引用:Google Map/Suke Maruさん
ゼンサイでもないし、ゼンザイでもない。
洗剤・・・これと発音は同じです。
そんな駅なので駅名が気になりました。
と思ったので、駅名について調べてみました。
前栽駅の由来は1000年以上昔の話から
引用:Google Map/bays_son.べいそんさん
前栽駅は1915年2月7日に開業しました。
今で言う近鉄奈良線が開業して1年が経とうとする頃です。
大軌は、せっせと借金を返している時期でしょう。
天理軽便鉄道
今の近鉄天理線は、天理軽便鉄道が作りました。
天理と法隆寺を繋ぐ、短絡線のような鉄道です。
すでに大和路線も桜井線も完成していますが
という理由で鉄道ができました。
前栽駅付近の状況
国土地理院地図・航空写真の1961~1969年の時です。前栽駅あたりは、こんな感じ。
現住所の「前栽町」はだいたい駅の右(東)にありました。
「杉本町」は現住所で言うともっと広いですが、1960年代は人家はここだけ。
その隣の「平等防町」も、同じくらいだったようです。
1915年頃がどうだったかは分かりませんが、前栽の方が大きい町だったのかな?と思います。
これを踏まえて、歴史をさかのぼってみましょう。
天理市・前栽地区
「前栽」これは植え込みの庭みたいな意味があるのですが、前栽地区の「前栽」は全く別。
どうやら元々は「千代」と書いて「せんだい」と読んでいたらしい。
正確には、東大寺領・千代庄というエリアでした。
- 東大寺領→東大寺が管理、名義人のエリア
- 庄→荘園のこと。「農地」って意味
前栽あたりは、東大寺が持っていた農地だったようです。
当時の法律上、個人が土地を持っていると、税金をガッポリ持っていかれたので節税対策で名義人を有力者やお寺にしていました。
そうすると、いくらでも言い訳をして国税は逃れられます。
ですが、名義人もタダでこんな事しません。
本来払うべき税金よりも安い値段で、土地を貸してました。
千代→千載→・・・→前栽
千代は千載と書くようになり、そっからまたコロコロと変わって、最終的には前栽となったようです。
元々の「千代」の由来はハッキリしてません。
これは私の推測ですが
- 千→多くの
- 代→田んぼ
天理市は「色々と説あるし、分からんわ~」と言ってました。
参考:前栽(せんざい)
千が付いた地名とかは、千畳敷が有名だと思います。畳千畳くらい広いという意味で使用するんで、同じ使い方かな?と思いました。
代は、そのままで「田んぼ」の事を指します。
田んぼを指す場合はシロと発音しますけどね。
地名の漢字がコロコロ変わる理由は、色々とあります。
語呂を良くしたいとか、忌み字を変えたいとか。
細けぇ理由は分かりませんが、「せんだい」→「せんざい」と変わってゆき、最終的には植え込みや庭と同じ意味の「前栽」に落ち着いた。
何となく、この方がカッコ良いとは思います。
住所の歴史からも考えてみる
前栽駅の今の住所は天理市杉本町で、前栽町にはありません。
これは駅名あるあるの、境界においたら住所と駅名が合致しませんわ状態。
同じような駅は、奈良線の新大宮駅です。
天理市の前は、二階堂村でした。二階堂は前栽駅の隣ですね。
二階堂村の前は前栽村・杉本村・平等防村がそれぞれありました。
この3村が合併したのが1889年4月1日。
ですので、前栽駅ができたころは二階堂村の一部でした。
ですが二階堂村の中心街は二階堂駅の方です。
前栽駅あたりは、二階堂村でも前栽エリアなので駅名に「前栽」を採用することになりました。
この根拠は、天理市の校区分けです。
前栽駅辺りは「前栽校区」と言われているので、昔から一帯のメインエリアだったと考えられます。
というわけで、住所上は杉本町だけど駅名は前栽になりました。
参考:大字の由来
前栽駅の歴史年表
前栽駅の歴史をかるーく振り返ります。
1915年2月7日 | 天理~新法隆寺間が開通。前栽駅が開業 |
