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近鉄四日市駅の歴史は複雑だった・・・元の駅は四日市駅じゃなく諏訪駅?

近鉄四日市駅の歴史は複雑だった・・・元の駅は四日市駅じゃなく諏訪駅?

今回もX(Twitter)のリクエストから。

理由は特になく、四日市駅をやってほしい・・・とあったので、四日市駅の事をアレコレ調べました。

近鉄四日市駅の元祖は諏訪駅なのか。

それとも、諏訪駅四日市駅の統廃合なのか・・・議論が分かれる所?知らんけど。

そんな近鉄四日市駅の歴史を振り返ってみます。

近鉄四日市駅の歴史

近鉄四日市駅の歴史

引用:Google Map

近鉄四日市駅、今の駅舎は1956年9月23日に開業しました。

ですが、元の駅?はそれよりずっと前の1913年5月16日です。

諏訪前駅

諏訪前駅

引用:Google Map

近鉄四日市駅の原型と言われてるのが、諏訪前駅です。

諏訪神社の南側、少し離れた所に駅がありました。

最初にそこへ駅を作ったのは、三重鉄道。今の「四日市あすなろう鉄道」を持っていた会社です。

その4ヶ月あとに四日市鉄道。今の「湯の山線」を持ってた会社が同駅まで延伸しました。

これが1913年の話。

1913年5月16日三重鉄道(四日市あすなろう鉄道)が駅を開業
1913年9月24日四日市鉄道(湯の山線)が乗り入れ

この時は、両社とも線路幅が同じでナローゲージでした。

ちなみにJR東海四日市駅は1890年12月25日に開業。

どっちも四日市駅に向かって線路を伸ばす予定でした。

まだこの時は近鉄奈良線もできてないし、今の名古屋線の原型である伊勢電も路線を全く開業できてません。

近鉄の歴史はこちら→近鉄はどうやってできた?歴史をイチからたどってみた(前編)をご覧ください。

JRの四日市駅すぐ近くに合同駅が完成

JRの四日市駅すぐ近くに合同駅が完成

引用:Google Map

今の四日市あすなろう鉄道湯の山線は、JR側の四日市駅前まで延伸。

ハローワーク四日市付近に駅が開業しました。

1915年12月25日三重鉄道(四日市あすなろう鉄道
1916年3月5日四日市鉄道(湯の山線

この時には近鉄奈良線が開業し、今回の主役である伊勢電も動き始めてます。

伊勢電の経営方針は

国鉄とは違うルートで四日市と津を結ぶ、地域密着型の鉄道会社を作る

伊勢電は白子あたりから、コツコツと名古屋線を延ばしてゆきます。

話は省略しますが・・・地元を盛り上げ、地元の人たちと手を取りあって作ったのが伊勢電・名古屋線です。

大軌のイッキに開業スタイルとは真逆。

伊勢電が四日市に到達する

四日市市はもうすっかり都市部と化していて、なかなか駅を作るスペースがありませんでした。

というわけで、今のJRの横に駅を置くことに。

1922年3月1日、伊勢電の新四日市駅が開業しました。

すぐ駅名は「四日市駅」に改められます。

伊勢電の立ち上げからかなり時間はかかりましたが、何とか四日市まで繋がりました。

当時の伊勢電は満足してたのかもしれません。

ですが、この後に伊勢電の社長に就任する人が伊勢電を爆発的に急成長させます。

伊勢電の新社長「熊澤一衛」

1925年、伊勢電の社長が熊澤に変わりました。

とんでもねぇ人で、37社の会社役員を兼任してたそうです。

熊澤は

もっとデカい会社にするぞ

という事で南北に線路を延伸してゆきます。

南は外宮前まで。北は名古屋まで。

で、今回は四日市の話なので四日市に絞りますが・・・

四日市から桑名まで延伸したいと思っても、免許が取れないことに困ってました。

実は四日市~桑名間の免許は、別の全く関係ない会社が持ってました。

それが揖斐川電気で、今の養老鉄道養老線を所有してました。

