引用:Google Map
富田林西口駅は、富田林駅の南西なのに西口ってどゆこと?とツっこまれる事があります。
なぜ「西口」なのか。
どんな歴史を歩んできたのか・・・適当に調べてみました。
富田林西口の歴史や成り立ち
引用:Google Map/hiro yamaさん
富田林西口は近鉄の現存駅の中では、かなり古い方。
順番で言えば5番目くらい。
柏原~河内長野ができた後に新規開業しました。
富田林西口駅の開業
開業は1904年10月12日でした。
この2年前に近鉄長野線が全線開通。
富田林と滝谷不動の間に、学校前駅という名称で新しく開業しました。
1898年3月24日 | 柏原~道明寺~古市が開業 |
1898年4月14日 | 古市~富田林が開業 |
1902年3月25日 | 富田林~滝谷不動が開業 |
1902年12月12日 | 滝谷不動~河内長野が開業 |
富田林で一旦止まったのは、河陽鉄道が潰れたからです。
河南鉄道として再出発し、予定通り河内長野まで通して、その後に追加されました。
学校前駅は、何の学校前?
結論から言うと、今の大阪府立富田林中高等学校です。
当時は「富田林中学校」でした。
と当時の国(文科省)が宣言しました。
地元住人は、早くしてほしかったようで、計画より1年早く開校。
中学校とはいいますが、旧制度は高等学校に進学するための男子校で、特別な学校でした。
ちなみに、旧制度中学校のほとんどは現在、高等学校になってます。
一時的な営業廃止
1912年3月31日~1917年1月8日まで、富田林西口駅は営業が廃止されてました。
理由は定かではない・・・
お上からの通達で、営業廃止になりました。
経済不調を理由とした、引き締めなのかも?
再開時期にはブレがあり「近畿日本鉄道 100年のあゆみ」では1916年12月営業再開となってます。
また、大東亜戦争の末期にも営業が休止されて、戦後に再開しました。これは節約のためですね。
駅名の改称
1933年4月1日に学校前駅から富田林西口駅に改称しました。
今でいう府立河南高等学校もできていたのが理由?かどうか知らんけど
どっちの学校前?かハッキリしないので、地域名「富田林」を使った駅名に変えた・・・のかも。
それにしてはタイミングが遅すぎますがね。
"こじつけ"かもしれんけど
- 1回目の再開時期、鉄道会社オーナーが忙しかった?
- それ以降も、やる事山積み状態
- 気付けば大軌に吸収されかけ
なんせバタバタしっぱなしだったから、そこまで気を回してる暇がなかったと思います。知らんけど。
「富田林西口」となった理由
引用:Google Map
富田林というエリアが、この辺り。富田林市
- 富田林の主エリアがここ
- エリアの西にある駅で
- 西の出入り口だから
富田林西口という駅名になりました。
八木西口も同じ理由です。
なぜ富田林西口の近くに公的機関が集まっているのか
今で言う近鉄長野線を通す時に、富田林の町をかすめるように通しました。
そして丁度良い所に富田林駅を設置。
対して富田林西口駅の方は、戦前はスカスカでした。
あとから役所やら警察署、中央郵便局、消防本部を置くという時に、立ち退きをせまるよりは、開いてる所に置く方が安上がりで簡単。
そういう理由で、開いていた富田林西口の周りに公的機関とかがボコボコ置かれたんでしょう。
学生の町。富田林西口には何がある?
引用:Google Map
もちろん学生の町だから学校があります。
駅のすぐ近くに府立高校が2つもあるのは、珍しいでしょう。
もう1つの目玉は、寺内町です。
2つの府立高校。なんであるねん
富田林西口の圏内には大阪府立の高校が2つあります。
富田林と河南ですね。
比較してみると・・・
富田林 | 河南 | |
元祖 | 富田林中学(旧制) | 高等女学校 |
現・制度 | 中高一貫 | 高等学校のみ |
共学 | 男女共学 | 男女共学 |
学科 | 普通科 | 普通科 |
偏差値 | 60台後半 | 50台後半 |
部活が活発で、成績を残しているのは富田林の方です。
元々は男子校と女子高ですみ分けしてたんですが、どっちも府立の共学高校になったので、近い所に2つ府立の共学がある事に。
現在では他に「咲くやこの花」「水都国際」の2高も含めた3校が大阪府内にあります。
全国で見ればあちこちにあって、さほど珍しいモンではありません。
富田林・寺内町
特に寺内町と呼ばれる地区は、重要伝統的建造物群保存地区に指定されてます。
同列に
こんな有名所があります。
何気に凄いですね・・・と言っても全国で127地区が指定されてます。(2023年12月時点)
富田林興正寺別院
引用:Google Map
興正寺別院ができた年は1558年。
本堂などなど、6棟の建造物が国の重要文化財に指定されてます。
宗派は、浄土真宗・真宗興正派。所属の多さで言えば4番目です。
そこの宗派の代表寺・・・の地方支部と思ってくださいな。
同じ宗派でも、代表の寺とは関係のないのは子会社みたいな感じ。子会社と本社地方支部じゃ、格が違います。
旧・杉山家住宅
寺内町の中で最も古い建築物で、個別で重要文化財に指定されてます。
現在は、富田林市がオーナーとなっていて、有料で一般公開中です。
富田林寺内町を作った8家のうちの1つで、酒屋をしてたらしい。
ちなみにアニメ「涼宮ハルヒの憂鬱」の第23話「涼宮ハルヒの溜息Ⅳ」に出てきた、鶴屋さんの実家のモデルです。(左右反転して描写されている)
京都アニメーションのアニメでは、よく関西の街を背景に使用してますよ。
富田林西口駅は、これからどうなる?複線化されるのか
引用:Google Map
今後、駅や駅周辺がどう変わるのか。
スペック向上はあるのかを調べてみました。
駅自体や路線自体のアップグレードはなさそう
富田林市からのプランとして、特にコレといった整備計画案はありませんでした。
近鉄としても、投資しても回収が見込めないと見ているでしょう。
もう1つ理由を言えば、用地が無い。
ということで、今以上に駅がデカくなる事はないでしょう。
駅前広場を作るとか、駅へ接続する道路を拡張するとか、そういう話も具体的な話はありませんでした。
参考:都市計画マスタープラン
放置か、対策か。勝手踏切
引用:Google Map
駅の南端には線路を横断できそうな所があります。
駅ホームからすぐの所で、柵がありません。
ですので、横断している人が居るかも・・・・
「キケン電車に注意」と表記があるだけで、近鉄は黙認していると思います。
まだココは駅がすぐ近くなので接近が分かりやすいですが、2021年に喜志駅と古市駅の間で女児が撥ねられて死亡した事故がありました。
参考:産経ニュース
あぶねぇあぶねぇと言っても、こういった勝手踏切は結構残すので、そのままになりそうですね。
まとめ:富田林西口駅は高校生だらけの駅
引用:Google Map
府立高校に挟まれた駅なので、高校生が結構ウロついている所です。
そんな所でもありながら、重要伝統的建造物群保存地区に近い所で、歴史を感じる町。
カメラを回してウロウロしていると職務質問されるかもしれないので、注意した方が良いかもしれませんね。(笑)
今回はこの辺で・・・じゃあの。
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