1921年1月1日 | 天理軽便鉄道が大阪電気軌道に買収される |
1922年4月1日 | 平端~天理間 ナローゲージ非電化→標準軌・電化に |
1969年9月21日 | 600Vから1500Vに電圧をアップ |
1988年2月11日 | 二階堂~天理間が複線化する |
天理線の昇圧は奈良線・橿原線と同じ時期です。
天理線そのものは近鉄の歴史でいえば、わりと古め。全線開業で言えば5番目です。
- 道明寺線
- 河内長野線
- 湯の山線
- 奈良線
- 天理線
この順番で完成してます。
大軌の路線になった、元他社線としては最初の路線が天理線です。
詳しい話は天理線の歴史でしますね。
前栽駅のスペックや利用状況など
引用:Google Map/Kouichi Tさん
前栽駅は1面2線の駅で、急行停車駅です。
基本的な駅設備は整っていて、不便な駅ではありません。
足腰しんどいならエレベーターを。
通勤通学は便利
前栽駅あたりには県立二階堂高校があり、天理、筒井、大和郡山に県立高校があります。
天理市の国勢調査でも流出先のほとんどが奈良市。
次が大和郡山市で、3位が橿原市でした。
昼間の流出のうち、ほとんどが通勤者で、通学は奈良市まで行く人が多いようです。
近鉄電車のダイヤ上、接続はかなり良くてJRより使いやすいのがメリット。
ただし前栽→奈良はJRの方が運賃安いです。駅の場所が違いますがね。
参考:統計情報 国勢調査
観光資源などは無し
前栽駅エリアは、ほぼ住宅です。
神社仏閣は小さなものしかなく、ただのベッドタウンと言っても良い。
ですが歴史ある所で、前栽駅のすぐ近くを通る奈良県道51号線は、古代の街道です。
藤原京と平城京を繋ぐ街道で、史跡がちょこちょこ残っているらしい。
前栽駅あたりで何かあるとしたら、いわゆる天理ラーメンといわれる「彩華ラーメン」の会社・本店が近いです。
彩華ラーメンは、ラーメンに白菜を乗せるスタイルで、醤油味が基本。
どうとんぼり神座に似てますが、彩華ラーメンは香辛料が効いているラーメンなので、全く別物です。
ちなみに開業は彩華ラーメンの方が8年早い。
前栽駅の今後の予定
天理市のマスタープランなどを見ましたが、実行まで動いているものは特にないみたいです。
1つあるとしたら、前栽駅前広場の構想。
前栽駅の北にある北大路線がわりと近いので、そっから駅前までのアクセスしやすい道と、駅前広場があれば良いよね・・・
くらいのレベルで話が上がってました。
ですが、構想段階で実現はまだまだ。
駅周りにはまぁまぁ建物が建ってしまっているので、あまり期待しない方が良いかもしれません。
住みやすさは悪くない
さすがの近鉄で、鉄道網や接続が良くて、県内あちこちに行きやすいです。
ただ、日常的な買い物をするなら車の方が便利。
イオンタウン天理が1番近いかなと思います。
大和郡山にもありますが、ちょいと距離があるので。
病院も天理まで行けば大きなのがあるし、前栽エリアにも市立病院があります・・・といっても、入院はできない小さな医療施設ですけどね。
程よくガヤついてなく、程よく生活インフラが整っている所かなと思います。
実際はどうか知らんけど、夏は蚊に悩まされそうですけどね。
まとめ:前栽駅あたりは東大寺がオーナーだった
引用:Google Map/KENKENKAICHOさん
かるーく調べてみたら1000年以上も歴史ある町だったみたいです。
さすがに新しくできた家とかは別ですが、昔は東大寺がオーナーの農家がまぁまぁ居ました。
そういう経緯で「千代(せんだい)」という地名からコロコロコロ変わって「前栽(せんざい)」に。
駅の住所上は杉本町ですが、前栽町の方が大きいので前栽が採用された・・・と考えられます。
住みやすさはボチボチ。
ただし車がないと大変よ?って感じです。
それでは今回はこの辺で・・・またの。
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