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難読駅名「布忍駅」を解剖してみると歴史が古かった

難読駅名「布忍駅」を解剖してみると歴史が古かった

Google Map

今回は南大阪線布忍駅です。

なんか近鉄のネタないかなぁと思って地図を適当に見てたら、布忍駅と近くに布忍神社があるね。と気付いて、コレにしよ。と決めました。

で、なんか調べていると歴史が古い事が分かりました。

そんな布忍という駅名、地名について適当な感じで深掘りしていきます。

布忍駅の由来、歴史

布忍駅の由来、歴史

近鉄南大阪線布忍駅は当時、近鉄のライバルだった大阪鉄道が1922年に開業させました。

これは天王寺まで自社線で繋げるための第一歩でした。

翌年には天王寺まで繋がり、布忍駅は途中駅となりました。

その後、周りの会社(近鉄も含む)とすったもんだあって近鉄が所有する事に・・・。

布忍という地名は平安時代にはあった

西暦815年には「布忍」という小さな豪族が居ました。

新撰姓氏録っていう、今でいう戸籍リストみたいな所に「布忍首」と。

この戸籍リストができたのが平安時代の815年です。

布忍君は、さかのぼると天皇家と関わりのある人で、12代~16代天皇に仕えた人にたどり着くようです。

ちなみに「布忍首」の首が地位を表していて、布忍が名前。

ヤマト政権のもとでつけられた地位の中で「首」は結構下の方です。

日本書紀にも記載されてた「布忍」

ヤマトタケルノミコトって有名ですね、その娘の1人に「布忍入姫命」が居ました。

読み方は「ぬのし・いりひめの・みこと」です。

これは古事記には書かれてなくて、日本書紀には書かれてました。理由はよく分かってません。

その2つって何が違うねん

古事記は日本用に書いた歴史書日本書紀は外国向けの歴史書です

なぜ内容の違うものを書いたのかはハッキリしませんが、多分周りの国に対して「俺たちの国すげぇだろ」と自慢するために、ちょっと誇張したんじゃないかとも考えられてます。

ちなみに、歴史学的に日本書紀古事記は、あり得んだろ。という議論もありますが、くつがえす証拠もないため未だに超重要な歴史書である事は間違いありません。

そもそも記紀ができたのは720年で、日本の歴史(神武天皇の即位)は紀元前660年から始まっているのです。正確に書けるわけないでしょう。

文字が日本に入ったのも早くて3世紀か4世紀頃です。

記紀にケチを付けるなら聖書にもケチつけてみろ

で、話を戻します。

布忍入姫命の父親、日本武尊は古市に古墳があり。母方のおじいちゃんである仲哀天皇の古墳は藤井寺にあることから、布忍に関わりがあるんじゃないかと考えられますね。

参考:松原市・布忍の地名を探る

元々は「ぬのし」ですが、変化して「ぬのせ」となったんじゃないかとも考えられる。

江戸時代の歌には「布瀬」という単語があったけど、それと関係あるのかと言われたら、よー分からんらしい。

参考:布忍神社

布忍という地域

布忍の付近は貯め池があり、昔からの民家もあり、今でも布忍駅の近くには長尾街道という古い道が残っています。

この長尾街道は堺市堺区から伸びる古い道で、堺と大和を結ぶルートでとても人の行き来があった道です。

長尾街道

国土地理院地図1936~1942年頃

そのためなのか布忍駅には昔、貨物の荷下ろしとして駅の西側にスペースがありました。

電車を停めておくスペースでもありましたが、それは一時的に布忍駅が終点だったからですね。

布忍カーブ

布忍駅の古市側にはきついカーブがありますね。

これは大阪鉄道が道明寺から天王寺へ延ばす時に設定したルートによるものです。

  • 人の住んで居る所を通したい
  • できるだけまっすぐ伸ばしたい
  • 大和川を最短距離で超えるルート

選んだらこうなった・・・って感じですね。

昔の布忍駅付近

国土地理院地図1936~1942年頃

かなり古い時は池を挟んで鉄道が敷かれていたらしいですが、全てのため池は埋められてしまってます。

布忍駅のみどころ

布忍駅のみどころ

Google Map

とりあえず布忍神社ですね。

また藤井寺、古市側はキツイカーブもあるので、駅からの撮影が良さそうな気がします。

布忍神社

布忍神社はイチハラヒロコみくじで有名ですね。

2016年頃から話題になったんですが

  • 真っ白な紙に太文字でメッセージ
  • 吉凶のないおみくじ
  • 強烈なメッセージ

と、変わったおみくじで有名になりました。

その後で全国に広がってますが、元祖は布忍神社です。

イチハラヒロコ氏は現代美術作家で、特に布忍と言うエリアに関係はないのですが、布忍神社の宮司がオファーしたそうです。

布忍駅

布忍駅は阿部野側がストレート。藤井寺川にきついカーブ。どっちも撮れる撮り鉄向けの駅でもありますね。(知らんけど)

私は大阪線の方が好きなんで、「ふーん」ですけど。

また、駅の支柱には大正時代のレールが使用されていて、支柱には製造者や種類、製造時期が書かれてます。

参考:松原市・布忍駅で確認。大正12年製レール

南大阪線が大正時代からあった事がなんとなく感じられる駅ですね。

それでは、今回はここまで。じゃあの

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