引用:Google Map
伊勢中川駅は近鉄で大和西大寺や大和八木、橿原神宮前に並ぶくらい重要な駅です。
今回はそんな重要駅の歴史、特徴、面白い所。
中川がどんな町なのか紹介してゆきます。
伊勢中川駅の歴史。なぜ主要駅になったのか
引用:Google Map
伊勢中川駅は松阪市の隅っこにある駅で、位置的にも歴史的にもそこまで栄えてる所ではありませんでした。
ですが、大阪線・名古屋線・山田線の交わる駅として、かなり重要な駅です。
どうしてこの"中川"に駅が置かれる事になったのか、適当に考察してみました。
伊勢中川駅が主要駅になった理由
理由は恐らく以下の3つです。
- 鉄道を通した目的は大阪と伊勢を繋げる事
- 青山峠ルートが認可された事
- 名古屋進出を計画していた
そもそも大阪線・山田線の創設目的は、大阪と伊勢を繋げる事でした。
この前から名古屋方面への進出は計画していたので、どっかから分岐させる必要がありました。
そして大阪線のルートです。
青山峠をぶち抜く計画から、川合高岡で分岐・・・もあり得たのかもしれませんが、実は無し。
傘下に入れている中勢鉄道(久居あたりの鉄道を運営してた会社)で、久居~中川の免許を準備してました。
桃園も計画済みなので、川合高岡では無理だったのです。
ですので、伊勢中川分岐となりました。
参急中川駅
1930年5月18日 | 参急中川駅が開業・津支線開業 |
1938年12月6日 | 津支線を狭軌に変更 |
1941年3月15日 | 駅名を伊勢中川駅に変更 |
1959年11月27日 | 名古屋線を標準軌に変更 |
1961年3月29日 | 中川短絡線が開通 |
1972年9月18日 | 構内地下道・乗降場増設工事完了 |
2012年1月21日 | 新中川短絡線の共用開始 |
ですが、伊勢電との都合により狭軌に変更。
直通ができないので、イセナカで乗り換えが必要だったんで、標準軌に変えたいなぁ・・・と考えてたけど、タイミングがありませんでした。
そこに伊勢湾台風直撃で、復旧しながらの改軌を決定。
そしてスイッチバックで名阪の行き来ができるようになりました。
ということで短絡線を作り、さらにはカーブ半径を広くする工事も行いました。
引用:国土地理院地図
現在の航空写真と1979年~1983年の航空写真を重ねてみたら、どんだけ違うか分かるかなと思います。
昔はR160mのカーブで、現在はR200mです。
意外かな、5面6線は近鉄トップクラスの規模。だけど・・・
並べると、こんな感じ。
ホームの多さで言えば3番目です。
ですが、駅の中身はわりとショボくて、地下通路1本でしか繋がってません。
改札は駅の西側に1箇所。
デカい駅には似合わない設備です。
赤福赤福赤福赤福赤福赤福
メチャクチャ広告があるくせに、赤福の直営店がありません。
駅ナカコンビニなら、売ってるかも。
伊勢中川ってどんな所?由来や歴史
最初の駅名が「参急中川」でしたね。
つまり、中川という地名がとりあえず由来だという事が分かります。
まずはこの「中川」についてどっから現れたのか、考察してみました。
中川は、どこ由来?
