引用:Google Map
今回は近鉄山田線の斎宮駅について、またいつものように好き勝手に解剖してゆきます。
X(Twitter)にて、いつでもリクエストを受け付けているので、あの駅やってほしい。あの駅のアレが気になる。などありましたら、いつでもどうぞ。
もちろん、ブログ記事のコメントでもOKです。
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斎宮駅の由来「斎宮」とは何なのか?
斎宮駅のすぐ近くには「さいくう平安の杜」や「いつきのみや歴史体験館」「斎宮10分の1史跡全体模型」があります。
伊勢志摩ライナーや、しまかぜに乗り、伊勢方面に行く時は斎宮駅を通る時にアナウンスもあります。
と思う人が居るかどうかは知らんけど、できるだけ分かりやすく解説します。
斎宮とは、皇族の住んでいた所
斎宮は皇族の住居でした。
ですが、ただの皇族ではありません。
- 天皇の代わりに神宮に仕える皇族
- 皇族でも未婚の女性に限られる
- 占いの儀式で決まった人
ですので、神道のトップである天皇が仕えて祭祀を行うべきなんでしょうが・・・
以上の理由で仕える人(斎王)を決めて斎宮に住むシステムができました。
神宮が何故"伊勢"に置かれるようになったのか
引用:Google Map
時は紀元前93年。第10代・崇神天皇の5年の時、病が流行って多くの人が死んでしまいました。
もちろん当時は医療なんて高度な事は分からず
八咫鏡は天照大神そのもの。パワーが強すぎてケンカしたと思ったのかもね。
一旦は"笠縫"という地域に移されました。
そして本格的に鏡を祀る場所探しへ。
第11代・垂仁天皇の四女は鏡を持ち歩き、各地を移動しました。
伊勢の地に入ると
と、八咫鏡が伝えてくれたらしいです。
決まったのは紀元前6年だと言われてます。
こうして、伊勢に八咫鏡が祀られる事になりました。
仕える人、斎王の選定
そもそもは天皇と八咫鏡の距離を取るために行ったので、天皇が祭祀を行わないのは当たり前の話。
じゃぁ誰がすんねん?
斎王は常に神に仕える事になるため、普通の生活ができなくなります。
だから家庭を持たない女性が選ばれる事になりました。
この事から、巫女=処女という印象がありますが、どうもそれはちょっと違うみたいです。
参考:本来、巫女は処女ではない?巫女の処女性に対する歴史と今
選ばれたのは、皇族の内親王殿下や女王殿下でした。
さらに占いで選ばれます。
その方法は主に亀の甲羅を火であぶり、その時に入るヒビを見て決める方法でした。
参考:斎宮Q&A
斎宮の場所や規模、大きさ
引用:Google Map
斎宮の場所が何故、今の明和町の辺りにできたのか・・・詳しい事は分かってないそうです。
推定ではありますが
- 神宮の近くだとパワーのぶつかり合いが気になった
- 神宮へ向かうルート上に置く事で権威性を示した
と言われてますが、仮説の域でしかありません。
斎宮の大きさ自体も正確には分かってない時代もありました。
特に奈良時代はハッキリしない事が多いです。
最大で東西1km・南北500mの敷地を有していたと推定されてます。
参考:斎宮Q&A
なぜ斎王制度がなくなったのか
斎王制度がなくなったのは、1333年です。
このタイミングは天皇家が南北に分かれた時。
斎王の候補者は居たのですが、軍行(伊勢への引っ越し)が行われなかった事で、途絶えてしまいました。
一時的に治まった足利義満の時代(1392年)からは天皇の権威は保たれたものの、権力をしっかりキープされてしまった事で、人やカネをかけづらくなったと考えられます。
また、60年放置された事で斎宮がボロボロになってしまい、修復にもカネがかかるという理由で放置されたかも。
とでも思ってたのかもね。
そもそも式年遷宮の方が重要で、斎王制度はオマケのようなものだったらしい。
参考:斎宮Q&A
