引用:Google Map
さて、先日は近鉄でもわりと新しめの駅、木津川台駅の紹介をしました。
今回は、木津川台駅よりも少しだけ古い近鉄宮津駅ができた理由などを好き勝手に解説していきます。
近鉄宮津駅が新設された理由
引用:Google Map
近鉄宮津駅は1993年に新設された、近鉄京都線では2番目に新しい駅です。
この駅は地元の請願駅でもありますが、近鉄側にも作るだけの理由がありました。
請願駅だけど近鉄負担?
近鉄宮津駅は地元がお願いした駅だ、ということは分かったのですが新設の負担については明記されてませんでした。
ですが、近鉄にとっては新しく作る理由が別にあったので、多分ですが近鉄負担で作ったのでしょう。
近鉄の事情
近鉄の事情は3つあって
平成に突入する前は、まだ新祝園駅が2面2線で、高の原駅~新田辺駅の間6駅全てに待避設備がありませんでした。
というわけで、JR学研都市線との乗り換え駅になっている新祝園駅は拡張工事を。
さらに新祝園~新田辺の間に今回の宮津駅を追加する話になります。
新祝園~新田辺の間には駅が4つ。全ての駅に待避設備がないとなると、輸送力のアップが少し難しくなります。
宮津駅を待避設備つきの駅とするか、今ある駅を大きくするかの2択に迫られ、近鉄は1面2線だけど外側に追い抜き線を置く、東海道新幹線の三島駅のような構造としました。
実は宮津駅をお願いされるより以前に・・・

と奈良県から言われ、規模を縮小することに。その分の車庫をどこかに作る必要がありました。
今すぐに必要ではなかったのですが、今後のことも考えてどこかに車庫を作らないと足りなくなってしまう、と近鉄は考えてました。
そして今の京田辺市から駅の新設をお願いされて

最初は車庫と信号所があり、あとで信号所から駅へ昇格しています。
この宮津車庫に車両を送り込むため、朝のラッシュ時終盤に運行される京都駅発の急行の一部を、宮津行きに設定してます。この急行は新田辺~宮津の各駅に停車します。
駅名は地名由来
駅の場所は、明治のはじめ頃に「宮津村」となり、のちに「三山木村」へ
三山木村が田辺町へ大きくなって、田辺町は京田辺市となります。
京田辺市になったのは駅が完成してから4年後のことです。
三山木駅から少し遠い、宮津佐牙垣内エリア
引用:国土地理院
駅が後にできるところの近く(東側)には住宅街がありました。
この近くには古くから神社があったようで、神社そのものの歴史は飛鳥時代からです。
ですが、今の位置にできたのは1585年の安土桃山時代。人が居る場所に神社を建てるもんですから、少なくとも430年以上昔から集落のようなものがあったのでしょう。
その集落、宮津佐牙垣内あたりから三山木駅までは、だいたい1kmくらい。徒歩で12分くらいかかります。
一般的には駅の利用者は2km圏内にほぼ集中していると言われてますが、確かに徒歩10分以上は少し遠いですね。
ちなみに少々離れた所に同志社山手という住宅地が後でできますが、かなり後のこと(2011年に全エリア完成)で、そっから乗れるバスはJR駅もある三山木行きのバスです。
「近鉄」とついた駅名で近くに同名駅がない駅
近鉄の駅名の中で、駅名に「近鉄」とつく駅名はいくつもあります。
ですが、近鉄宮津駅は近くに同名の駅がありません。
これは京都府宮津市にある、WILLER TRAINS(京都丹後鉄道)の宮津駅があるから。
駅名混同を避ける為に、場所は全然違うけど「近鉄宮津駅」としました。
ちなみに、他になぜか同名駅が近くにないのは、近鉄下田駅です。
近鉄下田駅の話は→近鉄下田駅とJRの香芝駅、近すぎん?駅名も違う理由
まとめ:近鉄宮津駅は近鉄の判断ミスかと思った
田辺町にお願いされたからといっても、三山木駅と近いし
そこまでして作る必要あったんかいな?と、疑問に思いましたが
近鉄側の事情も含めると、駅の新設は悪くない判断だったのでしょう。
今回は、この辺で・・・。それでは、また。
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