撮り鉄の鉄道ノート

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新祝園駅に、けいはんな線は繋がるのか・・・今後の精華町に注目

新祝園駅に、けいはんな線は繋がるのか・・・今後の精華町に注目

引用:Google Map

関西屈指の難読駅・・・といっても有名すぎて、わりと読めますね。

今回は新祝園駅の紹介をしてゆきます。

関西文化学術研究都市の中心的な駅でもあり、京都府精華町の代表駅です。

この記事の内容

新祝園駅、平成になってから進化していった理由は

新祝園駅、平成になってから進化していった理由は

新祝園駅片町線学研都市線)の祝園駅の真横にできました。

こんな所に置かなくてもと思うけど、京都・奈良間のルートは限られている以上、仕方がないのです。

国鉄の駅が「祝園」だったので、区別の為に頭に新を付けました。

奈良電気鉄道が登場

互いをしっかり結ぶべき。国鉄の路線は貧弱すぎる

という理由で、奈良電気鉄道が発足しました。

今の近鉄と京阪が協力してできた会社です。

国鉄奈良線は木津川を挟んで東側だったので、西側を通す事に。

だけど、土地が少ないから片町線のすぐ横を通したと考えられます。

新祝園駅

新祝園駅

片町線と並行しますが、行き先はそれぞれ違うので、駅が隣接しても鉄道省は怒らんかったんでしょう。

※奈良電は政治家の協力もあった

1928年11月3日に新祝園駅が開業しました。

以降、特に大きな変化はありませんでしたが、昭和末期あたりから状況が変わります。

関西文化学術研究都市ができる

学研都市構想ができて、新祝園駅からそんなに遠くない所に置く事に決定。

精華町近鉄は、新祝園駅のグレードアップを行いました。

  • 1993年:祝園駅前広場が完成
  • 1994年9月:新祝園駅、橋上駅舎化・連絡通路完成
  • 1994年10月:学研都市びらき
  • 1996年:待避線の使用開始
  • 2000年:急行停車駅に昇格

