撮り鉄の鉄道ノート

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桃園なのに梨!?どこに桃があんねん、桃園地域。撮り鉄だけじゃなく歴史系マニアも必見

桃園なのに梨!?どこに桃があんねん、桃園地域。撮り鉄だけじゃなく歴史系マニアも必見

引用:Google Map/PONY缶詰さん

桃園といえば桃園と伊勢中川の間にある通称「桃園カーブ」

よくインスタやXで見かけますね。

そのすぐそばにある畑はキャベツだし

久居といえば梨だし

どこに「桃」要素があるのか、よー分かりませんね

そこん所、なんとか調べてみました。

この記事の内容
  • 桃園駅の歴史。桃園村から取ってるんだろうけど・・・
  • 桃園の三地蔵と桃園地区の昔っからの悩み
  • 桃園駅に新しい○○○ができる予定。地元住民の悩みが消えそう

桃園駅の歴史。桃園村から取ってるんだろうけど・・・

桃園駅の歴史。桃園村から取ってるんだろうけど・・・

引用:Google Map/Ian Chouさん

桃園駅の現住所は、津市牧町375です。

地名として「桃園」は残ってません。

で、調べてみると1955年に久居町に合併されて消えてました。

桃園村の発足

1889年4月1日、だいたい桃園駅の周辺をひとまとめにして桃園村としました。

桃園村の役場は現在、津市桃園公民館になってます。

桃園村と桃園村役場

引用:Google Map

津市立桃園小学校の隣にあります。

  • 川方村(桃園駅の北から南西)
  • 新家村(桃園駅の東から南)
  • 牧村(桃園駅あたりからちょい南)
  • 木造村(新家の東、紀勢本線を少し超えるくらい)

この4つが固まって、桃園村になりました。

桃園駅

1930年5月18日、参宮急行の津支線として伊勢中川~久居の開通時に開業しました。

この路線計画は、名古屋を目指してるけど、とりあえず津市まで。

駅は単純な2面2線の地上駅です。

構内踏切で連絡していて、駅舎は名古屋方面側についてます。

桃園の由来

桃園村となった4つの村には、桃も園もないし

久居といえば桃ではなく、梨です。

久居梨
一応「ひさい梨」という名称を使っているけど、特殊な品種ではない。
幸水とか豊水といった普通の品種を栽培してます。
参考:津市・久居の梨

恐らく"コレ"というのはあって

三重県案内」にあった一文です。

桃林は平野一帯十数町に亘り・・・花時観客多し

桃園村の紹介に、こんなもんがありました。

今やその桃林がどこなのか不明ですが、桃の木がズラっと並んでいたのでしょう。

そっから桃園と名付けたんじゃないかと推測します。

桃園の三地蔵と桃園地区の昔っからの悩み

桃園の三地蔵と桃園地区の昔っからの悩み

引用:Google Map

桃園駅のあたりは航空写真で見ても分かりますし

実際に行ってみたら分かりますが、ある所を境に一気に風景が違います。

久居の丘陵地

久居の丘陵地

引用:国土地理院地図

桃園駅の周りの住宅地と、桃園カーブあたりの農地

この2か所の高低差は約10mあります。

古くから雲出川の洪水被害に悩まされていたようで、人家が高台に移動したようです。

現在は雲出川にはしっかりとした堤防が付いてます。

桃園の三地蔵

桃園村に所属した村にはそれぞれ寺がありました。

  • 栄松寺(川方)
  • 宝樹寺(牧)
  • 光明寺新家にのみ

寺にはそれぞれ地蔵があり、どれも鎌倉時代の末期、正和3年(1314年)8月と刻まれてます。

これは三重県内で"製造が明らかな仏像"の中では最古のもの。

製作の意図とか、製作者の情報はよく分かってません。

参考:腕利き作?桃園の三体―鎌倉時代の石仏

雲出川の水害によって、高台へ全て移住しました。

なぜか残された物部神社

なぜか残された物部神社

引用:Google Map

桃園カーブの反対側に、物部神社があります。

古代、桃園村のあたりを支配していた物部氏の一族、新家氏にのみし氏神でした。

新家町の人たちは高台に移住したんですが、物部神社は残されました。

古くから守り神として祀られていたからなのか、川の近くに置いとこーって考えたんでしょうかね。

参考:木造氏の足跡と久居桃園の三地蔵めぐり(PDF)

木造町はなぜそのまま?

国道23号線より東側、木造町は結構しっかり集落が残ってます。

こちらは城下町で、木造氏こづくりしが支配してました。

ま、それが理由ではなく

木造町は、ほんのちょっとだけ高くなっているからです。

木造町

引用:国土地理院地図

2~3mほど小高くなっているんで、水害に耐えられたのでしょう。

桃園駅に新しい○○○ができる予定。地元住民の悩みが消えそう

桃園駅に新しい○○○ができる予定。地元住民の悩みが消えそう

引用:Google Map

桃園駅は津市ではありますが、かなり端っこの方。

市としては放置気味なのかと思いきや、さすがに住民おこ案件は無視できなかったようです。

駐輪場ができるぞ

2023年6月の定例会で「2024年度中には使えるように取り組んでます」と答弁がありました。

  • 桃園駅前には公共自転車等駐輪場が2つある
  • 収容台数は30台ほど
  • だけど70台くらいがあふれている

2か所の駐輪場をぶっ壊して、1つのでかい駐輪場を作るようです。

  • 収容可能は150台程度
  • 場所は駅から65mほどの所に
  • 自転車と50cc原付の利用OK

とのこと。

どこにできるのかは不明・・・桃園駅すぐの踏切近くにできると思われます。

木造神社

木造神社

引用:Google Map

桃園駅あたりで特に立派な寺社は、木造神社こつくりじんじゃです。

境内には八重桜があり、境内外周には別の桜があります。

春に行ってみるのがオススメ。

あたり一帯の神社が1911年に合祀されて、木造神社だけになりました。

1村1社にしなさいって西園寺公望内閣がルールを決めたようです。

  • 運営の合理化になり維持しやすくなる
  • 統合して大きくすることで神道信仰が強くなりそう

そういった理由らしい。

参考:丹波新聞

木造城跡

木造城跡

引用:Google Map

石碑自体は、木造氏の末裔が建てたらしい。

木造氏は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将で公家。

最も有名なのが、木造具政

北畠家の7代当主、北畠晴具の三男or次男として生まれ、木造家の跡を継ぎました。

織田信長や信雄に仕え、小牧・長久手の戦いに参加してました。

津市久居の戸木城に立てこもって、織田側に勝利を導いたのが、木造氏です。

まとめ:桃園駅のあたりには桃林があったらしい。国史マニアも必見?

桃園駅のあたりには桃林があったらしい。国史マニアも必見?

引用:Google Map

桃園はどっから取ったのかというと・・・桃園村から。

ですが、その"桃園"の由来はよく分からん。

とある一文にあった「桃林」が元ネタかもね。

桃園といえば近鉄撮り鉄スポット、桃園カーブですけど

珍しい地蔵とか戦国武将系の史跡があって、国史好きな人もぜひ訪れてみてね。

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