ですが本業は電力会社。そもそも半分しゃーなし合併しただけ。

伊勢電は揖斐川電気に「クレクレ攻撃」をして、養老線と免許をもらいます。

実は、免許ゲットと並行して四日市鉄道と三重鉄道の買収に動いてました。

イビデンが持ってた免許は、今の近鉄四日市駅あたりからでした。

だけど、四日市駅から近鉄四日市の間は、まともにスペースがない。

というわけで、三重鉄道と四日市鉄道が使ってた部分を利用させてもらう事にしました。

2社の全株式を買収し、諏訪駅に今の名古屋線湯の山線四日市あすなろう鉄道を統合。

1929年1月30日に諏訪駅が開業します。

この日に桑名までの延伸開業も完了。

こうして四日市善光寺カーブと天理教カーブができました。

善光寺カーブと天理教カーブ

引用:Wikipedia-近鉄四日市駅

名古屋線、最大のネックとなる

こうしてツギハギでできた近鉄名古屋線

カーブの半径は100mと、かなりキツイカーブです。

在来線の場合は、最小半径でも300mくらい。

ですのでメチャクチャ厳しくて、近鉄が当時から使っていた大型車両が通れませんでした。

しかも、まともに速度も出せない。

まだ開通当時は伊勢電が持っていたので、全く問題は無かったんですが・・・

アレコレあって参宮急行が伊勢電を合併した後に、四日市のカーブは要改善ポイントとなったはず。

ですが諏訪駅が開業した1929年~30年は昭和恐慌が起こり、輸入に頼ってた日本は他国の輸出制限で疲弊。

さらには世界情勢も混乱や、日本の国際連盟脱退。

広い目線で見ると、不穏な雰囲気が続く時期でした。

そして支那事変まで発生。日本経済は、しばらく停滞してしまいます。

そのまま大東亜戦争にまで発展し、四日市のカーブに手を付ける余裕がありません。

色々と落ち着いてきた時に新線切り替え

戦争中に合併して近畿日本鉄道に。

戦後、しばらくして落ち着いてきた頃に川原町駅~鹿化川分岐までの部分を新線に切り替えました。(1956年9月23日)

鹿化川分岐

新正駅のすぐそこ。国土地理院地図1961~69年の航空写真を見ると、廃止後のラインがまだ残ってます。

海山道からJRの四日市駅まで、線路があるからそこ使ってたんかと思ってましたが・・・

実はこんなルートだったようです。

ちなみに、今の場所に移転した3年後に伊勢湾台風が直撃。

復旧工事ついでに標準軌への更新工事も同時に行われました。

1973年に四日市駅あたりの高架化工事が完成。

3面6線の大きな主要駅となりました。

年表

1890年12月25日JRの四日市駅が開業
1913年5月16日三重鉄道(四日市あすなろう鉄道)が諏訪前駅を開業
1913年9月24日四日市鉄道(湯の山線)が諏訪前駅まで開業
1915年12月25日三重鉄道(四日市あすなろう鉄道)が四日市駅まで延伸・開業
1916年3月5日四日市鉄道(湯の山線)が四日市駅まで乗り入れ
1922年3月1日伊勢電が四日市駅を開業(JR四日市駅のすぐ横)
1926年~1927年四日市~桑名の免許をゲット。三重鉄道と四日市鉄道を買収
1929年1月30日諏訪駅が開業。四日市~桑名が開業
1956年9月23日近鉄四日市駅が開業。厳しいカーブは解消される。
1959年伊勢湾台風が直撃。復旧工事+標準軌への更新
1973年近鉄四日市駅あたりの高架化工事が完成

近鉄四日市駅が開業した時、諏訪駅四日市駅は廃止になりました。

新線に切り替えたんでね。

で、諏訪駅に乗り入れていた湯の山線四日市あすなろう鉄道は、近鉄四日市駅ができた時に一緒に移動しました。

ですので、正確に言えば2代目諏訪駅近鉄四日市駅の元祖駅とも言えます。

でも四日市駅諏訪駅を廃止して、作った新しい駅・・・とも言う。

個人的には「統廃合」かなー?と思います。

近鉄四日市駅がバズった理由。これからの発展は?

近鉄四日市駅がバズった理由。これからの発展は?

