引用:Google Map/ゆっくり考えるさん
ということで、名古屋線の駅で何かないかな、と考えたら・・・
歴史を振り返ってた時に、江戸橋駅が何気に重要な駅だった事を思い出したので、江戸橋駅の歴史を振り返ってみました。
江戸橋駅の歴史を見るとゴチャゴチャしてた?
引用:Google Map/N Lowrenceさん
江戸橋駅は、近鉄名古屋線の歴史を語る時には意外と欠かせない駅です。
その理由は2つ
- 伊勢電気鉄道と参宮急行電鉄が乗り入れ
- 本線と支線の分岐駅だった
それでは順に歴史を追ってみましょ。
江戸橋駅の完成
江戸橋駅は1917年1月1日に開業しました。
作ったのは伊勢電気鉄道。
まだこの時、近鉄の前身「大阪電気軌道」は、奈良線を開業してから3年くらいです。
関連記事:近鉄はどうやってできた?歴史をイチからたどってみた(前編)
伊勢電は三重県で津市と四日市市を直線コースで結ぶ鉄道を作るために動き始めた所。
その途中駅の1つとして、江戸橋駅が開業しました。
参宮急行電鉄の発足と猛追
1929年に大軌は参宮急行電鉄を作り、近鉄大阪線を作らせました。
そして一気に奈良の桜井から宇治山田まで鉄道が繋がり、伊勢中川から北へのルートも作り始めます。
- 1930年5月18日:伊勢中川~久居が開業
- 1931年7月4日:久居~津新町が開業
- 1932年4月3日:津新町~津が開業
伊勢電は参急とほぼ同時期に工事を始め、伊勢ルートを確保。
しかし、これが無茶で会社のお金が全然足りなくなりました。
更には伊勢電の社長が有罪判決を受けてしまい、伊勢電の勢いは一気に風前の灯火に。
こうして参宮急行は、伊勢電を合併。
一気に桑名までの鉄道と、桑名から名古屋までの免許、その他もろもろをゲットしました。
ちなみに、この時の略図はこうなってます。
伊勢電は津駅のすぐ近くに「部田駅」を持ってました。
参宮急行は、もちろん名古屋への延伸もやるつもりでしたので、このままにはしません。
合併から2年後、1938年6月20日に津~江戸橋が開業します。
これで乗り換える手間は残るものの、津駅で無駄に歩くことはなくなりました。さすがに江戸橋から名古屋の全てを標準軌に変えることは大変ですので、とりあえず分岐点である伊勢中川まで標準軌だった線路を狭軌に変更しました。
津~江戸橋が開業したあとすぐ、桑名~名古屋も完成しました。
そっから先の名古屋線や山田線の話は、規模がデカくなるので以下の記事で。
→近鉄はどうやってできた?歴史をイチからたどってみた(後編)
近鉄の発足。そして天災
例のM&Aがアレコレあり、近畿日本鉄道が発足。
大東亜戦争を経て、収益の悪い路線が少しずつ削られていきます。
江戸橋駅から伸びていた伊勢電が作った線路のうち、松阪~大神宮前はあっという間に消滅。
江戸橋~松阪だけは残りました。
と思いながらウダウダしていると・・・
1959年9月に、伊勢湾台風が直撃しました。
この時、江戸橋~松阪の伊勢電が作った路線は狭軌のままに。
そして1961年1月22日に廃止になりました。
江戸橋駅~津駅の間は東側に少しスペースがあって、そこに伊勢電の路線がありました。
名古屋線と離れる所付近は、そのまんまですね。
中途半端にスペースが余ってしまったので、活用が難しいかも。
江戸橋駅の駅名由来
引用:Google Map/りんパパさん
江戸橋駅の駅名は、近くの橋から取りました。
志登茂川(しともがわ)に掛かっている橋で、最近新しくなった橋です。
国道23号線の橋は新江戸橋といい、これは近代になって作った方。
真の江戸橋は、伊勢街道の方です。
三重なのに江戸橋?
