近鉄は、こうやって完成した(後編)
1929年、ついに“あの”参宮急行が設立しました。
そして翌年の1930年のうちに長谷寺から伊勢市まで全線開業してしまいます。
1930年
1930年2月21日 | 長谷寺~榛原が開業 |
1930年3月27日 | 宮町~松阪が開業 |
1930年5月18日 | 松阪~伊勢中川~久居が開業 |
1930年4月1日 | 津新地~新松坂が開業 |
1930年9月21日 | 宮町~伊勢市が開業 |
1930年10月10日 | 榛原~伊賀神戸が開業 |
1930年11月19日 | 伊賀神戸~青山町・伊勢中川~榊原温泉口が開業 |
1930年12月9日 | 尺土~御所が開業 |
1930年12月15日 | 河内山本~信貴山口・ケーブル・山上鉄道が開業 |
1930年12月20日 | 青山町~榊原温泉口が開業 |
1930年12月25日 | 新松坂~大神宮前が開業 |
参宮急行が突然でてきて、伊勢電は大慌てで自社線から松阪と通り、伊勢神宮外宮まで鉄道を延ばします。
やはり青山高原は大変だったのか大阪線でも、最後の開業でした。
ですがこの時はまだ旧線で、新青山トンネルはありません。
大阪線を参宮急行に任せた大軌は、河内山本から信貴山の参拝ルートを確保します。
こんな参宮急行無双の時に、しれっとできた御所線。これは大阪鉄道の仲間で、和歌山県橋本まで延ばす予定でしたが・・・計画がストップしてしまいます。
1931年~1932年
1931年3月17日 | 伊勢市~宇治山田が開業 |
1931年7月4日 | 久居~津新町が開業 |
1931年7月8日 | 六石~阿下喜が開業 |
1932年4月3日 | 津新町~津が開業 |
参宮急行は宇治山田駅を完成させ、名古屋方面は津駅まで延伸しました。
これで津から伊勢までは、国鉄・参宮急行・伊勢電の3社の鉄道が通ることに。

国からお叱りが出ますが、参宮急行も伊勢電も知ったこっちゃねぇとバチバチに争います。
1936年~1939年
1936年9月15日 | 参宮急行、伊勢電を合併 |
1938年6月20日 | 津~江戸橋が開業。江戸橋で接続 |
1938年6月26日 | 桑名~名古屋が開業 |
1939年7月28日 | 八木西口~橿原神宮前、新線に |
参宮急行が津まで延伸してから4年の間に何があったのかと言うと
- 伊勢電が名古屋延伸を計画して動く
- 政治家との癒着(?)を疑われて、社長が逮捕
- 伊勢電が転落していく
勢いを失った伊勢電は参宮急行に吸収合併されてしまい、三重も一気に赤くなりました。
参宮急行は最後の仕上げに子会社「関西急行電鉄」を設立。桑名~名古屋を完成させます。
大軌は八木西口~橿原神宮前のルートを改善。今の橿原神宮前駅に統合します。
1940年~1944年
1940年8月1日 | 参宮急行が養老電鉄を合併 |
1941年3月15日 | 大軌が参宮急行を合併、関西急行鉄道となる |
1942年8月11日 | 松阪~大神宮前が廃止 |
1943年2月1日 | 関西急行鉄道が大阪鉄道を合併 |
1944年1月7日 | 信貴ケーブル・山上鉄道が休止 |
1944年1月11日 | 西田原本~桜井が休止 |
1944年2月11日 | 戦時統合で三重交通が発足 |
1944年4月1日 | 関西急行鉄道、南和電気鉄道、信貴山急行電鉄を合併 |
1944年6月1日 | 関西急行鉄道、南海との合併で近鉄に変更 |
ここからは合併や休止、廃止が相次ぎます。
1941年12月8日に大東亜戦争が始まったことによるものです。
まずは伊勢電が持っていた、松阪~伊勢の路線が廃止。
不要不急の路線も相次いで休止します。

国の命令は絶対です。関西急行鉄道は周りの鉄道を次々仲間に入れ、最後には南海も仲間にして「近畿日本鉄道」が設立しました。
1945年~1952年
1945年2月11日 | 平端~法隆寺が休止 |
1945年6月1日 | 小房線の旅客営業が休止 |
1947年3月15日 | 南海が復活 |
1950年7月1日 | 小房線が完全休止 |
1952年4月1日 | 平端~法隆寺が廃止 |
1952年9月1日 | 小房線が廃止 |
戦争の終わりが1945年8月15日です。それまでに法隆寺線・小房線が休止します。
1947年、ちょっとだけ残していた南海高野線の山岳部分、ここを運営していた会社が今の南海です。
そして戦時統合された近鉄(関西急行)と南海は分かれ、今の状態に。
戦後復興中に休止区間となった所でも、特に利益がでない所は廃線になります。
1956年~1959年
1956年9月23日 | 近鉄四日市駅の移転 |
1957年3月12日 | 高安山~信貴山門が廃止 |
1958年12月27日 | 西田原本~桜井が廃止 |
1959年9月26日 | 伊勢湾台風が直撃 |
1959年11月19日 | 名古屋線の標準軌化工事が順次開始する |
重い腰を上げた近鉄は、四日市あたりのルートを改善。今の経路に変えました。
これにともなって、今の四日市あすなろう鉄道と、湯の山線の起点駅も変更。
全て近鉄四日市駅に統合されます。
山上鉄道はバスで。田原本・桜井線は道路に転用されました。
1959年9月26日に記録上、最強クラスに強い伊勢湾台風が直撃。
近鉄は修理しながら狭軌だった名古屋線を標準軌に変えてしまいます。
1961年~1965年
