近鉄には未成線がいくつかあり、その中の1つに堺市の東西路線になってたであろう路線があります。
ざっくりとした計画で言えば
という感じ。
なぜ堺線が実現しなかったのか、適当に調べてみました。
近鉄の未成線「堺線」計画1回目
引用:国土地理院地図
1896年1月、堺市の実業家たちが堺の東西鉄道計画を国に申請しました。
堺東駅を起点に、東へ向かって
松原・藤井寺・古市と通り、奈良の高田までを結ぶ路線を計画。
ですが、当時はすでに開業していたJR大和路線があるため、申請は却下されてしまいました。
JR難波~王寺~奈良は、1892年に全通しています。
このような路線を求めた理由は
ようは都市と地域の輸送ルート確保です。
堺市も歴史ある町で「ものの始まりなんでも堺」と言われるほど、貿易や商工業で栄えた町です。
お前誰?南大阪電気鉄道が現れる
どこからか湧いて出てきた、南大阪電気鉄道。
この会社は、あちこちの鉄道免許を取得してました。
今回の話のメインになる「堺~高田」の免許もそうですが
「浅香~金岡」や「天王寺~高鷲」「高田~桜井」なんてのもありました。
そら免許も大切だけど、作るカネが無ければどうにも始まらないのに、既に倒産しかけてます。
そこで目を付けたのは、大阪鉄道(2代目)
今で言う近鉄南大阪線のオーナーだった会社が、免許を買い取りました。
特に欲しかったのは「堺~高田」と「高田~桜井」の免許です。
南大阪線の歴史
南大阪線だけで言うと、道明寺~古市間が最初にできました。
正確に言うと、柏原~富田林が完成して、富田林~河内長野が全通。
そっから大阪市中心部へ繋がる路線を作ろうとしたのが、南大阪線の成り立ちです。
南大阪線の詳細はこちら→近鉄南大阪線の歴史:大鉄の奮闘。一歩先を行く大軌
ということで、道明寺から分岐して天王寺まで作りました。
道明寺には道明寺天満宮があり、1908年に開園した西日本最古の遊園地「玉手山遊園地」の最寄り駅でもありました。
だから古市分岐ではなく、道明寺分岐で藤井寺、松原と通り、天王寺へ乗り入れるルートに決定。
大鉄は、ここで止まりません。次は奈良の進出を目指します。
南大阪電気鉄道が持っていた免許「堺~高田~桜井」をゲットしました。
奈良進出の目的は2つ
- 橿原神宮
- 吉野
これがデカいですね。
ちなみに古市~橿原神宮前の開通が1929年。
この6年前の1923年には橿原線と吉野線ができていて、橿原神宮前駅がありました。
日本でも有数のパワースポットがあり、さらには吉野線と直通できる。
吉野には関西でも有名な桜の名所です。
というわけで、堺線計画は後回し。
古市~布忍辺りまでは並行してしまうので、計画を縮小。
参考:堺市東西鉄軌道
大阪鉄道、魔の1929年
大阪鉄道は1929年3月に近鉄南大阪線を全通。
ですが、4月に上ノ太子で大事故を起こしてしまいます。
12月には布忍~金岡蔵前~堺市御陵前の鉄道敷設を通告しましたが・・・10月に発生したアメリカ発の経済悪化(昭和恐慌)が日本に影響。
このせいで計画がとん挫した、と思われます。
実はもう1つ理由がありました。
もう既に東西移動需要が低下していた、大・大阪時代
大阪市は、1925年に第2次市域拡大を行いました。
このため、人口は当時の東京市(東京23区)を上回る211万人に到達。
面積、人口、工業出荷額で一時的ではありますが、国内1位となりました。
また、1923年に発生した関東大震災の影響もあって、被災者の一部が大阪市に転居したそうです。
このため、経済大都市の大阪市に人・物・金が集まるようになって、衛星都市から大阪市へ向かう需要の方が圧倒的に高まりました。
- 人流の変化
- 経済の浮き沈みのタイミング
この2つが合わさってしまい、1回目の堺東西路線は消えてしまいました。
第1次・近鉄堺線、立ち消えの理由まとめ
- 堺の有力者が堺・古市・高田を結ぶ路線を計画
- 国鉄、関西本線があるため却下される
- 南大阪電気鉄道が、堺~高田~桜井の免許をゲット
- カネがないため、鉄道を作れなかった
- 大阪鉄道が、南大阪電気鉄道を吸収合併
- 一部の免許を使い、近鉄南大阪線を開通
- 南大阪線から分岐して堺線を作る計画を出す
- 経済の低迷と、人流需要の変化で、難しくなってとん挫
こんな感じでしょう。
1920年~1930年代にかけて起こった大・大阪時代が、後に大きく影響していきます。
近鉄の未成線「堺線」計画2回目
引用:国土地理院地図
次に堺線計画が盛り上がったのは戦後、1950年代です。
1951年、堺市議会が東西軸交通を早期実現するため、委員会を設置。
これに堺商工会議所も賛成してて、商工会議所は近鉄へ申し入れをしました。
近鉄vs南海・堺線計画どっちが取る?
