撮り鉄の鉄道ノート

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俊徳道駅は貴重な昭和元年にできた駅。坊主の説教が由来だった!?

引用:Google Map

今回もX(Twitter)でリクエストを受け付けた駅をやってゆきます。

主に駅名「俊徳道」の由来について調べてみました。

いつもと同様に、いつ出来たのか・・・とか、どう進化してきたのか・・・の話もします。

俊徳道駅の歴史。最初は地上駅だった

まずは俊徳道駅の歴史をサラっとおさらいします。

今はJRおおさか東線の上にありますが、最初は地上駅でした。

近鉄大阪線の開業から時差があった俊徳道駅

俊徳道駅は1926年12月30日に開業しました。

哀しくも、大正天皇崩御から5日後の事で、わずか7日間しかない昭和元年に開業した、昭和初の新駅として記録に残ってます。

現在の近鉄大阪線はこの時、布施~恩智と大和高田~八木西口が完成してました。

ほんで布施と長瀬の間に駅を追加したような感じ。

  • 約1年前に弥刀駅が開業と時期は開いている
  • 大阪線奈良線と開業動機が違う
  • 駅を後回しにしていた傾向アリ

という事から、俊徳道駅は新たに追加というよりは、計画してたけど優先順位が低かった駅・・・だと言えます。

詳しい大阪線の話はこちら→近鉄大阪線の歴史。近鉄の超重要路線を深掘りする

優先度が低めだったと思われる理由は3つ

  • 布施~長瀬の駅間が2.1km
  • 永和はまだだけど小阪駅があった
  • そこまでの人口密集地ではなかった

このため路線開業から駅開業まで時差があったと考えられます。

城東貨物線との兼ね合いも考えられる

俊徳道駅ができた頃は、まだ城東貨物線(おおさか東線)は吹田~放出まで。

放出~平野(関西本線大和路線)の工事開始が1929年でした。

ですので

貨物線の計画あるからな

とアチコチに公告してたと思われます。

鉄道は国の命令に背くとBANされかねないので、重なる部分の駅配置は少し様子を見たのかも。

そして、城東貨物線は1931年8月に開通しました。

ですので、最初は地上に大阪線。その上をまたぐように貨物線がありました。

布施駅の要塞化工事による、高架化工事

1956年、輸送力の増加により、布施~鶴橋が実質上の複々線化が行われました。

これにより列車が集中する布施駅がパンクしそうになります。

これ以上、本数増やせません!

二重立体構造にしたら良くね?

