撮り鉄の鉄道ノート

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弥刀駅、謎の引き上げ線。やる気のない構内踏切を探ってみた

弥刀駅、謎の引き上げ線。やる気のない構内踏切を探ってみた

先日、河内山本駅撮り鉄したあとに例の弥刀駅に寄ってみました。

構内踏切については、まぁいいです。

あんま今まで視界に入りませんでしたが、引き上げ線もあるんですよね。

でも、弥刀駅って河内国分みたいに始発駅になってるワケでもないのに、何のためにあるんだろね?

と気になったので、引き上げ線のことも含め、色々と調べてみました。

弥刀駅の引き上げ線は近畿大学のため

弥刀駅の引き上げ線は近畿大学のため

引用:Google Map

弥刀駅の引き上げ線は、かつて近畿大学の学生輸送のために各駅停車が折り返していたようです。

ですが、今は高安駅発着になってます。

実は今も使われている弥刀駅の引き上げ線

今は、夜に信貴線の車両交換に使用されているようです。

まず配線略図を見てみましょう。

大阪線の配線略図

引用:配線略図.net

これだけ見れば、下り線から上り線へ行けそうな感じがしますが、実は渡れません。

弥刀第2踏切のストリートビューで見てみましょう。

弥刀第2踏切のストリートビュー

引用:Google Map

このように、上り線からは引き上げ線にしか行けないようになってます。

本来は下りから車両を引きあげて上りに送るための設備なので、高安車庫からやってきた交換の車両は

  1. 高安から上本町方向へ
  2. 弥刀駅の上りホームで停車
  3. 折り返し、引き上げ線へ入る
  4. 下りホームに入って停車
  5. 河内山本から信貴線

車両交換

引用元:配線略図.net

このように動きます。3回方向転換するので面倒くさそうですけどね。

高安から逆方向へ車両を動かすよりはマシ・・・なのかもしれません。逆走ですからね

近畿大学と共にあゆんだ大阪線

近畿大学は1925年に開校しました。当初は夜間授業のみ。

近鉄大阪線1924年10月31日に布施~八尾間が開業。

同じくらいの時期に両方ともできました。

最初のころはあんまり使われてなかったでしょうが、規模がかなりデカくなった最近は、非常に多くの人が利用してるでしょうね。

引き上げ線の復活は多分ない

現在は高安行き普通が運用されてて、それで十分かと思います。

ぶっちゃけますと、高安から先はチラホラと畑が見えてきますし、山に近く、大和路線も近い。

河内国分は急行停車駅だし、八尾から先は区間準急=普通ですから

弥刀で折り返してる方がモッタイナイ気がします。うん、想像だけど(笑)

ですので、今後も信貴線の車両交換のためにあの引き上げ線が使用されると思います。

弥刀駅はあとで追加された駅だった

弥刀駅はあとで追加された駅だった

引用:Google Map

さきほど布施~八尾は1924年10月開業と言いましたね。

ですが、弥刀駅の開業は1925年12月で、開通してから1年あとに駅ができてます。

これ、なんか理由があったんか?と思いそうですが・・・ふかーい理由はなさそうです。

線路が先、駅はあと

大阪線の歴史年表をみると、追加駅というよりは駅設置を後にしただけ。そのように感じました。

1914年上本町~布施 開業(奈良線
1924年布施~八尾 開業(長瀬駅も開業)
1925年3月高田~八木西口 開業(松塚・真菅も開業)
1925年9月八尾~恩智 開業(久宝寺口・山本・高安も開業)
1925年12月弥刀 開業
1926年12月俊徳道 開業
1927年7月恩智~高田 開業(教育大前以外の駅、開業)

