近鉄南大阪線で、ちょくちょくネタに上がるのが
澤田八幡神社です。
この神社はどうやら江戸時代の初期くらいに建てられたと推測されていて、当たり前ですが電車の方が後。
なのに何で神社を横切るような経路が設定されたのか。
今回は、その理由を明らかにしていこうと思います。
澤田八幡神社を横切る南大阪線の路線設定は、仕方がなかった
理由は3つ
- 天王寺に向かうルートを作りたかった
- 街中を通すことはしなかった
- 古墳があった
近鉄最古の路線
知ってる方は居ると思いますが、近鉄で最も古い路線は
柏原~古市間で、開業が1898年です。
その後に古市~河内長野が段階的に開業。1902年に柏原~河内長野ができました。
またそれから道明寺~大阪阿部野橋を作ったんです。
この道明寺~大阪阿部野橋が完成、開業したのが1922~1923年。
およそ20年遅れで出来ました。
多分、沿線民からしたら待望の鉄道延伸じゃぁぁぁあと喜びの声が出たんだと思います。知らんけど
だけど経路設定は悩んでたと思う
さぁ道明寺から大阪阿部野橋に向かうルート、決めるぞ~
と思ったけど、市野山古墳と仲津山古墳があってこの間を通すしかなかった。
しかも、その先は住宅地が・・・
藤井寺市古室や藤井寺市沢田といわれる地域には、戦前には既に人が住んでたようです。
引用:国土地理院-1936年~1942年頃の航空写真
これよりも前の写真は無かったですが、この段階で人が住んでるんで鉄道が出来る前から人が居たんだろうと思います。
ちなみに、戦後の写真は↓
引用:国土地理院-1945年~1950年頃の航空写真
地元住民は、反対反対!という事もなく。今でいう近鉄が「今ある街をできるだけ壊さないように」
そして御陵は横切れないから、という理由で古墳を沿うような感じで鉄道を通す事に。
ちょうど古墳のすぐそばには澤田八幡神社があったので、横切ってしまう事に・・・
多分ですが、澤田八幡神社ほど中に鉄道が食い込んでる所は無いですね。
日本各地にある、寺社と鉄道が絡んでる所
- 坂田神明宮(滋賀県米原市・JR北陸本線)
- 下原八幡神社(岐阜県下呂市・JR高山本線)
- 石引神社 (岐阜県大垣市 - 西濃鉄道市橋線)
- 関蝉丸神社下社(滋賀県大津市・京阪京津線)
- 遍照院 (神奈川県横浜市神奈川区・京急本線)
どれもあんまり浸食していない感じで、かすってるよね?って程度です。
近鉄南大阪線は、電車本数が多いから頻繁に踏切が鳴る
神社って静かな印象ですが、南大阪線は結構電車の本数が多いので、神社内なのに結構踏切の音が鳴ります。
少ない時でも日中、1時間に上下合わせると14本の電車は通ります。
なんでこんなに電車が通るのか、というと
南大阪線の利用者が多いからなんですね。
その話は大阪阿部野橋の事について書いた記事で話題にしたんで、ぜひ読んでみてください。
南大阪線のルート設定は合理的だった
道明寺から大阪阿部野橋に通す時のルート設定は、歴史を振り返ると結構良い所に作ったなぁと感心させられます。
どうしてそう感じたのかというと
- 東西に延びた部分が、大和川から程よい距離にある
- 他社路線とのポジションが丁度良い
この2点です。
鉄道利用者が住んでるエリアは駅から10分圏内に多い
距離にすると、大体0.5km~1.0kmほどですね。
また、定期券を作ってる人を調べても徒歩10分圏内の人が多いそうです。
参考:国土交通省-鉄道端末交通手段の利用状況の分析(PDF)
で、利用者の大半は駅から1.5km以内の場所に住んでる。という事が分かってます。
これは首都圏でも中京も近畿でも結果はあまり変わらなかった。
南大阪線の東西に通ってる部分。土師ノ里~高見ノ里は、大和川から大体1.5km~2.0kmくらいの位置にあります。
この丁度良い距離感、当時分かってて作ったのかは知りませんが、ほんと丁度良い所に通したなぁと感じました。
まぁ、すでに鉄道はあったんで調査してたのかも・・・
他社路線とのポジション取りが良い
今では谷町線・御堂筋線といった地下鉄。阪和線とかもありますが
南大阪線(道明寺~布忍)が開業したのは1922年
この当時、すでにあった周囲の路線は高野登山鉄道の汐見橋~橋本と奈良~JR難波だけです。
阪和線は南大阪線が開業した後に天王寺~和泉府中間が開業してます。
開業年 | 路線 |
1892年 | 大和路線 奈良~JR難波 |
1915年 | 南海高野線 汐見橋~橋本 |
1922年 | 南大阪線 布忍~道明寺 |
1923年 | 南大阪線 大阪阿部野橋~布忍 |
1929年 | 阪和線 天王寺~和泉府中 |
Googleマップなどを見たら分かりますが、谷町線・御堂筋線・阪和線を脳内で消してみると、南大阪線の位置取りは大和路線や高野線のちょうど真ん中あたり
いい所に通ってますよね。
ちなみに川の上に鉄道を通す時はなるべく直角に通すのがセオリーです。工事が大変だから。
今になって地図を見ると、鉄道空白地帯があるなぁと思うかもしれません
だけど歴史を順にみてみると、結構理想的な所を通ってることが分かりましたね。
あとは、大阪阿部野橋~道明寺と古市~橿原神宮前は後付けだったという事が、近鉄南大阪線クネクネの原因ですね。
まとめ:南大阪線が神社を横切ったのは色々と理由があった
歴史を振り返ってみると、なんで普通に神社内を横切ってるのか。その理由は分かったと思います。
そんな時代、神社って大事な場所じゃなかったんかぃ?
と思ったかもしれませんが
日本が神道を国家宗教としてハッキリさせたのは明治になってからだし、そんなに神道バンザイ!みたいな空気ではなかったんですよね。
そもそも今主流?となってる、2礼2拍手1礼は1948年、戦後に正式になってます。
参考:tenki.jp-ホントは何でもありなんです!? 神社の作法今昔
神道ってのはキリスト教や仏教と違って、宗教としてはかなり特殊なもんなんですよね。
だからラフな感じで付き合えたんじゃないかと・・・
今回は、おまけ動画とか無しです。
なので西園寺さんの動画でもどうぞ
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