1972年に高架化工事が始まり、1977年に完成しました。

この時、俊徳道駅も同時に高架化される事になって、おおさか東線より高い位置になりました。

架けられた鉄橋は、アーチ橋ですがランガー橋という種類で、柱が細いものをランガーと呼びます。

耐久力はあるのか?と不安になりますが、太い橋桁で受け止めているので大丈夫です。

参考:アーチ橋とは?-橋梁の種類その1

俊徳道駅の駅名はどっからきた?俊徳街道と俊徳丸伝説

引用:Google Map

俊徳道駅の住所は東大阪市荒川です。

俊徳町は隣。これは"あるある"で、新大宮駅もそう。

関連記事:近鉄奈良線で新しい駅「新大宮駅」にフォーカス当ててみた

俊徳町・俊徳街道

俊徳道駅は俊徳町という地域のすぐそこで、俊徳街道とクロスしている事から駅名が決まりました。

俊徳街道の方が元祖なので、「俊徳町」ではなく「俊徳道」にしたと思われます。

では、その俊徳とはどっから現れたのか・・・

それは俊徳丸伝説が由来です。

俊徳丸伝説

由来の地は高安の山畑地区(服部川駅の東側)あたり。

ちなみに伝承上の人物なので、実在はしてなかったと思います。

高安あたりにあった名家は、ようやっと息子を授かり「俊徳丸」が産まれました。

俊徳丸は頭が良くてイケメンだったので、四天王寺で舞を披露するように。

その舞を見た、別の名家のお嬢様(乙姫)は完全に惚れてしまったようで、アプローチを開始します。

一方、俊徳丸の家では事件が起こります。

俊徳丸の継母は、自分と旦那様との間にできた子を跡継ぎにしようと良からぬ事を企みました。

その結果、俊徳丸は失明していまいます。

更に「らい病」という病気までかかってしまい、家から追い出されてしまいました。

俊徳丸は大変な体を引きずって、何とか四天王寺へたどり着きます。

乙姫は俊徳丸が居なくなった事を知り、探し回りました。

縁がある四天王寺も探してみた所、俊徳丸を見つけ、優しく寄り添います。

四天王寺で一緒に祈願したら、なんと俊徳丸の病気がみるみる治っていきます。

俊徳丸は追い出された身ですが、乙姫は実家があるので、一緒に乙姫の家に戻りました。

そして2人で乙姫の家を継ぎ、事業を発展。それなりに豊かな生活を送りました。

逆に俊徳丸の実家は衰退してしまい、継母は物乞いにまで没落してしまいます。

そんな継母に手を差し伸べたのは、俊徳丸が継いだ家です。

最近でいう「スカっとエピソード」のようなものです。

ですが、この伝説はいわゆる"説教"が原作だと言われてます。

寺の坊主が民衆に伝える説教です。

説教自体は室町以前からあったようで、江戸時代には説教節というエンタメとなり、より多くの人に広まりました。

説教節に並ぶ江戸時代のエンタメは浄瑠璃や能、狂言、歌舞伎ですが、そもそも説教節とは原作のルーツが違います。

  • 説教節→坊主の説教
  • 浄瑠璃など→古い伝承や歴史

特に俊徳丸は特に古い説教として「古説教」と言われてます。

また説教の中でも代表作5つのうちの1つとして名前が挙がった事もあるとか。

ただし、五説教は何を指していたのかは不明です。

俊徳丸が歩いた道「俊徳街道

その伝承上の人物、俊徳丸が歩いた道を俊徳街道と呼びました。

沿道には「俊徳」と付いたものが、いくつかあります。

引用:Google Map

俊徳道から少し西に行った所には、俊徳地蔵尊。駅周りは多分これくらいで

引用:Google Map

今里筋まで行った所の平野川には俊徳橋が架かってます。

橋の少し西には、東俊徳地蔵尊。もう少し四天王寺へ近づくと、西俊徳地蔵尊があります。

も1つ西へ行くと、御勝山古墳です。

この古墳は、説教節の中に出てくる「つかわしやま」の事を指してるんじゃねぇかと推測されてますが、真偽は不明。

また、高安山の方には高安千塚古墳群の俊徳丸鏡塚古墳がありますが・・・

伝承の時期と古墳の時期が合わないので、ただの勝手な結びつけだと言われてます。

俊徳街道から取った俊徳町

俊徳道駅のすぐ隣にある俊徳町は、名前の通り俊徳街道から取ってます。

ですが、その細かい理由については分かりませんでした。

1つハッキリ言えることは

俊徳道のある東大阪市荒川は、1928年時の国土地理院地図航空写真を見ると

引用:国土地理院地図

こんな感じ。

わりと駅の北側はスカスカなので、そもそも荒川なんて地区名はなかったのかも。

で、俊徳町があったから駅名に「俊徳」を採用。

とはいえ、俊徳の発祥地ではなく俊徳街道にある駅だから、俊徳道にしたのでしょう。

俊徳道駅は駅前広場事業が終わり、これからどうなる

引用:Google Map

俊徳道駅は2019年3月28日に駅前広場の事業が終わり、供用開始しました。

JR俊徳道駅との間は約11年、何もありませんでしたが、タクシー乗り場やバス停、商業施設が入りました。

おおさか東線の開業と駅前広場の完成

城東貨物線が今の形になったのは、1939年です。

それからしばらくは貨物線として動いてたようですが、まずは久宝寺~放出の南区間が開業しました。

1950年頃に、この貨物線の旅客線化は構想されてました。

いや、こんな路線需要あるかアホ

そもそも国鉄にそんなカネは無く、完全に後回し。

住民による建設運動も特に出ませんでした。

そういう理由で、かなり放置。

1996年になって、ようやっと話が進んだのですが、放出~新大阪の北区間は色々と問題が発生して、着工が延期。

旅客化されてJR俊徳道駅が開業しました。

その後、東大阪市

こんな駅前じゃアカンて。綺麗な広場を作るぞ

駅前の土地を買収。2018年までには建物の取り壊しも完了して、ほぼ更地になりました。

2019年3月28日に駅前広場が完成し、今の状態に。

2009年は様々な建物があったのですが、次に撮影された2014年にはほとんど残ってませんね。

Googleマップのアドレスは→俊徳道駅前の変貌

俊徳道駅の利用状況

俊徳道駅の1日平均乗車人員は3,575人(2018年)でした。

同、統計の布施と河内永和のデータは

  • 布施:19,633人
  • 河内永和:5,668人

河内永和も俊徳道駅と同じで普通しか停まらないのですが、駅の有効範囲の違いにより俊徳道駅がかなり食われてます。

  • 布施から乗った方が便利だし距離も遠くない
  • 特に西から北東にかけては食われやすい
  • 南は長瀬、西は千日前線がある

そのため、周りの駅と比べるとちょっと寂しい感じです。

駅から同心円を入れると、こうなる。

このように四方1km範囲に駅がかかってしまうので、立派なわりに利用者が少ないという立地に。

ですので、俊徳道駅の有効範囲はわりと限定的です。

ツール使用先→グーグル地図に同心円を作成

俊徳道駅周辺・これからのプランは

俊徳道駅の周りは住宅もありますが、さすがの東大阪市。第2次産業もゴロゴロあります。

駅前広場が設置され、高架下のスペースは近鉄がオーナーになって貸し出しているようです。

ちなみにスーパーKINSHO Pochette(近商ストア)は近鉄グループホールディングスの孫会社。

ちゃっかりしてますなぁ~

東大阪市は主に布施駅を中心に「誘導区域」と設定してます。

この辺りを俊徳道駅の近くに置こうと考えてはいるらしい。

もちろん、全部ではありませんが・・・

将来的に何かしらの施設が新たに設置される可能性があります。

まとめ:俊徳道駅は道路が由来だった

俊徳道駅は、駅の近くを通る「俊徳街道」が由来です。

この俊徳街道は坊主の説教、俊徳丸伝説から名前が付けられました。

街道が通る町から俊徳町ができたことから、駅名の採用には「道」が付けられて、俊徳道駅になったと考えられます。

ただ、街道の近くに駅があるだけで、俊徳丸伝説に触れられる地域ではないので、あしからず。

ほいじゃ、またの。

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