引用:Google Map
鳥羽駅といったら近鉄イチオシの観光地で、鳥羽までくる特急の全てが停車しますね。
そんな鳥羽駅と同じ地名を使った上鳥羽口駅が京都線にあるんですけど
と、ふと思ったので調べてみました。
すると、想像とは違うところで共通点があることが分かりました。
上鳥羽口駅と鳥羽駅の共通点は
実は鳥羽藩どうこう・・・って話ではなくて
地名の由来が多分同じという共通点でした。
「鳥羽」という地名
鳥羽という地名の由来は、港に適したような海岸や港のことを指すようです。
三重県鳥羽市は、リアス式海岸っていう入り組んだ地形で、波がダイレクトに届きません。
そのため、船が流されないとか、漁がしやすいというメリットがあって、「泊浦(とばうら)」とか「留泊浦(とばのうら)」と呼ばれてたようです。
それがいつの間にか、鳥羽となりました。
どうやら神話の伝説を由来に、鳥の羽としたようです。
上鳥羽口駅は、どんな地域?
上鳥羽口あたりは、かなりの昔、平安京の時代は交通の要所として栄えてた町でした。
なぜかというと鴨川と桂川が合流するところだから。
今で言うと神戸港みたいな場所で、船の行き来が多いところ。
しかも平地が広がってたのか、貴族がこぞって別荘を建てていたらしい。
鳥羽離宮なんてものも作ってたそうですが、南北朝時代に焼失してしまいました。
上鳥羽と下鳥羽。そして歴史の話
鴨川と桂川の合流地点周辺ほとんどが鳥羽と言われてたんでしょう。
そのうち鴨川より宮に近い方を上鳥羽。川を挟んだ向こう側を下鳥羽と言ってたみたいですね。
今でも地名とかに残ってます。
で、歴史を学んでいると大政奉還後に起こった内乱「鳥羽・伏見の戦い」を聞いたかと思います。
この鳥羽が、上鳥羽や下鳥羽のことです。
ちなみに、その内乱は広がりに広がって戊辰戦争に。
結果はご存じの通り、新政府側の勝利で終わってます。
幕府側についていた新選組の土方歳三が、函館の五稜郭で戦死したのが戊辰戦争の最後の戦闘だったと言われてますね。
上鳥羽口駅の今
さて、上鳥羽口駅は現在、高架駅で1面2線・通過線2線の三島駅みたいな構造ですね。
当初は2面2線の地上駅でしたが、大きな道を寸断してしまっていたので高架にすることになったようです。
のちに追加された上鳥羽口駅
上鳥羽口駅は開業時にはなく、1940年に新設開業しました。
理由はよく分かりませんが、今後のことを見越して新たに追加したのかも?と考えました。
というのも、エリア的には洛内(京都市の中心)に近いし起伏の少ないところですので、人様がこれから住むかもしれない場所ですからね。
ちなみに1945~50年時撮影の国土地理院、航空写真はコレ
駅周りはスカスカですね。
開業時の1940年の日本は、ちょっとイザコザがあったシナ事変の時代。
そして、日独伊三国同盟を結んだ年で、日本全体の雰囲気はイキってる感じでした。
なので勢いもあったかと思います。
近鉄唯一のノーズ可動式分岐器
上鳥羽口駅の十条側には渡り線が1本あり、緊急時用に折り返しができるようにしてるみたいです。
駅からは遠いので分かりづらいですが、どうやらノーズ可動式の分岐器らしいです。
これは近鉄で唯一の可動式です。
で、ノーズ可動式って何かというと
このノーズと言われる部分、だいたいは固定式で、少しだけすき間を開けてます。
そのため、車両が通る時は脱線などの防止のために減速をしなければいけません。
ですが可動式にした場合、ピッタリ線路を繋げられるので、減速の割合を下げることができます。
・・・でも、ここはたまーにしか使わない渡り線。
なぜ、そんなものをわざわざ付けたのかは分かりません。
しまかぜの撮影ポイント?
どうやら朝、京都駅へ回送される時のしまかぜが上鳥羽口駅で特急の待避を行っているそうです。
動画ではスナックカーがまだ動いてるので、今はどうなってるか分かりません。
まとめ:上鳥羽口と鳥羽はよく分からない所で共通点があった
上鳥羽の辺りも鳥羽も、港町として有能な土地だったことが共通点でした。
関係ないといえば、関係ない。
地名の付け方が同じだったということだけでしたね。
かつては平安時代の貴族が別荘を建ててたようですが、焼失してしまったため何も残ってません。
まぁ今は特にコレといったものはありませんが、任天堂の本社が上鳥羽口駅から近いですね。
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