珍しい4線軌条

引用:GoogleMap

その重要設備がある所は4線軌条となっていて、橿原神宮前駅の構内踏切から見ることができます。

4線軌条自体は日本でほぼ見る事はできなくて、近鉄みたいに線路幅の違う路線を持つ会社の車両基地くらいでしか見る事ができません。

ですので、他にあっても普通は一般人立ち入り禁止の場所くらいなもんです。

しかし橿原神宮前駅に行けば誰でも簡単に見る事ができます。

映画のロケ地にもなった橿原神宮前

橿原神宮前駅は映画「フォルトゥナの瞳」のロケ地になりました。

この22秒~25秒あたりが橿原神宮前駅です。

地下の連絡通路と、駅の構内踏切より吉野側の方で撮影されました。

フォルトゥナの瞳は、ちょっち大人向けな話。大人の恋愛も絡むので・・・お察しください。しかも映画よりは原作を読んでほしいなと思います。

映画はポンポン話が進むし、全然内容が違う所もあるので。

原作は神奈川が舞台。映画は関西で撮影されました。

橿原神宮前駅の歴史

橿原神宮前駅の歴史

今や近鉄ターミナル駅ですが、この駅の歴史はちょっと複雑。

今の駅そのものの始まりは、大阪鉄道(南大阪線)と吉野鉄道(吉野線)の久米寺駅で、実は大軌ではありません。

旧・橿原神宮前

1番最初は、大軌が作った旧・橿原神宮前駅がありました。

1923年3月21日に大軌が今の橿原線、平端~橿原神宮前間を開業。

ただし、八木西口~橿原神宮前は今とルートが違います。

畝傍線のルート

多分こんな感じで、橿原神宮第一鳥居の前あたりに駅があったようです。

同じ1923年12月5日、吉野鉄道は吉野口から延伸して、大軌の橿原神宮前駅と接続しました。

この時はまだ久米寺駅はなし。岡寺→橿原神宮前駅でした。

1924年11月1日、吉野鉄道は橿原神宮前駅から分岐して、JRの畝傍駅を結ぶ路線、小房線を開業します。

大阪鉄道が延伸してくる

1929年3月39日になって、大阪鉄道(南大阪線)が古市~久米寺を開業しました。

  • 線路幅が同じ
  • 吉野への観光需要が見込める

という理由で、大阪鉄道は吉野鉄道に乗り入れる事に。

吉野鉄道は大阪鉄道との乗り入れのため、久米寺駅を設置。

これが今の橿原神宮前駅の場所です。

正確には、南大阪線吉野線ホームの部分。

なぜ「久米寺」にしたのか、その理由は定かじゃありませんが、大軌がすでに「橿原神宮前駅」を置いていたことが原因でしょう。

そこで、近くにあった歴史の古い寺、久米寺を駅名に採用したと考えられます。

近いけど、駅置いたろ

予定してたかどうか知らんけど、大阪鉄道は神宮西口と久米寺の間に「橿原神宮駅」を設置しました。

橿原神宮駅

多分、この辺です。多分ね。

旧・橿原神宮前駅の場所は、鳥居の目の前だったらしいので、もうちょい南だと思います。

吉野鉄道はもろたで工藤

大軌は線路幅の違いを乗り越えて、吉野鉄道を吸収。

ただし、大阪への乗り継ぎは圧倒的に南大阪線の方が便利なので、大阪鉄道との乗り入れは継続しました。

ただ、橿原線経由で吉野へ行こうとする人にとっては微妙に不便。

ということで久米寺まで行けるように、橿原神宮前久米寺間を三線軌条にしました。

皇紀2600年記念を前に大規模工事

日本は西暦1940年に建国ミレニアムの2600年を迎えようとしてました。

そこで橿原神宮前をバッチバチに整備する事に決めました。

近鉄目線だけで言うと、駅の改装と線路の切り替えです。

神宮の前を整備しなおす計画だったみたいで、旧駅の場所では具合が悪かったみたい。

ですので当時の久米寺駅の場所へ移して拠点化する方針にしました。

プラス橿原線を新線へ切り替えることに。

そうして今のルートと今の橿原神宮前駅の形になりました。

今の橿原神宮前駅

1939年3月1日には、吉野鉄道の小房線が切り替え完了。

7月28日に橿原線が新線に切り替え。

8月15日、大阪鉄道の橿原神宮駅を廃止しました。

実はこの10年前に大阪鉄道は、大軌によって実質買収されてたので、文句を言う権利はありませんでした。

1940年4月1日、久米寺駅が「橿原神宮駅駅」に改称されました。

これはミスでもなく、マジで橿原神宮駅・駅でした。

候補はいくつかあったようですが、神聖な神宮の名を使用していることから、妙な改変はできなかったようです。

この妙な駅名は約30年続き、1970年3月1日に橿原神宮前駅に改称されました。

年表

1923年3月21日大軌が旧・橿原神宮前駅を開業(廃駅・旧ルート)
1923年12月5日吉鉄が吉野口から延伸。旧・橿原神宮前駅に接続
1924年11月1日吉鉄が分岐線の小房線を開業
1929年3月29日大鉄が古市~久米寺を開業
1929年8月1日大軌が吉野鉄道を買収
1930年7月10日旧・橿原神宮前久米寺三線軌条にし、接続駅を変更
1939年7月28日新線に切り替え。久米寺駅を改称。大鉄の橿原神宮駅を廃止
1952年4月1日小房線が廃止
1970年3月1日橿原神宮駅駅が橿原神宮前駅に改称

