撮り鉄の鉄道ノート

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小倉~京都間が20分、300円で行ける裏技?近鉄なら可能です(新幹線じゃない)

小倉~京都間が20分、300円で行ける裏技?近鉄なら可能です(新幹線じゃない)

京都駅から小倉駅までは、普通は新幹線を使います。

2時間30分くらいかかるし、運賃ものぞみ指定席で14,420円かかります。

ですが、普通電車を駆使すれば

たった300円、わずか20分程で移動する事ができます。

お前は何を言ってるんだ

まぁそう焦るな。ここは近鉄の話をするブログだ

そう、行き先は近鉄京都線の小倉(おぐら)駅です。

今日はそんな、京都線小倉駅の話をやります。

近鉄京都線小倉駅は元々大きな駅だった

近鉄京都線・小倉駅は元々大きな駅だった

小倉駅京都府宇治市小倉町神楽田にある駅で、周辺は住宅がビッチリあるエリアです。

準急が停まるんですが、ほっとんど普通しか来ないので桃山御陵前か大久保で急行に乗りかえた方が速く都市部へ行けます。

住宅エリアかと思ったら、小倉町の住宅街を外れると一気に畑や田んぼが広がっていて、かなり広い農業地帯となってますね。

そんな駅ですが、実はもともと瓢箪山駅のような駅構造だったんです。

開業後56年で待避線を廃止

理由は、向島駅に待避線設備を入れたこと。

向島駅は1979年に出来た、他よりはちょっと新しい駅です。

小倉駅は1928年に開業なので51年も先輩ですね。

1945年~1950年頃の向島駅・航空写真(国土地理院)

1945年~1950年頃の向島駅・航空写真(国土地理院

今の向島駅の周りには当時、ほっとんど民家がなく、広い田畑だらけです。

1974年~1978年頃の航空写真・向島駅周辺

1974年~1978年頃の航空写真を見ると、周辺が開発され始めましたね。

同じ頃の小倉駅周辺はこんな感じ↓

小倉駅周辺・1974年~1978年頃の航空写真

ずっと前から駅がある分、かなり発展してますね。

さて待避施設は、小倉あたりで1つは持っておかないと電車が詰まっちゃいます。京都方面は上鳥羽口だし、西大寺方面は大久保なんで。

向島駅を作る時、待避設備を置けるくらいの余裕があったから向島に作って、小倉駅を縮小したんでしょう。

駅が大きかった名残

駅が大きかった名残

駅や線路内敷地が、真っすぐになってない所がありますね。

また現地に行けば分かりますが、架線柱が無駄に幅広い事が分かります。

区間快速準急の「ちかくの車窓から」チャンネルさんでご紹介されてたので貼っておきます。

近鉄小倉駅JR小倉駅の関係は

珍しく近鉄が「近鉄小倉」としてないのは、近鉄の方が先に出来てJRの方が後にできたからです。

1974年~1978年の航空写真

1974年~1978年の航空写真では、もうすでにJR小倉駅の近くには住宅地がホイホイできてたんですけどね。写真右下はJR奈良線で、現在「JR小倉駅」がある所です。

JRが動いたのはかなり後でした

JR小倉駅できるの遅すぎん?

結局、認可が下りたのは1998年で完成が2001年でした。

どうしてこんなに遅かったのか、それは多分

近鉄線あるし、あんま本気になれねーよ

とか思ってたのかもしれません。

でもまぁ結局、人が結構住むようになったので、駅を作る事に。

駅名は近鉄が先だし、JRは福岡に小倉(こくら)駅もあったので、区別のために「JR」を付けたそうです。

相変わらず、乗り換え案内なし

奈良線近鉄京都線は、バッチバチにお客さんを取り合ってるし、ちょっと距離あるので乗り換え案内はしていません。

近鉄京都線JR奈良線との乗り換え案内をしてるのは京都駅だけですね。

ちなみに、徒歩ルートで790mくらい離れてて歩いて10分くらいかかります。

小倉駅の名前の由来を調べてみた

小倉駅の周辺でも特に北東方向の奈良街道の辺りには、もともと人家とかあったみたいです。

その理由は

巨椋神社

巨椋神社

引用:GoogleMap

最初は何て読むか分からないですよね。巨椋と書いて、「おぐら」と読みます。

恐らくですが、この巨椋を読みやすい漢字にしちゃったのかなぁ?と思います。

巨椋神社の「巨椋」という名前は『新撰姓氏録』っていう、メッチャんこ昔に作られた今でいう住民票をまとめたような感じのものに書かれてました。

その中でも「神別」という種類の中に書かれてあったそうです。

神別っていうのは、初代天皇よりもっと前に出来た名前で、メチャクチャ格が高い名前だったんです。

で、平安の末期になって神社が作られる事に。

ちなみに、巨椋神社の名前から近くには「巨椋池」というかなり大きな池がありました。

今は広大な田畑になってますけどね。

巨椋池

巨椋池では漁業をやってたらしいですけど、明治時代に埋め立てられる事に

その理由は

蚊多すぎ!ウザい!

あーーー想像しただけで体が痒くなる!

で、この池を無くす工事ってのは1941年にかけて行われました。

この時には既にJR奈良線近鉄京都線も通ってたんですよね。

JR奈良線は、巨椋池をかわすように宇治・黄檗六地蔵と通って桃山に戻りますが

近鉄京都線は、小倉から桃山御陵前へ直接向かってますよね。

どうやら近鉄京都線は、当初の計画どおり

なるべくカーブが少ないように作るぜ(奈良電)

と考え、巨椋池に沿うように作ったんだと思います。

JR奈良線の路線図

巨椋あたりの路線図

引用:JR奈良線近鉄京都線-Wikipedia

どうやら巨椋池は画像の通りの位置にあったんでしょう

近鉄京都線は、池の東側を沿うようなルートに見えると思います。

まとめ ネタから入ったけど、調べたら面白かった

がみさん辺りが大隅氏をダマくらかして「普通電車で移動します!」とかやってるかなぁとか思いましたが

まだ全然ネタになってないようですね。

そんな小倉駅ですが、元は待避線ありの駅だった事とか

駅名の由来が多分、神代からの名前なんじゃないか・・・とか意外な発見がありましたね。

それでは、また|ω・`)ノ

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