結論から言うと、中川の明確な由来は分かりませんでした。
中川とだけ検索にぶち込むと、「真ん中の川」としか出ません。
そこで目を付けたのは、すぐ近くを流れている川、中村川です。
というのも、そもそも中川ってのは1889年4月1日に発足した村が始まり。
現在でいう中川村ってのは
引用元:Google Map
この範囲。
星は現在、中川コミュニティセンターですが、元々は村役場でした。
で、中村川の下流域に広がる村だから、中川村とした・・・・・と考えられます。
中村川村って、ややこしいから。
この中川村は1955年までありました。
中川村が合併。嬉野町に
嬉野という地名は、初代斎王が伊勢中川から権現前あたりの事を「宇礼志野」と名付けたものが元ネタです。
ちなみに嬉野は一志郡でもあったのですが、その一志というのは
古代の豪族「一志氏」から取ってます。
一志嬉野には古墳がチラホラとありますが、その古墳は一志家の人らが埋葬されているそうです。
参考:前方後方墳と「一志の君」
中川新町は駅の設置によりできた
1961~1969年の国土地理院地図です。
駅の周りがスカスカなのは、参宮急行が少し町外れに駅を置いたから。
後に駅周辺が発展したことで、中川新町が設定されるようになりました。
それでもしばらくは閑静な駅周りでしたが、松阪市の再開発事業により、伊勢中川周辺の人口は増加しました。
中川地域の歴史はいつから?
少なくとも平安時代にはあったようです。
今、中川地域の神社といえば、旧初瀬街道沿いにある小川神社。
この神社は平安時代の神社リストに名前が記載されてました。
1908年に一帯の神社(31社)は小川神社に集められ、全て合体しました。
そもそも旧初瀬街道は、天武天皇が居た時代にあった道路なんで、平安時代よりもっと前から町があったと思います。
※天武天皇在位673年~686年
伊勢中川駅はまだこれから?ただの住宅エリアなのに利用者が多い理由は
伊勢中川駅の1日乗降人員(2022年11月8日特定日調査)は6,254人です。
この数字は、山田線で4位。
大阪線においては大阪教育大前より多く、榛原より少ない位置に居ます。
住居地域が近い、超主要駅
伊勢中川駅は特急停車駅ですので、急行も停まります。
名張は・・・需要なさそうなんでカット。
こんな感じです。
特急に乗らんでも、急行で主要な駅へ1時間以内に行けるので、便利な所です。
三重県は車での通勤が多いでしょうが、近鉄を使っての通勤もまぁアリだと思います。
愛知・大阪まで行く人も居るようで、近鉄の利用はそこそこ居るでしょう。
参考:2005年国勢調査
逆に伊勢中川に来る人は?
引用:Google Map
ただ、敷地内にかなり駐車場がありますし、駅からは徒歩17分の距離なので、微妙かも。
これは大学校と言ってますが、大学とは別。
区分で言えば専修学校です。
卒業生は1次産業に就職するか、4年制大学への編入または短大卒程度の公務員受験を受けるといった進路があります。
他には、銀行やらデカい商業施設があるので、電車での通勤者が居るかもしれませんね。
高校はありませんが、伊勢中川駅が縮小化されるこたぁ無いでしょう。
その理由は・・・
伊勢中川デルタ
有名な撮影スポットですね。
スーツ交通の看板がありますが、これは2024年中になくなるらしいです。
また別の所に広告を出したいとか言ってましたね。
スーツ看板は置いといて、良い撮影スポットなので、人がチラホラと訪れるようです。
今後はどうなる?伊勢中川駅周辺の開発予定は
ですので、右肩上がりというよりは平行線。もしくは、緩やかな上昇傾向という感じ。
松阪市は、市内でも2つ目の都市核として位置付けてます。
鈴鹿市でいうと、鈴鹿市と白子。津市でいうと、津と久居って感じの関係性です。
松阪市が考えている、伊勢中川駅のあたりの計画は、そんな感じの本気度でした。
ちなみに東側駅前にはバス停があります。
ですが、三重交通ではなくて津市・松阪市のコミュニティバスですがね。
まとめ:伊勢中川は超主要駅なのに、わりと閑静
伊勢中川は大和西大寺や大和八木、橿原神宮前、生駒に比べたら閑静な方です。
近鉄からしたら主要駅とはいえ、市の主要駅ではないのがポイントかなと思います。
駅周りには銀行やらスーパー、ドラッグストア、ドンキとかありますが、通勤や利用者は車を使う人の方が多いかも。
そのわりには駅利用者がそこそこ多いのは、何だろね?
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