今回は路線の歴史シリーズ・・・第9回目(?)南大阪線です。
近鉄南大阪線は他の路線系と明確に違うのは、線路幅。
近鉄路線のほとんどは標準軌といって新幹線と同じ線路幅ですが、南大阪線系統はJRと同じ狭軌という規格です。
そして、未だにこの規格はそのままにされてます。
その辺の謎を、歴史からひも解いてゆきます。
南大阪線の歴史
引用:Google Map/Yosyuki Domotoさん
近鉄の路線の中でも最も古いのが、道明寺線と南大阪線の一部です。
1898年3月24日、南大阪線でいうと道明寺~古市間が開業。
この時、柏原~道明寺も開通してます。
詳しくはこちら→近鉄で1番古い!近鉄道明寺線の歴史と現在【元は本線だった】
まず最初に作ったのは河陽鉄道。
柏原~富田林が開通しました。
国鉄(JR)と柏原で乗り入れるつもりだったので、狭軌を選択したのです。
河陽鉄道が倒産
河陽鉄道は南大阪にバイパス路線を作ろうと思って、柏原~富田林~河内長野と繋げようとしました。
ですが
- 当時の富田林はまだ人が少ない
- カネが足りなかった
- 人が全然乗らない
開通から1年で、河陽鉄道が倒産。
河南鉄道が引き継ぐ事になりました。
そして、なんとか長野線が全線開通します。
詳しくはこちら→近鉄長野線の歴史を掘り起こすと、近鉄イズムが隠されてた?
国鉄からの脱却
今で言う道明寺線・南大阪線の一部・長野線は国鉄と組んで貨物輸送も行ってたそうです。
しかし河南鉄道は、こんな事を考え始めました
というわけで、河南鉄道は国に対して鉄道を作る免許を申請しました。
もちろん、却下されます。
以上の理由で、国は河南鉄道のお願いを蹴ってました。
でも、しつこく食い下がります。
- 柏原から延長しないこと
- 終着地を天王寺にすること
こうして河南鉄道は、自社で大阪の中心部へ鉄道を繋げられるようになりました。
河南鉄道は大阪鉄道と名前を変えて、天王寺へ進出します。
現存路線からの分岐とルート設定
話は決まったものの、さてどういうルートで天王寺へ繋げるか。
困ったことに、古市・道明寺あたりは古市古墳群があり、避けなければいけません。
古市から藤井寺方向へ行くルートもあったかもしれん・・・
引用:国土地理院地図
ですが、1936年~42年の状態でこれ。
間に何もないので、古墳の間をぬうように線路を繋げる方が費用対効果があるんじゃね?と選択した結果だと思います。
布忍カーブができた理由は多分この2つ
- 布忍が歴史ある町だったこと
- 天王寺でまたキツいカーブにならないように
当時の我孫子や長居あたりがどうだったか知らんけど、あまり魅力的な地域ではなかったのかもしれません。
というのも、御堂筋線は西田辺までにしようか?とか大阪市がホザいてたそうです。
ですが、地元議会は決議を出して我孫子まで延伸させる事に成功したそうな。
それだけ当時の我孫子あたりは過疎ってたんでしょうね。
参考:【コラム】御堂筋線は西田辺で工事を切り上げる予定だった?
1922年4月18日に、道明寺~布忍が開業
1923年4月13日に、布忍~大阪阿部野橋が開業しました。
この時期、大軌は橿原線を完成させてました。
まだ互いに存在は知っているものの、バチバチやり合う関係ではありません。
しかし1923年の冬から、また別の鉄道会社の影響で変化してきます。
吉野線の話をちょっと
1923年12月5日、現在の吉野線が吉野口~六田から、更に吉野口~橿原神宮前まで開業します。
こうして大軌は奈良の観光名所、吉野に手が届きそうに・・・
しかし吉野鉄道は狭軌だし、国鉄と組んで貨物輸送もバリバリやりたかった。
ですので、大軌と吉野鉄道は方向性も規格も全然合わないんですよね。
だけど大軌は強引な手法で、吉野鉄道を自社の仲間にしました。
一方、大阪鉄道は・・・
古市から大阪阿部野橋まで繋げましたが、そこで満足する大鉄ではありません。
実は南大阪には、また完全に別の鉄道会社「南大阪電気鉄道」がありました。
ここは鉄道の免許だけ持ってて、全然工事が始まってません。
理由は「カネがねぇ」
免許の内容は、堺~古市~橿原神宮前~桜井でした。
- 橿原神宮→超有名な神社の1つ
- 桜井→歴史あるデカい町
2社の利害は一致してました。
大阪鉄道は南大阪電気鉄道を吸収合併して、免許を使って古市~橿原神宮前を作り始めようとします。
ですが
というわけで大阪鉄道は株を増やして、売りに出しましたが・・・誰も買いませんでした。
そんな路線、儲かるわけないやろ・・・と投資家は見ていたのです。
ここでカネを出したのが大軌でした。
こうして橿原神宮前まで作る準備ができました。
橿原神宮まで行けば、線路幅が同じ吉野鉄道と乗り入れることができます。
と思ったら、吉野鉄道は大軌の仲間になってしまいます。
大軌は広い心(?)で吉野鉄道と大阪鉄道の乗り入れをOKしました。
さて、免許自体は桜井まであったのですが・・・大阪鉄道は魔の1929年に突入してしまいます。
南大阪線、踏んだり蹴ったり
1929年3月29日、南大阪線は全線開通しました。
ですが、それから1ヶ月も経たずに大事故を起こしてしまいます。
1929年4月14日、上ノ太子駅・三重衝突事故が発生。
運転士と乗客の計2名が死亡、乗客12名が重症、80名あまりが軽傷を負ったらしい。