1961年1月22日 | 江戸橋~松阪(伊勢電の路線)が廃止 |
1961年3月29日 | 伊勢中川短絡線が開通 |
1961年10月1日 | 信貴生駒電鉄が大和鉄道を買収 |
1963年4月8日 | 鈴鹿市~平田町が開業 |
1963年10月1日 | 近鉄が奈良電(京都線)を合併 |
1964年 | 湯の山線が名古屋線と直通する |
1964年10月1日 | 伊賀神戸~西名張が廃止 |
1964年10月1日 | 近鉄が信貴生駒電鉄を合併 |
1965年4月1日 | 近鉄が三重電気鉄道を合併 |
伊勢電が作った路線の一部が廃止に。
そしてスイッチバックが必要だった伊勢中川に短絡線が付きます。
1963年に鈴鹿線が延伸。平田町まで伸びます。
これは平田町に工場を複数呼び寄せる計画があったからです。
湯の山線は近鉄と繋がっている方が良いと判断したのか・・・それとも合併の話があって、さっさと工事を進めたか・・・
ナローゲージから一気に高スペック路線に変わりました。
そして近鉄はお得意(?)のM&Aを行います。これで北勢線・湯の山線・志摩線・四日市あすなろう鉄道が近鉄のモノとなりました。
1967年~1970年
1967年3月26日 | 葛城ロープウエイが開業 |
1967年12月20日 | 新ノ口連絡線が開通 |
1969年7月1日 | 賢島~真珠港が廃止 |
1969年12月15日 | 宇治山田~五十鈴川が開業 |
1970年3月1日 | 五十鈴川~鳥羽が開業、志摩線と直通運転開始 |
1970年3月15日 | 大阪上本町~大阪難波が開業 |
日本はかなり経済状態がよくなり、趣味をする人が増加してきました。
というわけで(?)観光地の葛城山にロープウエイを開業。
橿原線と大阪線を繋げる、新ノ口連絡線も開通。奈良、京都方面から伊勢へのアクセスが向上します。
真珠養殖業が儲からなくなってきたので、賢島から先の路線を廃止。
宇治山田までだった近鉄山田線と、入手した志摩線が途切れているので、近鉄は鳥羽線で繋げました。
志摩線は国鉄と接続するために狭軌750Vでしたが、近鉄スペックの標準軌1500Vにアップグレードします。
関連記事:近鉄の謎?普通1本で行けるのに路線名が違う「伊勢志摩エリア」
奈良線は、ようやっと大阪市の圧力をかいくぐり、難波線が開業しました。阪神との直通はまだまだ先で2009年に完成です。
1974年~1976年
1974年7月25日 | 日永~伊勢八王子が休止 |
1975年11月23日 | 新青山トンネルが開通 |
1976年4月1日 | 日永~西日野だけ再開、残りは廃止 |
四日市あすなろう鉄道の八王子線が、水害で休止します。
ですが復活したのは西日野まで。赤字路線だったんです・・・
このせいで「八王子線」と言う名前だけ残ってて、西日野までしか伸びてない意味不明な状態に。
関連記事:近鉄にポイされた?四日市あすなろう鉄道に何があったのか
近鉄大阪線では大きな事故があり、急ピッチで新青山トンネルが開通しました。
1971年10月25日に列車衝突事故が発生。死者25名、負傷者288名の大事故です。
この慰霊碑は東青山と榊原温泉口の間にある「成願寺」にあります。
新青山トンネルが開通、西青山・東青山駅の場所も変わったのですが、この時に営業キロ数をそのままにしています。
- 西青山~東青山:7.7キロ
- 東青山~榊原温泉口:3.9キロ
東青山~榊原温泉口の実際の距離は約2.5キロと、1.4キロも水増ししています。
これは想像ですが、トンネル建設費の回収のためではないかと・・・
なぜ1.4キロだけ増えているのか、その理由は以下の記事に書いたので、気になった方はどうぞ
関連記事:なんで特急停まるねん「榊原温泉口駅」アソコと関係があった
1986年~2017年
1986年10月1日 | 長田~生駒が開業 |
2003年4月1日 | 北勢線を三岐鉄道に譲渡 |
2006年3月27日 | 生駒~学研奈良登美ヶ丘が開業 |
2007年10月1日 | 養老鉄道を完全子会社にして引き継がせる |
2014年3月27日 | 四日市あすなろう鉄道が設立 |
2017年4月1日 | 伊賀鉄道を公有民営方式にして分離 |
あれこれ揉めていた、大阪市営地下鉄の中央線延伸計画がようやっとまとまり、近鉄がけいはんな線を開業。
さらなる延伸まで20年かかりました。これにも色々な事情があったんです・・・
北勢線や養老鉄道、四日市あすなろう鉄道、伊賀鉄道は利用者数が少なくて近鉄は頭を悩ませてました。
こうして赤字垂れ流し路線を手放しました。
わりと上手くいっていて、近鉄は赤字が減り、それぞれの鉄道事業者はなんとか続けていける経営状態になっているようです。
まとめ:近鉄の歴史は複雑すぎた
近鉄の歴史は長いし、複雑で、範囲広すぎて少しだけ大変でした。(笑)
でも、こんなウェブコンテンツならまだ楽なほうで、全部動画にしてまとめたReoさんの方が大変だったと思います。
Reoさんの動画はこちら↓全6本で7時間弱はあります。
まぁ動画は動画で、時系列順ではないのですが・・・
ウチでは時系列に沿って路線図がどう変化していったのか整理したので、動画1周後にまた改めて見ると面白いかもしれません。知らんけど
それじゃぁ、またね。
SNSに撮った写真を載せてるので、ぜひご覧ください。
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