期間があまり開いてないですし、大阪線の駅間距離をみると布施~安堂くらいまでは1km前後の間隔で駅があります。

大阪線の駅間距離

引用:Wikipedia-近鉄大阪線

ですので、たまたま弥刀駅の優先度が低かっただけだと考えられます。

ちなみに、大阪教育大学前は大阪線で最も新しい駅で、1991年に開業しました。

その話は→【近鉄の新駅シリーズ】大阪教育大前駅の新設はお金がかかった・・・

突貫工事みたいな印象を持ちますが、ちゃんと計画立ててたんですね

(#^ω^)・・・

奈良線の開業から大阪線の開業まで

奈良線近鉄の親、大軌が作った数少ない路線の1つですね。

そっから約10年後に大阪線を通しました。

それまでの間に何があったのかというと

こんな事がありました。

橿原線も、大軌が作った数少ない路線の1つです。

計算してませんが、近鉄が持ってる路線のほとんどは、もともと自社の路線ではありません。

大軌や近鉄の名前で作った路線は、奈良線橿原線大阪線の一部・鳥羽線くらいです。

まぁ、参宮急行をイコールとしたら残りの大阪線と山田線が増えますが・・・過半数は合併でゲットした路線かと思います。

それが近鉄の面白いところだよね

弥刀駅の構内踏切

弥刀駅の構内踏切

弥刀駅には構内踏切が2つあり、片方の音がちょっとおかしくなってます。

よく言われてるのが「やる気のない音」

それは下りホームに行くための構内踏切です。

てか、そもそも何でこんな面倒くさい構造なんだよ

と思ったので、調べてみると・・・

もともとは2面2線だった弥刀駅

もともとは2面2線だった弥刀駅

引用:国土地理院地図

1936~1942年の航空写真です。ちょっと分かりづらいかと思いますが、久宝寺側の踏切にベタ付けで、2面2線の駅に見えますね。

少し上に戻ってもらうと、現在の航空写真(同じ縮尺で同じポイント)が見れるんで、見比べてみてくださいな。

弥刀駅に待避線ができたのは1949年のことでした。

その時に駅を長瀬側に移動したようです。

で、駅の位置はそのまま横滑り。線路を外側に増やしたために、駅の入り口がなくなってしまった。

だけど、まだ戦後のボロボロだった時代が原因だったのか、用地がなかったのか、橋上駅になりませんでした。

んーー工事大変だから構内踏切にしよ!

と、近鉄はなるべく工事の負担を増やさないようにしました。(多分)

このせいで弥刀駅には構内踏切があり、上下ホームは行き来できないままに。

もう1つ、間に構内踏切を作れば少しは便利だろうに

と私は思いました。地元の人もそう思ってるかどうかは、知らん

2面4線になった理由

これは想像ですが、輸送力増大のためです。

弥刀駅は2面4線の駅ですけど、普通しか停まりません。

奈良線八戸ノ里駅と立場は同じ感じ。

特別な駅ではなく、普通しか停まらんのに待避設備がある駅です。

だから、輸送力を増やすために2面4線にした、と考えられます。

なぜ弥刀駅が選ばれたのかというと・・・

大阪線の範囲内でみると、近場は山本・高安に待避設備があって、反対側は布施駅です。

待避設備の数は、3駅に1つあれば輸送力が最大になる(条件付き)と言われてるので、弥刀駅の位置は絶好ですね。

参考論文:列車ダイヤ作成の見地よりする待避線の機能の解析とその計画原則(PDF)

構内踏切の音、なんであんな音に?

出だしの音が「やる気のない音」と言われてますね。

私は電気工学に詳しいワケじゃないんで、確定的なことは言えませんが・・・

出だしだけ音がおかしいので、音を出す装置がバグってるのではなく、最初の電気の通りがバグっていると思いました。

普通、電気はONとOFFでバシっと変わるんですけど、なんらかの理由で電流か電圧がやる気のない感じになってるのでしょう。

ホースを使う女性

電線をホースに例えると、通常は指で瞬時に止めたり、離したりする。

だけど、弥刀駅上りホームの構内踏切は、ゆっくり指を離してるような感じ?・・・このように思いました。

間違ってたらゴメンね

まとめ:調べてみると、ネタが湧いてきた弥刀駅

まぁ引き上げ線のことは調べればすぐ分かることですし、線路をよく見れば鉄ちゃんは車両がどう動くか分かるので、そこまでの話じゃないと思います・・・

2面4線になった理由、構内踏切をつけた理由については、あくまでも私の想像ですけどね・・・

ちなみに、弥刀駅は特急の回送が時々停まってます。

ウワサでは朝の送り込み“しまかぜ”が居て、ひのとり10列車とすれ違うという話がありましたが、今のダイヤでは少しズレてるかもしれません。

それでは今回はこの辺で。またの。

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