今回は布施駅を紹介してゆきます。
そのため、布施駅は二重立体構造になってます。
日本各地には二重立体構造の駅がいくつかありますが、布施駅はその中でも2番目に完成した駅です。
最初はJR西の福山駅。
- 布施駅の歴史。駅名が2度変わった駅
- 布施駅の特徴、エスカレーターに気を付けろ
- 布施の由来。どんな地域で、これからどう発展する?
布施駅の歴史。駅名の変更や高架化工事で変身しまくった
布施駅が高架化されたのは1977年6月25日でした。
その次にできたのが、京成青砥の1986年。
最初に2重立体構造駅になったのは、JR西の福山駅。新幹線と在来線の2重立体構造です。
深江→足代→布施
1914年4月30日、近鉄奈良線の全線開通と共に(現)布施駅も開業しました。
当時の駅名は「深江」です。
その理由は、今の場所より少し西に駅があったから。
引用:Google Map
住所的には足代新町なのですが、ちょいと北の方に集落があり
深江稲荷神社もあります。
東成区の深江地区のために駅を置いたから、深江駅にしたのでしょう。
何かあったのでしょうか、1922年3月に足代駅に名称変更しました。
この後、大阪線と分岐するため今の場所と同じ場所に移動。
1925年4月、布施村は人口増加によって布施町になりました。
ということで9月に布施駅となりました。
線路の大規模な工事
今や布施駅から鶴橋駅は複々線ですが、1924年~1956年までは複線で頑張ってました。
途中、奈良線は600V
大阪線は1500Vと電圧に差があったので、布施駅にデッドセクションというものが設置されてました。
直流と交流。近鉄のように電圧に違いがある時に、そのまま突っ込むと非常に危険。
だから電気が通っていない区間を、意図的に作っています。
パンタグラフが勝手に上がらないように、架線自体はあるけど通電はしてません。
1956年12月8日、布施~大阪上本町が線路別複々線化になりました。
線路別ってのは
こういう事。
まだこの時は大阪上本町~大阪難波がなく、奈良線・大阪線共に上本町の地上駅が始発でした。
次に起こったのが、難波線の開通です。(1970年)
これで具合の悪い事が発生しました。
- 大阪線から難波へ行きたい人が居る
- 乗り換えが少々面倒くさい
- 人口増や車の普及で高架化工事が必要になってきた
そして大規模な高架化工事が始まりました。
もちろん範囲も広いし、事業規模が超デカいので、大阪府主導で行われました。
1972年2月に工事が始まり、1977年6月に完成しました。
この工事の途中で、方向別複々線へ切り替わりました。
年表
1914年4月30日 | 深江駅開業 |
1922年3月 | 足代駅に駅名を改称 |
1924年10月31日 | 大阪線との分岐のため、200m東へ移動 |
1925年9月 | 布施駅に駅名を改称 |
1929年1月5日 | 大阪線が1500Vに昇圧・布施駅にデッドセクション |
1956年12月8日 | 布施~大阪上本町が線路別複々線化 |
1970年3月15日 | 近鉄難波線が開通 |
1972年2月 | 布施も含む高架化工事が始まる |
1975年9月14日 | 方向別複々線に切り替え |
1977年6月26日 | 高架化工事が完成 |
以降は大した事がないので、省きます。
布施トラップに気を付けろ
布施駅のエスカレーターは、2階から4階へ直接行けます。
鶴橋方面に行くなら問題はないのですが
奈良方面や大和八木方面に行きたい場合は、乗り間違い注意です。
近鉄の大回り区間
この布施駅。そして大和西大寺と大和八木駅のトライアングル内については、大回りをしても短い方で計算する事になってます。
布施駅にはもう1つ特例があり、布施~鶴橋間の重複乗車は布施を通過する列車を使った時は、重複部分を計算しない事になってます。
根拠→細則第79条の2
布施に快速急行が停まらなくて特急が停まる理由
布施駅は快速急行の通過駅です。
ですが、一部の特急は停車します。
特急は朝の阪伊乙特急下りと、夕方の阪伊乙特急上りです。
これは伊勢志摩を推している、近鉄の配慮だと思います。
快速急行が通過するのは、単純に鶴橋から近すぎる事が原因です。
布施という名称は、どっから来た?布施エリアの紹介もするよ
引用:Google Map
さて駅名「布施」はどっから来たのか?
住所に無いし、布施駅の近くに布施という地名すらありません。
まずはそっから明らかにしてゆきます。
布施市だった
布施駅の住所は東大阪市長堂一丁目1-18です。
この長堂の横が足代。1つ前の駅名でしたね。
周辺を見てみると、他には荒川という所もありますが・・・布施はありません。
今はすっかり地名から消えてます。
これは合併によって布施市が消えた事が原因です。
その前は布施町。さらに前は布施村がありました。
布施村から布施町になったのが1925年4月1日です。その年の9月に足代駅から布施駅に名前を変えました。
東大阪市でも布施はちょっと特別
引用:Google Map
その中でも布施エリアは、もともと単独で市だった事もあって、東大阪市の公的機関があります。
行政サービスセンターがその筆頭で、駅前のヴェル・ノール布施の中に。
他は・・・
これらは河内永和駅からの方が近いですが、布施駅からでも歩いて行けます。
布施の由来
行基が布施のあたりに「布施屋」というものを置いた事が由来とされてます。
布施屋ってのは現代に近いものはありません。
緊急用の宿泊施設が布施屋です。
昔はお金のない人が遠征するとなると、ほぼ無理な話で・・・
自費で、徒歩で、何日もかけて都に行かないといけなかったのです。
布施屋ができる前は、途中で死んでしまう人が多くて社会問題でした。
この布施屋自体が仏教的な発想なので、お寺さんが維持管理してました。
ちなみに由来とされる布施屋そのものは、どこにあるか分かりませんでした。
布施の氏神・都留彌 神社
引用:Google Map
布施の辺りには神社がいくつかありますが、都留彌神社が布施エリアのメイン神社です。
この神社も水を司る速秋津日子命と速秋津比売命が主祭神。
弥刀駅から近い(?)弥刀神社と同じですね。
関連記事:弥刀駅の引き上げ線、駅名の由来、高架化事業の話を調べてみた
深江稲荷神社
引用:Google Map
こちらは深江地区にある神社です。
少し布施駅から歩きますが、深江稲荷神社のあたりの町が布施駅(深江駅)の設置理由でした。
かなり古い神社で、垂仁天皇の時代にできたらしい。
垂仁天皇は紀元前29年~西暦70年まで即位してました。
布施駅周辺は、これからもっと発展する
布施駅の周りは、主に商業系の誘致をしようと企んでいるみたいでした。
普通に一軒家がゴロゴロとあるんですけどね
東大阪市のマスタープランですので、予定ではなくただの未来予想図ですけど。
だから、実際にそうなるかどうかは分かりません。
とはいえ東大阪市の西の玄関口かつ、メイン級の駅なのでテコ入れするでしょう。
市役所は地理的中心に近い荒本にありますが、市の代表駅はどこですか?と尋ねられたら布施駅と答えても良いと思います。
ちなみにJTB時刻表には、布施駅が東大阪市の代表駅だと掲載されているらしい。
まとめ:布施駅は日本で2番目の二重立体構造駅。これからも発展する可能性アリ
引用:Google Map
布施駅は2回も駅名変更して、さらには日本で2番目の二重立体構造駅でした。
こんな駅、他にあるのか?知らんけど。
布施のあたりはどっちかというと商業地の色があり、近くには多くの店があります。
そういや近鉄百貨店(?)もありますね。
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