近鉄は既存の免許・・・つまり南大阪電気鉄道から引き継いだ、布忍~堺東の免許プラス、堺東~
堺市は運輸省のケツを叩いたらしく、その結果・・・近鉄と南海、両方に許可が出ました。
これで悲願だった(?)東西路線ができるかと思いきや
南海案を見た住民は、フェニックス通りの景観悪化を嫌って猛反発しました。
フェニックス通りは、国道310号線のこと↓
引用:Google Map
その流れなのか、運輸省は両方に出した許可を両方とも取り消す事に。
近鉄と南海は、堺中心部のルート変更案を再提出しましたが、全然許可が下りず。
言うてる間に、時流がまた変わります。
- 大浜海岸の工業化
- 自家用車の普及が広がる
- 大浜付近の遊郭産業が衰退
これにより需要見込みが更に減少。
鉄道会社としては旨味が減ったこともあって、近鉄も南海もやる気を失います。
高度経済成長期ではあったが・・・
日本は1965年頃からですが、いざなぎ景気で調子良かったです。
その反面、1960年代は公害病の認定も始まりましたし
政治もまぁまぁ荒れてました。
1960年といえば60年安保ですね。
免許取り消しとなった1962年には参議院通常選挙が行われてましたし
自民党総裁・首相の池田勇人は総裁に再任されたものの、党内からの批判も出てました。
ちょうど免許取り消しになった1962年は内閣改造が行われ、運輸大臣が変わりました。
もしかしたら・・・・・こういうのもちょっと関係してるかな?と推察させられる時期でした。
妙に食い下がる、堺商工会議所
運輸省から突っ返された堺線計画ですが、堺商工会議所は諦めませんでした。
1963年2月、近鉄に早期着工を図りました。
3月には運輸省次官や、関係部署に陳述書を提出
12月、運輸省へ再度陳情
ですが、梨のつぶて。のれんに腕押しだったようです。
確かに、堺もそこそこの都市なので人流の吸い上げが見込めるかもしれません。
それによって商工業が、より発展する可能性はあったでしょう。
だからこそ、東西路線を欲しがった人が居たと思われます。
南海ルートに反対運動が起こっただけで、運輸省は近鉄案まで潰す必要は無かったと思うけどね・・・
堺市と南海の関係
引用:Google Map
堺市は今、南海とJR、大阪メトロが通ってますが、大半が南海の駅です。
しかも繋がってるのは大阪市の繁華街、難波。
つまり南海にとって堺市は、金鉱みたいなもんです。
仮に今、近鉄の堺線があったとしたら・・・?
堺市の人が橿原神宮や吉野に行くとしたら、近鉄堺線を使うでしょう。
へたすると伊勢ルートも・・・?
そういう事を見越して、自社案が潰れた時に近鉄も巻き込めるトラップでも仕掛けてたんかな?
なんて考えてしまいますね。
あくまでも勝手な想像で、南海が何かした証拠は一切ありません。
第2次・近鉄堺線、立ち消えの理由まとめ
- 堺臨海工業の発展で東西路線需要が湧く
- 堺市が求めた所、近鉄と南海が手を挙げる
- 2社が運輸省へ計画を提出、許可がでる
- 南海案に住民が猛反対
- 運輸省は両案を取り消し
- 近鉄と南海が計画変更をして再提出するが却下
- 大浜の衰退と自家用車の普及で需要低下
- 近鉄、南海共に鉄道敷設の熱が下がる
経済状況で見れば、アップ傾向だったんで
鉄道会社は「じゃぁ作ろっか?」くらいのテンションで手を挙げたでしょう。
運輸省が却下した理由は分かりません。
国が許可してくれなきゃ始まらないんで・・・許可出ねぇーなら、知るかぼけって感じで両社手を引いたのでしょう。
それでも堺市は東西交通課題が時々出る
引用:Google Map
結局の所、2回とも堺の東西鉄道は実現しませんでした。
もう諦めたんかな?と思いましたが、最近でも堺市は東西交通の政策案が出ています。
LRT計画は消滅
以前に堺駅と堺東駅。さらには堺浜の方まで繋がるLRTの計画が浮上してました。
ですが
- 費用対効果が見込めない
- そもそもの試算がドンブリ勘定だった
- LRT反対の市長が当選した
という事でLRT計画は立ち消えました。
シンプルに、そこまでカネかけてバスと変わらんもの作って、どーすんねんって話です。
堺市の東西交通政策課題、再び
引用:Google Map
現在は、都心自動運転電気バスと美原BRT新交通計画が出ています。
自動運転バスについては、実証実験前。
結果からいうと、実証実験を含む予算案は可決しました。
このバスは、南海の堺東駅と堺駅を結ぶメインストリートの大小路(おおしょうじ)筋を走ります。
今の所は実証実験の事業費が通っただけで、まだこれからです。
参考:堺市 市長肝いりの自動運転バス巡り予算審議が紛糾 減額修正見込みも「再議」の可能性?
参考:堺市議会 来年度予算を「再議」で逆転可決 自動運転バス事業巡り紛糾
美原BRT新交通計画
引用:令和5年度SMI美原ライン実証実験結果とりまとめ2024年4月
交通空白地帯の堺市美原区、美原区役所前と堺駅を結ぶ交通計画です。
この実証実験は2023年に南海バスを使い、行われました。
アンケートの結果
- 運行ルートや停留所間隔は、8割がまぁ良し
- 便数については3割が良くないと回答
肯定的な意見もありましたが、運行内容について改善を求める意見も多く見られました。
実証実験が終わったばかりなので、今後どうなるかはまだ分かりません。
参考:令和5年度SMI美原ライン実証実験結果とりまとめ2024年4月(PDF)
堺市は副都心として中百舌鳥の開発計画も出ており、堺市は今後どう変化するのか少し楽しみではありますね。
まとめ:近鉄の未成線「堺線」は2度も浮上したけど消滅
結局の所、大きな原因は大阪市による人流吸い上げが強すぎた事だと考えられます。
色々とタイミングが重なってしまいましたけど、そこまで需要が無かったことが大きな要因です。
強く要望してたのは堺商工会議所だけじゃねーの?
と、思いました。
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