廃止された吉野鉄道の小房線は、一部道路などで残ってます。

小房線

赤線部分は、現地にいってもわずかに残ってるか残ってないかって感じ。

神宮が置かれた理由や久米寺の話

神宮が置かれた理由や久米寺の話

引用:国土地理院地図

なぜ橿原神宮がココ、畝傍山のふもとに置かれたのか。

久米寺ってそんな有名なの?

橿原市の名称の由来はなんぞや?を適当に解説します。

橿原神宮

橿原神宮がなぜ、こんな中途半端っぽい所にあるのか

それは、大和三山の1つ畝傍山のふもとに橿原宮を置いたからです。

一応、日本書紀には記録があり、橿原宮神武天皇の即位ちょい前にできました。

細けぇ理由は不明。

参考:橿原宮

他に“ゆかり”の地がないので、明治になって宮の跡地に橿原神宮が作られることになりました。

参考:橿原神宮

それまで神道信仰は、ふわっとした感じだったのですが・・・日本を強い国にするために、神道信仰を前面に出したろか。

と企んでたか微妙な所ですが、そういう動きはありました。

久米寺

久米寺

引用:GoogleMap

橿原神宮前駅の元の駅は、久米寺駅でした。

久米寺駅は橿原神宮のすぐ近くにある、とても古いお寺です。

推古天皇の時代に創建されたお寺らしく、眼病が治った伝説?があります。

目を悪くしてたのが聖徳太子の弟、来目王子(くめのおうじ)

こっから久米寺という説もあれば・・・

久米部の武人が住んでいた地という説もあります。

久米仙人の伝説にちなんだ寺としても有名です。

めっちゃ失礼な事いうと、ただのエロ仙人で、女の人の脚を見て興奮して、神通力を失ったらしい。(笑)

あとで力を取り戻したらしく、東大寺の建立に尽力したそうです。

そのお礼に資産(土地の一部)をもらって、そこへ久米寺を作ったらしい。

橿原

橿原神宮あたりには、モチノキの木が多く生えてました。

カシの木と良く似ているらしい。

橿原神宮のエリアには、カシの仲間の木が広がってます。

ということで、橿原と呼ばれる地域になりました。

今や奈良県で第2の都市です。

参考:橿原市の概要

橿原神宮前駅の面白いところ

橿原神宮前駅の面白いところ

引用:GoogleMap

橿原神宮前駅は近鉄あるあるのような、面白い所がいくつかあります。

構内踏切、あるけどほぼ閉まらない

橿原神宮前駅には構内踏切が橿原線側にありますが、閉まる事がほぼありません。

どうしてかというと、基本的にはホーム上で折り返しを行うからです。

たまに留置線へ車両を入れる時に構内踏切が閉まります。

ですので、どんな音がするかどうかは謎。

あまり使ってないから、やる気のある音がしそうですね。

0番ホーム

橿原神宮前駅には0番ホームが橿原線の隣にあって、貸し切り列車が使用します。

実はこの0番ホームが吉野鉄道の名残なのです。南へたどって行けば、吉野線と繋がってます。

0番と1番で対面乗り換えをしていた時期もありました。

0番ホームの線路は北方向へ伸びていて、2つ目の踏切まで線路が残ってます。コレが吉野鉄道の小房線の痕跡で、JR桜井線の畝傍駅まで繋がってました。

ですが、不要路線に指定されて1945年に営業が休止

1950年に完全休止し、2年後に廃止します。

小房線

引用:国土地理院

狭軌路線のホームが忙しい

南大阪線吉野線の境目になっている橿原神宮前駅の4~7番ホームでは、車両の連結や切り離し。

もっとも外側の線路に車両を留置している事もあります。

昼間はそうでもありませんが、ラッシュ時は忙しい駅ホームです。古市駅ほどではないと思いますけど・・・

>>古市駅の方が頻繁に車両の増解結を行っています。

まとめ:駅ナカも充実している橿原神宮前駅は複雑な駅だった

駅ナカも充実している橿原神宮前駅は複雑な駅だった

橿原神宮前駅は特急乗り換えがよく行われているためか、駅ナカがかなり充実しています。

橿原神宮前駅は面白い所もありの、珍しいものが見れたり、パワースポットが近いのでぜひ行ってみてくださいな。

岡寺>>

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