今回は近鉄名古屋駅について勝手に調べて、好き勝手にまとめる事にしました。
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言ってる意味が分からない、という人は知らん。
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近鉄名古屋駅の歴史・駅の謎
まずは近鉄名古屋駅の歴史や駅に残されていたり、駅にある「なんやこれ」について適当にお話します。
近鉄名古屋駅の開業
近鉄名古屋駅の開業は1938年6月26日です。
開業させたのは関西急行電鉄という会社で、参宮急行の子会社。
桑名~近鉄名古屋までの開業時に駅も開業しました。
どうやら当初は資金上の理由で小さな駅にしようかと思ってたようですが、将来のことを考えて3面3線で開業しました。
近鉄と名鉄は直通運転してた
近鉄名古屋線の1番線の前の方には、側線跡のような空間があります。
これは昔に名鉄と乗り入れていた時の名残です。
定期列車は無かったようですが、団体専用列車に限り、運行されてました。
実際に直通していたのは1950年8月4日~1952年9月30日までの間と、結構短めです。
なぜ2年ほどしかやらなかったのかは不明。
近鉄側は大阪線系統に合わせるため、名古屋線も標準軌に変えようかどうしようか・・・考えていたであろう時期だと思われます。
将来的に標準軌に変えるとしたら、名鉄の狭軌とは乗り入れできなくなるので、限定的になってしまったのかも。
伊勢湾台風の話とか、名古屋までの延伸については下記の記事をご覧ください。
駅の拡張工事
伊勢湾台風うんぬんの話はスキップして、駅の拡張工事の話に入ります。
1967年に、近鉄名古屋駅は4面5線へ拡張されました。
その名残がこれ
引用:Wikipedia
柱の形が左と右で違いますね。
技術的なことで、新しい方が四角くなってます。
ホームの面積もがっつり広げられて、ラッシュ時の混雑が緩和しました。
昔はどうだったか知らないのですが、今は種別でほぼ使い分けられてますね。
- 1番のりば→普通
- 2番のりば→準急
- 3番のりば→急行・一部準急
- 4・5番のりば→特急
滑り台
引用:Google Map
近鉄名古屋駅には小さな滑り台があります。
これは新聞専用のもので、車両に積み込んで各地に配送しているのです。
だいたいはトラックで輸送しそうなもんですが、結構使ってるみたい。
どの社の新聞が乗ってるかは確認できてません。
かなり前の名鉄の方では、朝日・中日・毎日・日経などが積み込まれていたようです。
知っている方は、ぜひコメント欄に書き込んでください。助かります。
実はココにもあった貴賓室
ということは、もう1つ貴賓室がないと説明がつかないと思います。
そのもう1つが近鉄名古屋駅です。
御召列車として“しまかぜ”が利用されますが、座るのはハイデッカーではなく2両目・5両目です。
天皇陛下がどっから来るのかというと、基本的には東京から。
最短距離は名古屋で降りて、近鉄で移動です。
だから名古屋駅にも貴賓室があります。
どこに貴賓室があるのかは、分かりません・・・
名古屋駅の位置関係
近鉄名古屋駅は、JR東海の名古屋駅と名鉄名古屋駅に挟まれたような感じの位置。赤で囲ったあたりが近鉄のホームだと思います・・・
ついでに言うと、新幹線・あおなみ線は全く逆の方向。
東山線は近鉄・名鉄より1層深めで、桜通線は東山線より深い位置に居るようです。
のちに拡張した4・5番のりばはJR線のある方向へ拡張してますが、どうやらJR線の真下にあるって感じではなさそう。多分ね。
名鉄と東山線は近そうなんですが、連絡通路・改札が無いので、乗り換えが初見には少し分かりづらいようです。
起点駅のようで、起点駅じゃない
近鉄名古屋駅は名古屋線のキロ程0km・・・・・ではなく、78.7キロです。
つまりキロ程上では名古屋駅は終点駅。
ですが、名古屋線の「上り」は名古屋行きで、「下り」は伊勢中川行きです。
最後にできたのが桑名~名古屋。ですので、路線の終点は名古屋。
伊勢中川みたいな周りに何もない駅よりは、名古屋駅の方が都会なので、名古屋行きを上りとする方が分かりやすいですね。
「名古屋」という地名に疑問
そもそも今のJR東海が、1886年に名古屋駅を置いてました。
愛知県なのに愛知市じゃないし、何となく当て字感がある名古屋市・・・一体どんな経緯で決まったのか、気になったので調べてみました。
起源は平安~南北朝時代か