神宮には神宮で宮司さんなど管理者が居たので、特に問題は無かったのでしょう。
ちなみに戦後からは皇族出身の女性が神宮の祭主に就任しているけど、斎宮・斎王制度とはまた別です。
斎宮村から明和町へ
斎宮自体は600年前には消え去りましたが、近代では「斎宮村」として名前は残ってました。
ですが1955年に斎宮村と明星村が合併して、斎明村に。
どっちか一方を採用せず、村名を合成しました。
明星村は明星駅の周辺です。
斎宮も明星も駅ができた時期は、それぞれ別の村でした。
1958年に三和町(今の明和町の海側のエリア)と合併し、明和町になりました。
この方が両方から不満が出づらいんだろうね。
斎宮駅の歴史と今後
引用:Google Map
斎宮の話はこの辺にして、斎宮駅がどんな変化をしてきたのか振り返ってみました。
近鉄山田線の開通と共に始まった
斎宮駅は1930年3月27日に開業しました。
参宮急行が松阪~宮町を開業した時と、同日です。
この時、同日に開業した前後の駅は、櫛田駅と明星駅。つまり、漕代は追加駅です。
駅間距離はこうなってました
斎宮村の村役場があったとされている場所からは、結構離れてます。
斎宮駅と明星駅の間くらいにあったらしい。
ですので、どっちかというと伊勢街道沿いの町の人がアクセスしやすい場所に、斎宮駅を置いたのが自然ですな。
1944年に駅舎を作ったそうですが、時期の詳細は不明。
1992年に建て替え工事を行いました。
史跡公園口を設置
引用:Google Map
駅の南側だけだった出入り口ですが、北側(史跡側)にもできました。
2015年3月19日に供用開始。
こちらには明和町の観光情報コーナーや、コインロッカーが設置されてます。
式年遷宮に合わせたんかと思いきや、式年遷宮は2013年なので2年ズレ。
ちなみに、山田線で優等列車が停まらない駅の中では、ちょっと利用者が多めです。
明野>東松阪>斎宮
って感じ。
明野は県立明野高校や陸自駐屯地があるのが理由でしょう。たまーに低空でヘリが飛んでることありますね。
東松阪は松阪市の中心部に近いだけあって、利用者が多いです。
明野、東松阪は1000人強くらい1日平均使ってますが、斎宮は800人ほど。
他は200とか300くらいから600とかなので、観光資源のおかげで多めになってます。
今後の変化はあるのか
正直言って無し。
明和町は、とりあえず役場の周辺は重点的にしっかり構えようとは考えているみたいです。
近鉄の駅うんぬんは、現段階では特に何も計画なし。
斎宮駅はもうキレイになっちゃいましたからね。
明星駅も特に改造する気はありませんでした。
関連記事:明星駅の歴史と駅名の由来。この駅も水が関係してたとは、思うまい
斎宮駅まわりの見どころ
引用:Google Map
特に「さいくう平安の杜」は一部の近鉄特急でアナウンスあり。
斎宮駅を通過してすぐの場所に、平安時代の時の建物が3つ復元されてます。
車窓から見てると一瞬なので、見逃してしまうかも。
引用:Google Map
その復元された建物のすぐ近くには「斎王の庭 空と風のはなばたけ」があります。
デザインされた花畑で、色とりどりの花が植わってて撮影スポットに。
引用:Google Map
踏切を超えた先には「竹神社」があります。
斎宮あたりの神社を全て合祀してできた神社です。
手水舎に季節の花があって、キレイだと評判のスポット。
まとめ:斎宮はもう少しで700年目を迎える
引用:Google Map
斎宮が使用されたのは1332年が最後。言うてる間に制度停止から700年を迎えようとしています。
知らんけど。
史跡のアクセスはかなり良いのですが、伊勢志摩ライナーとか、しまかぜでアナウンスするくらいなら、昼の間だけでも急行を停めたら良いのに。
と思うワイでした。
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