この橋がかけられた時期は分かってないようですが、江戸時代にはありました。
津の藩主である藤堂氏が参勤交代の時に、橋のそばまで見送りに来てたことが、橋の名前の由来となったみたいです。
江戸に行くための橋。だから江戸橋。
参考:伊勢文化舎
また橋の近くには、今でいう街灯のようなものがあって、夜は灯りを照らしていたそうです。
引用:Google Map
元々は今の場所より10mほど東、橋のすぐ近くにありましたが、橋の更新時に今の場所へ移動しました。
幕末には伊勢神宮への参拝者が爆発的に増え、夜でも安心して伊勢街道を歩けるようにと、常夜灯が作られたそうです。
駅名への採用
駅の現在の地名は、津市上浜町(かみはまちょう)です。
ですので「上浜」でもまぁ良し。ただ、この町名に関しては適当に調べただけじゃ、どのような経緯で発足したのか分かりませんでした。
どうやら、江戸時代には「大部田村」というエリアだったようです。
参考:津市上浜町の町並み
部田(へた)という名称は、伊勢電の津駅にあたる駅に使用してました。
ですので、江戸橋を採用した・・・と考えられます
江戸橋駅の周辺、これからどうなる?
江戸橋駅は副駅名に「三重大学前」とあるように三重大学があり、その附属病院もります。
以前は車の交通量も歩行者も多いわりに道が狭かったので、津市は税金で道路整備をしました。
その結果が旧江戸橋の改良工事です。
津市の中心に近いだけあって右肩上がり
かなり都市部にある駅なだけあって、年々利用者数が増加している駅です。
※三重県統計書による
ちなみに津市の駅(近鉄)では利用者数第4位の多さ。
1日の平均乗車人員(2019年) | |
---|---|
津 | 15,689 |
津新町 | 6,966 |
久居 | 5,598 |
江戸橋 | 5,013 |
南が丘 | 1,931 |
千里 | 1,638 |
白塚 | 839 |
川合高岡 | 686 |
豊津上野 | 672 |
榊原温泉口 | 554 |
桃園 | 333 |
大三 | 237 |
伊勢石橋 | 49 |
東青山 | 36 |
近鉄がわざわざ宅地開発して駅までおいた南が丘よりも多いです。(笑)
榊原温泉口も・・・伊勢とのかかわりがあるとはいえ、この利用者数で特急を停める意味があるのか、と疑問に思うほど。
関連記事:なんで特急停まるねん「榊原温泉口駅」アソコと関係があった
ですが駅は昇格することはあっても、降格処分になることはあまり無くて、今更
なーんて言ったら、地元からの反発があるでしょうね多分。
で、江戸橋に話を戻すと・・・津市の中ではかなり多い方ですね。
- 津の中心部でも北地域の玄関口
- 三重大学、大学付属病院がある
- 区画整備された住宅地も近い
ということで利用者数がかなり多いです。
ちなみに区画整備された住宅地は、元々工場がありました。
ここにはオーミケンシ株式会社の津工場がありました。
今の航空写真はこれ。
↓過去の航空写真はこれ。
オーミケンシ株式会社は糸を製品に加工する会社です。この辺りは今治・泉州と肩を並べる紡績業の強い地域でした。メインは白塚ですが。
で、志登茂川の向こう側には倉敷紡績株式会社の三重工場が。
反対側には三重総合博物館や、総合文化センター、文化会館があります。
ですが、総合文化センターあたりはバス停があり、津駅から行けるので江戸橋から行く人は居ないでしょうね。
他には市立三重短大もあります。
とはいえ、住宅地も結構ある所なので流入も流出も多い駅かなと勝手に感じました。
ちなみに津市全体で見ると、昼夜間人口比率が100%を超えてます。
つまり、津市外からの通勤、通学者が多いという事です。
まとめ:江戸橋駅も歴史ある街だった
駅名の由来になった「江戸橋」は、いつからあるか分からん橋だったようです。
少なくとも江戸時代にはあったらしい・・・
参勤交代の制度は寛永12年(1635年)に始まりました。
そんな頃からあったとしたら400年近いですね。
近鉄の歴史についても、わりと重要な駅でした。
名古屋線のうち、江戸橋~桑名は伊勢電が。江戸橋~伊勢中川は参宮急行が作りました。
そんな境界駅だったのです。
今回はこの辺で。ほいじゃまたの。
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