引用:Google Map
といっても、阪伊乙特急の一部だけですが。
ほいでも大和高田市の代表駅といっても良いと思います。
その割にはわりと貧相なスペックだなぁと感じました。
なんでそんなイマイチな駅の構造をしているのか
いつものように駅や駅周辺の紹介もしてゆきます。
大和高田駅の歴史。昔は2面4線だった
大和高田駅、今は2面2線ですが元々は2面4線でした。
ですが高架化工事と同時に、待避設備を五位堂に動かして、スペックダウンしました。
大和高田駅の歴史
大和高田駅は1925年3月21日に開業しました。
今の大阪線のうちでは2番目にできた部分です。
※現在の駅名で表記
そっから八木までの全通には2年ほどかかってます。
最初の駅名は「高田」
ですがJRの方も駅があって、高田駅でした。
普通は混同を避ける為に、最初っから工夫すると思いますが・・・
1928年8月に、大軌高田駅に改称しました。
その後、会社合併が行われて関西急行鉄道ができた時(1941年3月15日)に、関急高田になるんかと思いきや「大和高田」となりました。
まだこの時は大和高田市は発足してません。
1963年1月に高架化。同時に待避線がなくなり、五位堂に待避設備が追加されました。
特急の停車駅に追加されたのは比較的最近で、2003年です。
つまり
- 高架化工事による縮小
- わりと最近に特急停車駅になった
- 便利な駅だから市が重点的に開発した
という順番。
今更また駅をデカくする余裕は、近鉄にありません。
1925年3月21日 | 高田駅が開業する |
1928年8月 | 大軌高田駅に改称 |
1941年3月15日 | 関西急行鉄道になり、大和高田駅と改称 |
1963年1月 | 高架化。待避線がなくなる |
1967年12月20日 | 急行(現、快速急行)の停車駅になる |
2003年3月6日 | 特急の停車駅になる |
JRと微妙に離れている理由を考察してみた
引用:Google Map
単純に考えると2点
- 計画とは関係のない事だから
- 駅と線路の角度が悪い
大軌の計画はもっと壮大な話だし、わざわざ国鉄をオーバーパスするとか無駄にカネのかかる事を避けたのかもしれません。
また当時は高田川も今の形と違うため、工事の難しさもあったのかも・・・
大和高田市の資料によると、大和高田駅の南あたりで二股に分かれてたみたいです。
川の流れから言うと、2つの川が合流してた。というのが正確ですが。
- 地盤のこともある
- 八木まで平行するので距離は離したい
この事から徒歩ルート400mほど離れたんだと考えられます。
乗り換えの案内は、ほぼなし
互いに乗り換えの案内はないし、ルート検索でも推奨されてません。
連絡通路とかあるワケでもないし
伊勢へ旅行するんなら、電車の乗り継ぎよりは八木まで車で行って、そっから特急の方がラクで早いでしょう。
大和高田市はどのように発展した?古代まで遡ると
大和高田市の歴史は古代からありました。
また、豊富な水資源により耕作に適した土地でした。
色々と掘ってみると、かなり古い年代の物が発掘したようで、最新の研究では思ったより古くから人が居たと推定されてます。
「2万年前くらいは、まだ定着してなかったんじゃね?」と考えられてましたが
「やっぱ居るっぽいわ。しかも他関東や瀬戸のものもあるくらい人の交流があったんやな」という事が分かりました。
高田氏による政治
大和高田市は耕作の盛んな地だったので、少しずつ「土地の所有者」と「労働者」の格差が生まれていました。
しばらくは複数の地主がポコポコ居たらしい。
室町時代の時、高田さんって人が代表で治める事になり、高田城ができました。
この高田さんは、元「当麻さん」らしい。
複数の状況証拠により、当麻さんが名前を変えた事が分かってます。
150年ほどは高田さんによって統治されてましたが、織田信長が
という理由で、城を壊すよう言われました。
大和高田市は江戸時代に急上昇
その後しばらくは市長みたいな人はおらず、慶長(1596~1615年)の頃に寺ができます。
この寺を中心に町が出来ました。
大和高田市は江戸時代、御所藩の領地でした。
藩主の桑山さんは
と、大号令を出して大和高田市は商工業の町になってゆきます。
その流れで日本の繊維化学会社、ユニチカの工場があったんですが、かなり前に閉鎖になりました。
現在はトナリエ大和高田になってます。
参考:市の歴史と遺跡
大和高田市の発足
さて「高田」ですが、これだけの意味としては
一段高い場所にある水田という意味ですが、歴史的背景から察するに、大和高田の高田は恐らく人名由来でしょう。
当麻さんが、なぜ高田さんに名前を変えたのかは分からんけど
有名すぎて戦乱の世の中、狙われるかもしれないと思って変えたんかもね。
それが回りの松塚やら浮孔とか取り込んでいって、1948年に「市」へ変わります。
ですが、すでに新潟県高田市(現・上越市)があったために大和高田市になりました。
大和高田駅はもっと便利になる?桜並木以外には何があるの
引用:Google Map
駅の改良工事・・・なんて話は挙がってなさそうでした。
駅の周辺開発や、案内表示、自転車置き場のトイレが汚ねぇぞ
なんて議論が交わされてました。
今後、改善されるかもしれません。
今以上の駅構造、改良予定はなさそう
現状、大和高田駅は駅の北から直接下り線ホームに入る事はできません。
- 連絡通路を通り
- 改札を通り
- 線路下の通路を通り
- 階段を上がる
こんなルートになってます。
駅の北側もまぁまぁ人が居るんですけどね。昔の名残で少し土地に余裕があるんですが・・・駅舎改良工事はしなさそうです。
昔も今も、正面口は駅の南なんですよね。
それもあるのかも。
高田千本桜
大和高田市といえば、高田川沿いの桜並木ですね。
結構ズラ~っと並んでいるので、なかなかキレイでした。
大阪線側は微妙ですが、南大阪線の方は桜と近鉄車両を同時に写せる画角があります。
トナリエ大和高田
引用:Google Map
ユニチカの工場跡地にできた商業施設です。
これは近鉄グループが絡んでません。
スーパー、保育園、病院、学習塾、服屋、100均、飲食と何でもかんでも揃ってます。
神社仏閣
引用:Google Map
これは通称、高田天神。入る所には「天神社」と彫られてます。
メインの神様が天地創生の神、タカミムスビ。
古事記で1番最初に出てくる三神の一柱です。
大和高田のパワースポットといえば天神社。
他には春日神社。
引用:Google Map
こちらには源義経らが休んだという、腰掛け石があります。
そして
引用:Google Map
通称、高田御坊。大和五カ所御坊の1つです。
奈良県に作られた、浄土真宗本願寺派の代表的なお寺の1つらしい。
この寺の周囲に大和高田市の原形である、商人の町がありました。
高等学校が2つある
引用:Google Map
大和高田駅からは距離がありますが・・・
- 奈良県立高田高等学校
- 大和高田市立高田商業高等学校
県立高田高は市駅の方。高田商業は松塚の方が近いです。
不登校など学校に馴染めない人でも通いやすいというコンセプトで設立。
高卒資格を取る事もできます。
まとめ:大和高田駅に北口ができる確率は・・・
住民が求めてるかどうか知らんけど。
今の所ゼロかもね。
春の桜の時期は、あっちこっちから人が集まる所ですし
大和高田市の主要駅として位置付けられてるんで(多分)もしかしたらまだ駅の周りとか、何かしらの設備は良くなるかも。
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