それまでは2面2線の、どこにでもある駅構造でしたが

学研都市ができるくらいから、大きくなってゆきました。

どうしてそう読む?祝園の由来。精華町の歴史

どうしてそう読む?祝園の由来。精華町の歴史

引用:Google Map

「祝園」はだいぶと有名な難読駅名で、多分全国の鉄オタは読めるでしょう。

じゃぁ、どうして「祝園」と書いて「ほうその」と読むのか・・・

その元ネタを調べてみました。

多数の兵士の骨

かなり昔、崇神天皇の時代です。紀元前97年~紀元前30年の話。

タケハニヤス王の勢力が、北大阪にあったそうな。

そこと崇神天皇の勢力がぶつかり合い、結果テケハニヤス王側が負け。

大勢の兵士の骨が木津川にあふれていた事から「羽振苑」(はふりその)と呼ばれました。

まるで白い羽が揺れ動くように、骨がいくつもあったらしい。

羽振は、同じ読みの「祝」(はふり)に変換されました。

※「ほうり」とも読む

祝(はふり)ってのは神職の名称の1つで、禰宜よりも下。役職的にはヒラみたいなもんです。

苑と園は、ほとんど同じ意味。

こうして、祝園という地名になりました。

参考:株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について

参考:精華町

祝園→川西→精華

祝園→川西→精華

引用:Google Map

祝園村は1931年に、狛田・稲田と合併して川西村になりました。

これはそのまんま、木津川の西側の村だから川西。

1951年に山田川駅のあたり、山田荘村と合併して、精華村が成立しました。

「精華」というのは、教育勅語が元ネタです。

国体の精華という一節があり、日本の国の最も美しい美点という意味があります。

参考:精華町『広報せいか No.410(1997年5月号)8頁』1997年5月

そういった意味だからなのか、全国に精華と名称が付く私立学校がありますね。

ちなみに、響け!ユーフォニアム3で転校してきた黒江真由の前の学校、清良女子の元ネタが福岡精華女子。吹コン全国常連校です。

人口が増えて、村から町に

村から町になるには色々と条件がありますが、その1つが人口7000人以上。

精華村は、シンプルに戦後の人口増によって、9000人を超えて町になりました。

市になるには5万人必要です。

学研都市の構想は1970年代くらいからで、完成が1994年。

2023年時点での、学研都市エリアで精華町の範囲だけでも3万6000人くらいが住んでいるそうです。

参考:けいはんな学研都市の構成・規模 - 関西文化学術研究都市推進機構

この割合は精華町の大半を占めています。

ですので精華町民は新祝園だけでなく、高の原や学研奈良登美ヶ丘もかなり使っているでしょう。

新祝園駅まわりの史跡と名物。けいはんな線の延伸は?

新祝園駅まわりの史跡と名物。けいはんな線の延伸は?

引用:Google Map

新祝園あたりには、その地名と関係のある祝園神社。

他に、山城国一揆の史跡や古墳があります。

祝園神社

祝園神社

引用:Google Map

崇神天皇の部隊によって討伐された、タケハニヤス王を鎮めるために創立されました。

現在でも行われている「いごもり祭」は奇祭と言われていて、京都府無形民俗文化財に指定されてます。

白装束で大きな松明を持ち、練り歩く儀式。

竹製の綱を引きあう儀式があり、祭りの3日間は、音を立てずに生活しているらしい。

1月最初の申の日の申の刻(16時頃)から始まります。

2024年は1月9日が壬申の日でした。

山城国一揆逆修の碑

山城国一揆逆修の碑

引用:Google Map/Isami Yokoyama(issa)さん

山の方に碑石があります。

1485年、山城国で起こった一揆です。

応仁の乱のあと、祝園あたりは畠山家による跡目争いでゴチャゴチャしてました。

決着がつかない事にキレた住民は、畠山家を追い出して自治を行いました。

しかし、この自治は上手くいかずに争いが起こってしまいます。

もう自治を放棄して、有力者に任せるって派と、自治で継続したい派がぶつかり、自治継続派が稲屋妻城に立てこもりました。

稲屋妻城跡

引用:Google Map

城跡はここ。

1493年に一揆側(自治継続派)が敗れて、山城国一揆は集結しました。

ふたば精華町

ふたば精華町店

引用:Google Map

話は一気に変わって、和菓子屋です。

本店は城陽市寺田駅の近くにあります。

出町ふたばとは関係がありません。噂によると弟子?

精華町店の売りは「抹茶パフェ大福」と「芋ようかん」です。

ここの芋羊羹は、ふるさと納税ポータルサイト「さとふる」の3000円以下、和菓子部門で全国3位になった事があります。

ワイは抹茶パフェ大福が気になる

精華町は更なる発展を目指しているみたい

ただし、前提条件みたいな感じで、けいはんな線の延伸が入ってました。

ま、それを抜きにしても新祝園祝園駅は町の中心駅として力を入れるつもりでした。

精華町は、けいはんな線の延伸をしてほしいみたい。

だけど、その費用どうしますのん?って話。

精華町案は、約6kmの延伸です。

地下鉄だと1km=150億円とすると900億円かかります。

高架複線の場合は1km=20億円ほど。だから120億円。

しかも、精華町案のほとんどは精華町内なので、負担額のほとんどを出す事になるでしょう。

延伸?知るか、そんなもん

近鉄はこの調子なんで(勝手な想像)、精華町がお金を用意しないことにゃ進みません。

ちなみに精華町の令和4年度、一般会計予算は145億8000万円ほどでした。

参考:精華町の財政状況公表資料(PDF)

予算規模と比べたらどえらい金額です。

まとめ:新祝園駅の周りは、まだ発展するかも?(精華町次第)

新祝園駅の周りは、まだ発展するかも?(精華町次第)

引用:Google Map

精華町の代表駅なだけあって、行政はわりとテコ入れを考えていました。

町長の個人的な案もありましたが、まぁそれは駅とは関係ないので省きます。

けいはんな線の延伸が実現したら良いですね。

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