今のところ最も古いのは、平安末期~南北朝時代で荘園名として「那古野」が表記されてました。
荘園名ってのは農地の固有名称のことと思ってOK
今でいうと土地の登記みたいなもん。
「なごや」の語源は、天気が荒れづらい土地(なごやかな地)や、霧(なご)が発生しやすい土地という意味から。
漢字は適当に決めたのかな・・・?と思う。
選択した結果からすると、ちょっとイキってる気がします。
今川氏が築城した「那古野城」
↑これは今の名古屋城です。
戦国時代、今川氏が築城したのが那古野城です。
その後、織田家によって今川家は追放されましたが、那古野城はそのまま残りました。
奪った時のリーダーは織田信秀。信長の父親です。
信長が離れた後は信長の叔父の信光が管理してましたが、廃城となりました。
1609年に、徳川家康が廃城となった土地に目を付けて「名古屋城」ができます。
江戸時代が始まるまで、「なごや」には6つほどの表記がありました。
- 那古野
- 名護屋
- 名古屋
- 名児屋
- 名越
- 浪越
ですが江戸時代には、名古屋と名護屋の2種類となりました。
明治以降
1889年の市制施行によって、名称は「名古屋」に統一されました。
その前に、今でいう東海道本線が名古屋に到達。
駅名は当初「名護屋」を採用していたようですが、翌年には「名古屋」と改称しました。
その理由は謎。
できるだけ読みやすい方を採用したかったのか・・・その理由は分かりません。
関連記事:当麻寺駅と當麻寺、なぜ表記が違うの?その理由は・・・・・
ちなみに「愛知」は
愛知あたり(正確に言うと尾張)の地名は、古くから「あゆち」とか「あいち」と呼ばれていたようです。
他には「あゆちがた」と呼ばれてました。
由来はハッキリと分かっておらず、一応2つの説があります。
- 湧水が豊富な地という意味で「吾湯市」
- 東国へ向かう地という意味で「足結道」
この2説も、断定できないほどのレベルらしい・・・
今の愛知県ができたのは、1872年です。
ちなみにちょっと離れた岡崎や、豊橋、知多半島も含めて額田県でした。
知多は尾張エリアですが、この時は額田県に所属していたようです。
さらに名古屋県から愛知県へ改められて、額田県が愛知県へ編入することになりました。
なんとなく三河エリアと尾張エリアに因縁がある理由の1つが、多分コレ。
これからどうなる名古屋駅
近鉄名古屋駅は、これからどうなってゆくのか・・・
適当に考察します。
下がることは無い
近鉄全体で見れば主要駅の1つ。日本全体で見ても中京エリアの中心駅として君臨しているので、衰退することはないでしょう。
利用者数は近鉄内4位で、名古屋線では1位。これも変わらないと考えられます。
近鉄は2023年春に運賃改定を行いましたが、大きな影響はなさそう。
名古屋駅~桑名駅の間はさすがに離れた人が居そうですけど、桑名よりもっと南の利用者は近鉄一択だと思います。
快適な特急があるし、長距離になればなるほど近鉄の方が安く行けます。
変化のキッカケがあるとしたら、リニア中央新幹線でしょう。
運行車両の更新は・・・
一方その頃、名古屋線系統は・・・音沙汰ありません。
車両の更新はボチボチしているみたいですが、あまり名古屋線系統は力を入れてなさそうです。
近鉄は多分、このようにボヤいてる。
だから名古屋線で使っている一般車両は、更新や整備でごまかしながら、まだまだしばらく使うと思います。
名古屋駅周辺の整備プラン
東口のロータリーにあったコレ↑は撤去されましたね?まだ残ってます?
駅周辺の整備で、東口はロータリーから三叉路に変更されるようです。
他にも歩行者用の道路を整備しなおして、東西の連絡通路も新たに作る予定。
バス乗降場の配置を見直し。
西側の駅前広場(新幹線側)も作り直すようです。
完成はリニア中央新幹線が開業する2027年度を目標にしているみたいですが・・・・・静岡県知事がゴネゴネしているので、リニアの開業がどうなるのやら。
と、ワイは思っています。
JR東海は、おまんじゅう渡さなかったのかな?知らんけど。
まとめ:近鉄名古屋駅は第4位の座を守り切れるだろう
5位は京都駅ですが、ケタが違うので4位から転落することはそうそう無さそう。
2万人近くの差があります。
近鉄の今後の予定は名古屋線系統においては特に無かったと思うので、大きな変化は無いと思います。
リニアの影響が先か。富吉所属の車両の更新が先か・・・くらいの話になりそう。
今回はこの辺で。またの。
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