撮り鉄の鉄道ノート

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近鉄志摩線の歴史。開業にゴタゴタした地方鉄道

近鉄志摩線の歴史。開業にゴタゴタした地方鉄道

今回は近鉄の路線シリーズ!何回目かは忘れた。志摩線にします。

近鉄志摩線は英虞(あご)湾周辺の観光地へ行くのに便利な路線で、特急が結構走っている区間ですね。

ですが、すっかりスカスカになっていて、かなり足を引っ張ってます。

そんな、微妙にさえない近鉄の路線、志摩線の歴史を適当に調べてみました。

近鉄志摩線の歴史:始まりからゴタゴタする

近鉄志摩線の歴史:始まりからゴタゴタする

志摩線は今や近鉄のモノとなってますが、元々は全然近鉄とは関係ない志摩電気鉄道が作りました。

この路線ができるもっと以前は、今の志摩市から北の方へ抜けるには、逢阪峠を抜けて内宮の近くを通るルートが一般的。

参宮線ができた1911年7月21日からは、五知峠を超えるルートを使ってたそうです。

五知峠

鵜方の人が立ち上がる

そもそも鳥羽~鵜方の区間については

鉄道作った方が良いよね

と言われてた所だったんですけど、手を挙げる会社が出てきませんでした。

その理由は、関東大震災(1923年9月1日)

世の中は右肩下がりな雰囲気です。

そこで鵜方村の人が立ち上がり、免許と会社を用意。

1926年に志摩電気鉄道を立ち上げました。

計画の変更へ

会社はできた。免許が下りた。さぁ作ろうか?

いや待て。経験ある人に一度、この計画を見てもらおうよ。

ということで、今の東急の幹部の人に相談しました。すると

賢島まで伸ばさないとダメだと思うよ

と指摘され、重役会議でも話し合った結果、鵜方終点にせず賢島まで延ばす事にしました。

この計画変更で鵜方の住民たちはブチギレ。

誰が土地を売るか!

建設の反対運動が展開されました。

志摩電気鉄道は和解金を支払い、何とか土地の買収に成功。

こうして今の近鉄志摩線が始まりました。

ちなみに、今のルートと旧ルートは少し違います。

鳥羽から伊勢まで延伸しようとする

更なる延伸を計画し、まずは鳥羽と二見の間を工事しようと動きました。

ですが、道路との立体交差で話し合いが付かないし、参宮線への乗り入れ立体交差の計画もなかなかまとまりませんでした。

これでどう?

納得できないね

これを何度も繰り返してたら、遠くから見ていた三重県知事は

まとまんねーなら工事の期限延長は認めまへん

とバッサリ切られ、延伸計画は白紙になってしまいました。

戦争による会社合併

それから志摩電気鉄道は鳥羽~真珠港間で細々と経営を続けてましたが

戦争による影響で、会社の統合をする事になりました。

三重県の中小私鉄やバス会社などが合併して、三重交通が発足します。

この時に一緒になったもので、現存している鉄道路線

他にもありましたが、それらは廃線になってます。

のちにバス部門と鉄道部門は分けられて、鉄道部門は1965年に近鉄が合併。

こうして近鉄の路線になりました。

北勢線・内部線・八王子線は後に手放してます。

関連記事:近鉄から分離された4つの鉄道路線・それぞれに何があった?

孤立路線から直通運転へ

孤立路線から直通運転へ

近鉄志摩線をゲットしたものの、完全に路線網から孤立してしまってます。

まだ鳥羽線ができてなくて、伊勢中川~宇治山田までの山田線だけ。

しかも山田線のスペックは、標準軌・1500V

志摩線のスペックは、狭軌・750Vです。

というわけで近鉄鳥羽線の建設と、志摩線のアップグレードに早速取り掛かります。

この間、志摩線は完全運休。バスで代行輸送が行われてたそうです。

更新工事の時代(1970年頃)には、真珠がオワコンになってました。というわけで

真珠港駅を廃止しまーす

こうして新・志摩線がほぼ完成しました。

輸送力の増強工事が行われた

1970年に標準軌への変更と、1500Vへの電圧変更が完了し、それに合わせてすれ違い設備も増えました。

一部では複線化工事も行われたり、特急停車用にホームの延伸も行われました。

白木~五知間・志摩磯部~志摩横山間のルート改善も行われてます。

特急は一部区間ですが最高の130km/hが出せるようになりました。

年表

1923年8月21日志州電気鉄道を設立
1926年6月2日志摩電気鉄道に名称を変更
1929年7月23日鳥羽~賢島~真珠港が開業
1935年7月5日鳥羽~二見の免許が失効
1944年2月11日志摩電気鉄道が戦時統合。三重交通
1946年12月鵜方口駅を志摩横山駅に改称
1949年7月25日志摩赤崎駅が開業
1964年2月1日三重交通の鉄道事業を三重電気鉄道として分離
1965年4月1日三重電気鉄道が近鉄に吸収合併される
1969年7月1日賢島~真珠港が廃止・鳥羽~賢島の貨物営業が廃止
1969年12月10日鳥羽~賢島のアップグレード工事が開始
1970年3月1日志摩線標準軌化・1500V工事が完了
志摩磯部駅→上之郷駅
迫間駅→志摩磯部駅に変更
1975年12月すれ違い設備の増設工事が完成
1988年~1993年一部区間の複線化工事やルート変更、トンネルの完成
1994年4月22日志摩スペイン村が開業
2007年3月1日スペイン村の最寄り駅を志摩磯部駅から鵜方駅に変更

近鉄志摩線の駅で紹介したもの

近鉄志摩線の駅で紹介したもの

今までに、このブログで紹介した志摩線内の駅について、軽く触れてゆきます。

志摩赤崎駅

志摩赤崎駅

引用:Google Map

志摩赤崎駅志摩線の中で最も新しい駅です。

新しいと言っても、そんなにピカピカの駅ではありません。

ちなみに「あかざき」ではなく「あかさき」です。

駅名の由来は、多分「赤崎神社」

この神社は伊勢神宮系列の神社で、夏にはお祭りが行われます。

>>近鉄志摩線で最も新しい駅「志摩赤崎駅」どっから駅名取ったんや?

志摩磯部駅

志摩磯部駅

引用:Google Map

志摩磯部駅は特急停車駅の2面3線駅です。

このうちの1線は賢島方面にしか行けない頭端式になってて、伊勢志摩ライナーが停まってます。

これは賢島のキャパシティでは足りない、特急の休憩場所として使用。

土休日の12時11分頃には、ホーム上と留置線に伊勢志摩ライナーが3列車揃います。

磯部は元々、志摩スペイン村の最寄り駅として、スペイン風な駅舎になってますが・・・

という理由で最寄り案内を磯部から鵜方に変えたんじゃないかと思います。

こうして立派な駅舎だけが残る、特急停車駅になってしまいました。

>>志摩磯部駅にある3番線は何のため?駅の歴史も一緒に調べてみた

まとめ:近鉄志摩線は、どんどん衰退へ?

近鉄志摩線は、どんどん衰退へ?

引用:Google Map

志摩線はコロナの影響もありましたが、右肩下がりが止まらず、本数削減が行われましたね。

日中の普通が1時間に1本ってレベルです。

その代わり、特急はバンバン来ますが。

話によると、志摩スペイン村もガラガラのようで、なかなか志摩線は厳しい状況が続きそうです。

株主として何か言うべき?

今回はこれで以上です。ほいじゃの。

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