さて今回は今里駅です。

と疑問に思ったので、適当に調べてみました。
その他、今里駅のちょっとした歴史など、軽く触れてゆきます。
近鉄の今里駅、なぜ地下鉄の駅と離れてるの?
近鉄の今里駅と大阪メトロの今里駅は750mほど離れてます。
こんな距離で、しかも独立した連絡通路も無いので、乗り換え案内は一切ありません。
それでは順番に歴史を追ってみましょう。
今の近鉄奈良線が開業する
大阪メトロ(大阪市営地下鉄)の今里駅は、かなり後でできました。
先にできたのは近鉄で、最初は今里駅ではなく片江駅でした。
1914年4月30日、大阪上本町~奈良の開業時に片江駅(今里駅)が開業しました。
この駅名の由来は、地域名です。
片江地域
今里駅の住所は生野区新今里ですが、これは今の住所。
しかも、今里駅は生野区と東成区のちょうど境界にあります。
このうち駅北側の東成区の、今里駅のあたりが、いわゆる片江地域です。
引用:東成区
今里駅のすぐ近くには、大阪市立片江小学校があります。
この小学校の住所には「片江」なんて名前が付いてません。
理由は同じで、片江地域から。
で、さっきの地図上の今里地域に大阪メトロの今里駅があります。
東成区の中心街が今里地域で、近鉄の今里駅が何故はずれた所にできたのかというと・・・
大阪の中心部から奈良に向かって「できるだけストレートに鉄道を作りたい」と考えた、大軌のイカれた事業計画によるものですね。
それでも開業当初から駅があったので、かなり人が住んでいた地域だったのだと思われます。
駅名の変更「今里片江」に
開業から8年後の1922年、駅名が「今里片江」になりました。
理由はよく分かりませんが、なぜか今里が付きます。
実は「今里」という地域名、狭い意味で言えばさっきの東成区の真ん中あたりの事を指しますが・・・
広い意味でいえば、東成区から生野区にまたがった地域の事も指すようです。
上の方が少し見切れましたが、こんな感じ。
これが、広い意味での今里というエリアなので、余裕でその中に入ってますね。
今里駅になる
1929年に「今里駅」に、またもや名称を変更しました。
どうも、今里という地域は古くは平安時代からの街で、その時のお金持ちが自分のお金で開発した地域でした。
そして庶民を住まわせたり、働かせたりして、家賃収入みたいなものを取ってました。
だけど、豊臣秀吉が

いわゆる太閤検地が行われて、お金持ちが持ってた土地は1度解体。
その時に「大今里」「西今里」「東今里」などなどの村に分割されてしまいました。
今里という地域名は、豊臣秀吉の時代からあったのです。

と考えたのか、今里駅へ駅名が変更になりました。
大阪市営地下鉄の計画
大阪市は市内発展の為に地下鉄の計画を進めてました。
御堂筋線はもちろん東西の路線として、まずは今回とは関係ない中央線も計画。
ですが、それだけでは足りないと考え、千日前線も計画しました。
当初の計画は、こんな感じ。
野田阪神より先は、神崎川の辺りまで伸ばす予定だったし、南巽より先は近鉄大阪線の弥刀駅まで延伸する予定だったそうです。
ですが、大人の事情で止めになったらしい。
恐らく北側は淀川超えが大変。弥刀は東大阪市だから、そこまでしなくても良くね?と様子を見たのかもしれません。
ちなみに、鶴橋駅から今里、新深江と少し北上しているのは計画通りです。
- 東成区の中心地に鉄道を通したい
- 近鉄と競合しないように
- ちょうど良い大きな道路があったから工事しやすい
多分、こういった理由で千日前線の計画を作ったんでしょう。
一旦まとめると・・・
こういう理由で、近鉄の今里駅は地下鉄の今里駅と離れているのです。
今里駅
引用:Google Map
今の今里駅は3面4線の駅になってますが、元々は2面2線だったようです。
1930年~1931にかけて大阪線・山田線が完成した時も、まだ2面2線。
今の形になったのは1956年の話です。
スペックの都合上、大阪線の全通過があった
大阪線と山田線の開通から、鶴橋~布施の複々線化まで、今里駅は奈良線の普通電車しか停まりませんでした。
理由は3つ
もちろん、こんな不便を近鉄が放置するわけなく、1956年にとりあえず複々線化。
昔は今と違っていて
こうなってました。
1969年に奈良線の電圧が600Vから1500Vにアップ。大阪線と同じスペックになりました。
1975年に線路運用の切り替えが行われて、今のように
こうなりました。
このおかげで(?)撮り鉄スポットにもなりましたね。
唯一の3面4線駅なのに普通しか停まらない
今里駅は3面4線と、特急停車駅の桑名駅よりも立派?な構造です。
桑名駅の紹介記事はこちら→近鉄桑名駅、なんで特急停車駅なのに2面3線なの?
利用者数が少ないから普通しか停めないのか。
それとも、普通しか停めてないから利用者が少ないのか、今里駅の利用者数はちょい少なめ。
2019年の1日平均乗車人員は5,805人でした。
隣駅の2019年のデータは
- 鶴橋:87,754人
- 布施:19,462人
でした。今里駅の利用者数は、河内永和とかよりも少ないです。
ちょい離れますが、地下鉄もあって利用者が分散しているっぽい。
ちなみに、難波までは地下鉄の今里・新深江からでも、近鉄でも運賃は同じです。
どちらにも駐輪場があるので、行き先によって近鉄と地下鉄を使い分けてる人も居そうな感じ。
まとめ:今里駅は何回も変身した
駅名は「片江」→「今里片江」→「今里」と変化しました。
最初は通称の地域名から取りましたが、広義の意味での今里を採用。
今里の地域名は歴史が長いこともあって、採用したのかもしれません。
奈良線と大阪線の完成で複々線へのグレードアップと、今里駅のホーム追加も行われました。
国土地理院地図の航空写真を見てみると、南側に追加してるようでした。
今里駅は鶴橋駅ほどではないかもしれませんが、駅の端っこで撮影している人が居ますね。
ワイはまだ2度しか行った事がないので、また撮影してみようかなぁと思ってます。
それでは、またの。
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