引用:Google Map

これは有名な?話ですが、単に「四日市駅」と言った時は、近鉄の方。

JRと付けないと、間違えちゃうらしい。

実際に近鉄とJRでは利用者数に10倍の差があります。

せいぜい1kmほどしか離れてないのに、雲泥の差です。

これには、3つ理由があると考えられます。

なぜ?近鉄側に利用者数が集まる理由

  • JR駅は、そもそも貨物のため
  • JR側は海に近いけど、工場からは遠い
  • 近鉄の利便性が良く、住宅エリアからのアクセスも良い

四日市は船による物流の拠点だったので、JRは(国鉄)貨物の事を考えてあっこに駅を置いただけ。

しかも、のちに出来た石油コンビナート郡からは遠いので、アクセスは悪いです。

結局の所、コンビナートに出勤したい人は車を選ぶのが便利。

それに比べ近鉄四日市駅は、商業施設があとから増えてきたこと。

四日市あすなろう鉄道湯の山線近鉄四日市駅に接続しているからですね。

実は立地に差はない

四日市市あたりの歴史はとても古く、旧石器時代弥生時代のモノが出土しているらしい。

江戸時代には、五街道の1つ・東海道の宿場町でした。

宿場町ってのは高速道路のサービスエリアみたいなもんです。

そして、近鉄四日市駅の近くにある諏訪神社ですが、鎌倉時代からあります。

参考:諏訪神社

あの辺の国道1号線東海道ですし、港湾も昔っから使っているので、海から陸にかけて元々発展してたと考えられます。

近鉄側に利用者が集中したのは、立地関係なく後天的なもんです。

地名「四日市

地名「四日市」

大きく発展したのは、恐らく江戸時代。

ですが、それ以前からの歴史ある町でした。

室町時代の頃に定期的に市場が開かれることになって、その市場が行われるのが「四」の付く日だったらしい。

これが「四日市」の名前の由来と言われてます。

商業の町として発展し、明治ごろからは国際貿易港へと発展しました。

そっから石油化学コンビナート都市へ進んだのが、四日市市の転換期でしたね。

公害で大変な事になりましたが、今では環境都市として様々な取り組みが行われてます。

参考:四日市市制施行120年の歩み

そんな環境都市「四日市市」を作ったのが、加藤寛嗣(14代四日市市長)です。

この人に関する石碑とかは、お隣の新正駅にあります。

新正駅の記事はこちら→名古屋線で2番目に新しい新正駅、駅構造が特徴的

これから近鉄四日市駅は、こう変わる

近鉄四日市駅の周辺は、整備計画が出ていました。

  • バス専用ターミナルの設置
  • 車送迎のためのスペース作り
  • 東西の導線の確保

また、近鉄四日市駅とJRの四日市駅を結ぶ大通りは歩行空間を広げ、テラス空間を作るなどオシャレな感じにする予定らしい。

もちろん自然も取り入れた、環境都市らしさを残すようです。

参考:都市再生整備計画リージョンコアYOKKAICHI地区(PDF)

なんか、将来的にはリニア中央新幹線が名古屋まで開通する事を見越して、整備方針を出したらしい。

観光ではなくビジネス街として発展させようって魂胆だと思います。

統計的に見ても、四日市市は昼間に流入する方が多いです。

特に鈴鹿市の人が1番多く、次が菰野町(こもの)と桑名市でした。

菰野町の人は、湯の山線でスグなのでアクセスが良いですね。

鈴鹿市の人は伊勢若松の乗り換えを強いられますが、接続は悪くありません。

関連記事:伊勢若松駅の歴史。鈴鹿線のルート設定や駅名の由来を調べてみた

まとめ:近鉄四日市駅は歴史がゴチャついてた

近鉄四日市駅は歴史がゴチャついてた

近鉄四日市駅の元は諏訪駅・・・ですが、その諏訪駅も2代目。

元々の諏訪駅は、ナローゲージの小さな駅でした。

伊勢電が四日市駅の横まで延伸し、伊勢電が路盤もろとも買収して桑名まで延伸。

新・諏訪駅を作ったけど、線形悪すぎて近鉄が作り直す。

そんな歴史がありました。

結果としては、近鉄の方がバチクソ便利すぎるし、JR側は工場地帯から地味に離れてるから電車で通勤する人居ない。

そういう理由で、利用者数に10倍もの差が出たと考えられます。

今回はこの辺で・・・・。

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