引用:Google Map
2017年に近鉄から切り離されて、公有民営方式になってしまいました。
こんな伊賀線、一体なにがあったのか、色々とあった歴史を適当にほぐしてゆきます(笑)
伊賀鉄道伊賀線の歴史(前編)
引用:Google Map
開業は1916年
この時は近鉄奈良線が開業してました。大軌は絶賛、借金返済中です・・・
上野町の実業家が作ったローカル鉄道
上野町は歴史ある町で、1585年に伊賀上野城が完成しました。
お城に住んでた人は1度変わりましたが、江戸末期まで無事に続いてます。
そんな町なので、かなり発展してたようです。
1897年に伊賀上野駅が開業。柘植から上野が開通しました。
同じ年の11月には加茂まで延伸し、1898年には木津まで繋がりました。
ですが、伊賀上野駅の場所が微妙に不便なため
と上野町のお金持ちが集まって、伊賀軌道を設立しました。
最初は上野町~伊賀上野の短い鉄道でした。
なぜ伊賀上野駅は、あんな場所に?
伊賀上野駅は、上野の中心部からは離れた服部川の向こう側にできました。
理由は恐らく3つ
大阪鉄道は大阪・奈良・和歌山・伊勢に至る路線網を作ろうと考えてました。
でも規模が大きすぎるので、関西鉄道と協力することに。
伊勢~奈良・大阪は旧東海道に沿って柘植・草津・大津を通るルートと
木津川に沿って奈良に至るルートも。
引用元:国土地理院地図
とまぁ地形とか位置関係が理由で、木津~伊賀上野~柘植ってルートに。
引用元:国土地理院地図
平行して服部川・木津川があるので、川を越えないと中心街に駅を置けません。
そのまま南下したら方向が違うし、わざわざグニャリと路線を曲げるのは不本意・・・
というわけで、あんな場所に伊賀上野駅を作ることにした。と考えられます。
伊賀軌道が目指した名張
1922年、伊賀軌道は上野~西名張まで路線を伸ばしました。
この時はまだ、大軌の大阪線はなくて奈良線と天理線、橿原線の一部しかありません。
関連記事:>>近鉄はどうやってできた?歴史をイチからたどってみた(前編)
さて、名張という地域もまた古くから歴史のある町でした。
どうやら奈良時代・聖武天皇の時代から栄えた町だったようです。
伊賀忍者も居たみたいで、力をどんどん付けて、一揆を起こそうとします。
そんな名張に居た伊賀忍者の動きを抑えようとして織田側が攻撃を始めます。
1度目は伊賀側が勝利しました。
そんな結果を聞いた信長はブチギレ。
兵力を集中し、伊賀を叩き潰すことに。苦戦しましたが織田側が勝利。
戦闘では名張に火が多く放たれて、黒焦げになってしまいました。
ですが、名張という地域は奈良や大阪から伊勢へ行く「旧初瀬街道」が通る大きな町です。
コツコツと発展し、今にいたるワケです。
ということで、伊賀軌道は名張を目指して鉄道を通します。
参考:天正伊賀の乱
伊賀鉄道伊賀線の歴史(後編)
大軌が火を噴くまでは、平穏だったと思います。(笑)
そして大軌に合併される伊賀鉄道
伊賀軌道は電化により伊賀電気鉄道へ名前を変更しました。
ですが、気付いた時には大軌が桜井に。
奈良で無双を始めた大軌に勝てる所はありません。
大軌は大和鉄道を1924年に買収しました。
というわけで大軌・参宮急行は大阪線の仕上げにかかる前に伊賀鉄道を合併しました。
合併からおよそ7ヶ月後に長谷寺まで開業
さらに1年後の1930年10月には伊賀神戸まで開業しました。
伊賀線の部分休止。廃線
しばらく大阪線と伊賀線は共存してましたが、戦争で不要不急路線を休止することに。
そして伊賀線の神戸~名張の並行している部分は、休止になりました。
戦後に運行再開しましたが、少しずつ利用者は減少。
近鉄は整理やら開発事業のために、神戸~名張の部分を廃止することに決めました。
引用元:国土地理院地図1961年~1969年航空写真
このように、今の桔梗が丘あたりはごつごつとした土地でした。
伊賀線の廃止によってなくなった駅の代わりとも言えますが・・・
半透明にして重ねてみました。赤線は廃止部分です。
貨物輸送も行ってたようですが、全然儲からなかったみたいですね。
伊賀線の子会社化。そして分離へ
近鉄は困ってました。
2003年度の状態は
- 輸送密度:4036
- 営業係数:303
輸送密度は4000を切るとバスに切り替えるべきで
営業係数とは100円稼ぐのに必要な費用のことです。つまりバリバリ赤字です。
参考:和歌山大学経済学部・辻本勝久「地方鉄道の現状と地域社会の役割」(PDF)
というわけで、子会社化することに決めました。
このように取り決めて、10年間頑張り続けました。
しかし、年々利用者は減少。営業損失も増えてゆきます。
こうして公有民営方式に移行しました。
1897年 | 伊賀上野駅(JR)が開業 |
1898年 | JR関西本線が全通 |
1916年 | 上野町~伊賀上野が開業 |
1922年 | 上野町~西名張が開業 |
1929年 | 伊賀電気鉄道が大軌と合併 |
1930年 | 近鉄大阪線・伊賀神戸まで開業 |
1945年 | 伊賀神戸~西名張が休止 |
1946年 | 休止部分、再開 |
1964年 | 伊賀神戸~西名張が廃止 |
2005年 | 近鉄が不採算区間の整理に入る |
2007年 | 伊賀線を分離、子会社化 |
2017年 | 公有民営方式に移行 |
伊賀鉄道伊賀線・今後はどうなる?
定期利用がかなり多いようで、上野~名張の移動で使用する人が多いと言われてます。
名張と上野にそれぞれ県立高校が2校
青山町に行けば農業高校もあります。
ですが車の方が便利なので、利用者は限定的になってしまいますね。
少子化も止まりません。
観光業もそれほど強いとは言えず、右肩下がりになりそうです。
最近は娯楽というより体験・経験を購入する傾向ですから、ゆるい体験とか謎解きじゃなく、もっと刺激のあるモノの方が受けるんじゃないかと・・・勝手に思ってます、はい。
まとめ:伊賀鉄道伊賀線は、それでも頑張る
2018年の伊賀鉄道伊賀線の輸送密度は2226ポイントでした。
営業係数は119.8ポイントですが、2016年の250.9と比較すると改善しています。
まぁ会社構造の変更が要因だと思いますが。
輸送密度の減少は止まってないので、このままだと廃線になってしまうかもしれません。
一度廃止になったら四十九駅が2018年に再開(場所は違う)してるので、まだ何とかなる・・・可能性は、あるかも?
今回はこの辺で。(=゚ω゚)ノ
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