引用:Google Map
関西屈指の難読駅・・・といっても有名すぎて、わりと読めますね。
今回は新祝園駅の紹介をしてゆきます。
関西文化学術研究都市の中心的な駅でもあり、京都府精華町の代表駅です。
新祝園駅、平成になってから進化していった理由は
こんな所に置かなくてもと思うけど、京都・奈良間のルートは限られている以上、仕方がないのです。
国鉄の駅が「祝園」だったので、区別の為に頭に新を付けました。
奈良電気鉄道が登場
![](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/k/knd37998/20220315/20220315141940.jpg)
という理由で、奈良電気鉄道が発足しました。
今の近鉄と京阪が協力してできた会社です。
国鉄の奈良線は木津川を挟んで東側だったので、西側を通す事に。
だけど、土地が少ないから片町線のすぐ横を通したと考えられます。
新祝園駅
片町線と並行しますが、行き先はそれぞれ違うので、駅が隣接しても鉄道省は怒らんかったんでしょう。
※奈良電は政治家の協力もあった
1928年11月3日に新祝園駅が開業しました。
以降、特に大きな変化はありませんでしたが、昭和末期あたりから状況が変わります。
関西文化学術研究都市ができる
学研都市構想ができて、新祝園駅からそんなに遠くない所に置く事に決定。
それまでは2面2線の、どこにでもある駅構造でしたが
学研都市ができるくらいから、大きくなってゆきました。
どうしてそう読む?祝園の由来。精華町の歴史
引用:Google Map
「祝園」はだいぶと有名な難読駅名で、多分全国の鉄オタは読めるでしょう。
じゃぁ、どうして「祝園」と書いて「ほうその」と読むのか・・・
その元ネタを調べてみました。
多数の兵士の骨
かなり昔、崇神天皇の時代です。紀元前97年~紀元前30年の話。
タケハニヤス王の勢力が、北大阪にあったそうな。
そこと崇神天皇の勢力がぶつかり合い、結果テケハニヤス王側が負け。
大勢の兵士の骨が木津川にあふれていた事から「羽振苑」(はふりその)と呼ばれました。
まるで白い羽が揺れ動くように、骨がいくつもあったらしい。
羽振は、同じ読みの「祝」(はふり)に変換されました。
※「ほうり」とも読む
祝(はふり)ってのは神職の名称の1つで、禰宜よりも下。役職的にはヒラみたいなもんです。
苑と園は、ほとんど同じ意味。
こうして、祝園という地名になりました。
参考:株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について
参考:精華町
祝園→川西→精華
引用:Google Map
祝園村は1931年に、狛田・稲田と合併して川西村になりました。
これはそのまんま、木津川の西側の村だから川西。
1951年に山田川駅のあたり、山田荘村と合併して、精華村が成立しました。
「精華」というのは、教育勅語が元ネタです。
国体の精華という一節があり、日本の国の最も美しい美点という意味があります。
参考:精華町『広報せいか No.410(1997年5月号)8頁』1997年5月
そういった意味だからなのか、全国に精華と名称が付く私立学校がありますね。
ちなみに、響け!ユーフォニアム3で転校してきた黒江真由の前の学校、清良女子の元ネタが福岡精華女子。吹コン全国常連校です。
人口が増えて、村から町に
村から町になるには色々と条件がありますが、その1つが人口7000人以上。
精華村は、シンプルに戦後の人口増によって、9000人を超えて町になりました。
市になるには5万人必要です。
学研都市の構想は1970年代くらいからで、完成が1994年。
2023年時点での、学研都市エリアで精華町の範囲だけでも3万6000人くらいが住んでいるそうです。
参考:けいはんな学研都市の構成・規模 - 関西文化学術研究都市推進機構
この割合は精華町の大半を占めています。
ですので精華町民は新祝園だけでなく、高の原や学研奈良登美ヶ丘もかなり使っているでしょう。
新祝園駅まわりの史跡と名物。けいはんな線の延伸は?
引用:Google Map
新祝園あたりには、その地名と関係のある祝園神社。
他に、山城国一揆の史跡や古墳があります。
祝園神社
引用:Google Map
崇神天皇の部隊によって討伐された、タケハニヤス王を鎮めるために創立されました。
現在でも行われている「いごもり祭」は奇祭と言われていて、京都府無形民俗文化財に指定されてます。
白装束で大きな松明を持ち、練り歩く儀式。
竹製の綱を引きあう儀式があり、祭りの3日間は、音を立てずに生活しているらしい。
1月最初の申の日の申の刻(16時頃)から始まります。
2024年は1月9日が壬申の日でした。
山城国一揆逆修の碑
引用:Google Map/Isami Yokoyama(issa)さん
山の方に碑石があります。
応仁の乱のあと、祝園あたりは畠山家による跡目争いでゴチャゴチャしてました。
決着がつかない事にキレた住民は、畠山家を追い出して自治を行いました。
しかし、この自治は上手くいかずに争いが起こってしまいます。
もう自治を放棄して、有力者に任せるって派と、自治で継続したい派がぶつかり、自治継続派が稲屋妻城に立てこもりました。
引用:Google Map
城跡はここ。
1493年に一揆側(自治継続派)が敗れて、山城国一揆は集結しました。
ふたば精華町店
引用:Google Map
話は一気に変わって、和菓子屋です。
出町ふたばとは関係がありません。噂によると弟子?
精華町店の売りは「抹茶パフェ大福」と「芋ようかん」です。
ここの芋羊羹は、ふるさと納税ポータルサイト「さとふる」の3000円以下、和菓子部門で全国3位になった事があります。
![](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/k/knd37998/20230717/20230717081132.jpg)
精華町は更なる発展を目指しているみたい
ただし、前提条件みたいな感じで、けいはんな線の延伸が入ってました。
ま、それを抜きにしても新祝園・祝園駅は町の中心駅として力を入れるつもりでした。
だけど、その費用どうしますのん?って話。
精華町案は、約6kmの延伸です。
地下鉄だと1km=150億円とすると900億円かかります。
高架複線の場合は1km=20億円ほど。だから120億円。
しかも、精華町案のほとんどは精華町内なので、負担額のほとんどを出す事になるでしょう。
![](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/k/knd37998/20220417/20220417143232.jpg)
近鉄はこの調子なんで(勝手な想像)、精華町がお金を用意しないことにゃ進みません。
ちなみに精華町の令和4年度、一般会計予算は145億8000万円ほどでした。
予算規模と比べたらどえらい金額です。
まとめ:新祝園駅の周りは、まだ発展するかも?(精華町次第)
引用:Google Map
精華町の代表駅なだけあって、行政はわりとテコ入れを考えていました。
町長の個人的な案もありましたが、まぁそれは駅とは関係ないので省きます。
けいはんな線の延伸が実現したら良いですね。
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