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二上駅と二上山駅が近い件。激しい鉄道会社の争い跡

二上駅と二上山駅が近い件。激しい鉄道会社の争い跡

近鉄の主線である大阪線南大阪線

この2線で1番近いポイントは、二上駅と二上山駅です。

直線距離で850mくらい

普通に歩けば950mほど、徒歩12分くらいで行き来できます。

なぜこんな近くに近鉄の主線があるのか、同じ鉄道会社なのに・・・

その理由は、やはり近鉄の歴史を見ていくと分かりました。

二上駅と二上山駅のなりたち

二上駅と二上山駅のなりたち

開業が早かったのは大阪線二上駅です。

1927年、近鉄の前身、大軌が恩智~大和高田の開通時に二上駅を開業。

その2年後の1929年、二上山駅が開業しますが運営会社は大阪鉄道です。

そう、この時はまだ大阪線南大阪線は別々の会社が持っていました。

二上駅ができた理由

これは単純で、大阪上本町~大和八木・桜井までを繋ごうとしただけです。

すでに大軌は伊勢へのアクセス路線を作るつもりで動いていて、大阪から伊勢に行きやすい鉄道を作ろうとします。

大和八木~大和高田までは完成していたので、次は大阪方面へ向けての延伸

反対の大阪からも次々と開業していってて、近鉄八尾駅1924年に開業

恩智駅は1925年に開業しています。

そして1927年、恩智駅~大和高田まで繋がって大阪線大阪上本町~桜井まで繋がります。

香芝市穴虫って所に駅を置いた理由は、人様が住んでいたから。

この辺りには平安時代からあると考えられる古くからの神社があって、神社の周りに人が住んでいたようです。

人の居る所に鉄道を敷き、駅を置く。当然の戦略ですね。

二上山駅ができた理由

二上山駅は1929年に開業

その後、なんだかんだあって近鉄に取り込まれてしまいます。

二上山駅の南側にはお寺さんや神社があり、元々人様が住んでいたと考えられます。

また竹内街道という街道があって、この街道は大阪と飛鳥を繋ぐ交通の重要道路でした。

竹内街道古市駅の辺りも通ってます。

専称寺というお寺さんが街道近くにあり、少なくとも300年ほどの歴史はあるようです。

誰も居ない所に寺なんか作ったって意味がないので、人が住んでいる事は考えられるかと思います。

なので、鉄道を通して駅を作る理由はある。ですが

  • 南側はすぐ山
  • 二上山手前のカーブがきつくなる
  • 相手は大軌だから近すぎない程度に

という理由で、今の場所に落ち着いたんだと思います。

余談ですが、当時の大阪鉄道が持っていた鉄道免許は古市~橿原神宮前まで

計画としては、線路幅が同じである吉野線(当時、吉野鉄道)との乗り入れを考えていました。

大軌と大阪鉄道のバトルが過激になる

大軌は奈良でガンガン稼ぎ始め、力をかなり付けてきます。

一方、大阪鉄道は現在の吉野線にあたる吉野鉄道を手を組もうと考え始めます。

あいつ(大阪鉄道)、調子乗ってんなぁ

そう思い始めた大軌は、吉野鉄道を自分のモノにしようと企みます。

おい、俺の舎弟になれよ

イヤじゃ!線路幅ちゃうやんけ

と最初は突っ張りました。(知らんけど

ふーん。じゃぁ俺も吉野に行く線路作っちゃおっかなー

このように大軌が吉野鉄道を揺さぶると、あっさり吉野鉄道は大軌のモノに。

うわ、やられた・・・

と焦る大阪鉄道。

ですが、すでに南大阪線の延伸は完成しています。どうなる事かと思ったが、大軌は

乗り入れできるんだし、やろうぜ

という態度なので、大阪鉄道と吉野線の乗り入れは大鉄の計画通り進みました。

しかし大阪鉄道は1929年の4月に上ノ太子駅で3重衝突事故を起こしていて、イメージはあまりよくありませんでした。

しかも1929年の10月に昭和恐慌が発生。1万円の品物が極端な話、5000円になるような状態になって不況に。

企業が儲からなくなってしまいました。

大軌は持ちこたえていて、この機会に大阪鉄道の買収にかかります。

大阪鉄道の株、買い占めまーす

大軌のパワーはとてつもなく、どこの会社も敵に回したくない相手だったので他の会社は見て見ぬふり。

結局、大阪鉄道の株の過半数を大軌が所得。これで実質的に大軌のモノとなります。

名前は残しといてやるけど、経営権は俺だからね

・・・・・

大阪鉄道は返事すら出来なくなってしまいました。

その後、大軌の経営手腕で南大阪線も結構稼ぐようになります。

のちに大軌は関西急行鉄道という会社に改める時に、会社を全て一緒にする事に。

あとで南海が入ったり消えたりしますが、それは大した話じゃないのでスルーします。

こうして今の近鉄ができた。というワケです。

1925年3月八木~高田間開業
1925年9月八尾~恩智間開業
1927年7月恩智~高田間開業・二上駅開業
1928年10月大軌、吉野線の免許を取る(吉野鉄道への脅し)
1929年3月古市~橿原神宮前開業・二上山駅開業
1929年4月上ノ太子駅・事故
1929年8月吉野鉄道、大軌と合併
1929年10月昭和恐慌
1943年2月大軌→関西急行鉄道に 大阪鉄道を合併
1944年6月関西急行→近畿日本鉄道

結論、偶然もあったけどライバル視はしてた

たまたま近い所に住宅エリアがあったのも理由ですし、互いにライバル視してたのもあるかと思います。

香芝市の穴虫や畑って地域はわりと良い所だと思います。

大阪線南大阪線も行き先によって変えられるし、そんなに不便でもなさそうだし。

奈良の穴場エリアで家持つなら、香芝のこの辺りが良いと思います・・・多分w

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