そして1929年の10月に昭和恐慌。
物の価値が下落して、企業が儲からなくなります。企業が儲からないから、給料は上がらない。
給料が少ないから、消費しなくなる。
このような経済の冷え込みが起こってしまいました。
ただでさえ古市~橿原神宮前は使う客が少ないのに・・・
あっという間に大鉄の経営は傾き、このままでは倒産してしまう。
せっかくの大阪からの橿原神宮前の鉄道ルートが、このままではダメになってしまいます。
大軌は大阪鉄道の株を買って、経営陣に金森(大軌の社長)を入れるように動きました。
これを乗っ取りと言うか、それとも助けたと言うのかは・・・言い切れません。
ちなみに仮に大阪鉄道が順調だったとしても、できたのは桜井への延伸まででしょう。
引用:国土地理院地図
多分だけど、こんなルートになってたかも。
この先は既に大軌・参宮急行が抑えていたので、大阪鉄道の出る幕はありません。
伊勢まで通そうと考えてたらしいですけどねぇ。
南大阪線の年表
1898年3月24日 | 河陽鉄道が道明寺~古市を開業 |
1899年5月11日 | 河陽鉄道が倒産。河南鉄道となる |
1919年3月8日 | 河南鉄道が大阪鉄道に社名を変更 |
1922年4月18日 | 道明寺~布忍が開業 |
1923年4月13日 | 布忍~大阪阿部野橋が開業 |
1926年 | 南大阪電気鉄道を合併。延伸の免許をゲット |
1928年10月 | 大軌は橿原~吉野の免許を取り、吉鉄に圧力 |
1929年3月29日 | 古市~橿原神宮前が開業・吉鉄と直通運転 |
1929年4月14日 | 上ノ太子駅で三重衝突事故が発生 |
1929年8月1日 | 大軌は吉野鉄道を合併 |
1929年10月 | 大軌の金森らが取締役に就任。大軌傘下となる |
1943年2月1日 | 関西急行鉄道が大阪鉄道を合併する |
1944年6月1日 | 近鉄が発足 |
という理由から、南大阪線系統は狭軌のままなのだと考えられます。
大阪鉄道が標準軌で南大阪線を作っていたら、吉野線の標準軌化工事が行われてた可能性はあったでしょうね。
南大阪線の駅
南大阪線の駅で、これまで紹介した駅を簡単にまとめます。
河堀口駅
引用:Google Map
大阪の難読駅名でよくピックアップされる駅です。
駅名の由来は、大阪の治水工事が行われた時の名残でできた水路。それが「こぼれ」という地名です。
その河堀地区の入り口だから、河堀口という駅名になりました。
>>大阪屈指の難読駅名「河堀口駅」どっからこの名前拾ってきた?
布忍駅
Google Map
布忍も難読駅名の1つ。こちらは、平安時代の戸籍リストにあった名前の1つが由来です。
このように人の名前が地名になって、駅名を地名から取る例はいくつかあります。
布忍といえば、布忍神社“イチハラヒロコみくじ”ですね。
今や全国に広がってますが、元祖はここ布忍神社。
高見ノ里駅
引用:Google Map
ですが、近鉄の歴史で言えば古い方で1932年に開業しました。
先に線路。あとから駅を開業・・・というスタイルではなく、この駅は完全に後から追加されてます。
理由は、比較的近くに大阪薬科大学が移転してくるため。
この大学はまた移転してて、今は阪南大学高等学校があります。
古市駅
この記事でも言ったように、古市駅は近鉄でも最古の駅の1つです。
古市駅では電車の増結・解結が頻繁にみられる駅。
しかも、お客さんを動かさず電車を動かすスタンスも採用しています。
>>近鉄、最古の駅の1つ『古市駅』で見られるKTクオリティとは
二上山駅
二上山駅は大阪線の二上駅ときょうだいのように見えますが・・・実は元々ライバルだった。
二上あたりは北の方も南の方も古くから人が居たエリアだったようで、それぞれシェアを取り合ってたと思います。
当麻寺駅
引用:Google Map
当麻寺駅も簡単には読めない駅です。
この駅名の由来は寺院の「當麻寺」
なぜ漢字が違うのか、というと
- 駅名に使う漢字に制限はない
- だけど、駅名は読みやすさ優先が流行り
- 旧漢字の部分だけ新漢字に変更
という理由で駅名は簡単な漢字にした・・・と考えられます。
當麻寺には国宝や珍しいものが色々とあるので、マニアにとってはヨダレが出るお寺らしいです。
>>当麻寺駅と當麻寺、なぜ表記が違うの?その理由は・・・・・
橿原神宮前駅
引用:GoogleMap
橿原神宮は初代天皇の神武天皇が祀られている神社で、伊勢の神宮に並んで超重要な神社。
ですので戦時中でも参拝が推奨されてました。
このこともあって、大軌・近鉄は経営が簡単に傾かなかったと言われてます。
橿原神宮前駅には色々とあって
- 4線軌条
- 0番ホーム
- 映画のロケ地
- ほぼ閉まらない構内踏切
と、なかなか面白い駅です。
まとめ:南大阪線は飛躍からの没落が早い
そっから大成長?したのもつかの間・・・古市から阿部野橋まで延伸したものの、その6年後に会社が大軌に飲み込まれてしまいました。
メイン路線なのに道明寺・古市カーブでグネグネな理由は、柏原~道明寺~古市~河内長野が元々のメイン路線だったからです。
今回はこの辺で・・・それでは、またの。
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