撮り鉄の鉄道ノート

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近鉄丹波橋駅、特急停車駅なのにちょっと貧相な感じ。これには深い理由があった

近鉄丹波橋駅、特急停車駅なのにちょっと貧相な感じ。これには深い理由があった

引用:Google Map

近鉄丹波橋駅は、しまかぜも停まる特急停車駅で

京都線内での利用者ランキングは3位の多さです。

だけど、2面2線はショボくないか?と思うのですよ。

今回はそんな近鉄丹波橋駅の事を、いつものように適当に調べてみました。

この記事の内容

近鉄丹波橋駅の歴史。どうして特急停車駅なのに小さいのか

近鉄丹波橋駅の歴史。どうして特急停車駅なのに小さいのか

あくまでも推測ですが、ワイの見立てはこう

  • 人口密度が高く、駅のスペースが取れなかった
  • 最初から京阪と乗り入れする予定だった
  • 利用者の増加と利便性から、特急停車駅に設定

こんな感じです。

近鉄丹波橋駅の開業

近鉄丹波橋駅の開業は1928年11月15日です。

当初の駅名は堀内駅

駅名の由来はよく分かってませんが、恐らく桃山城の堀の内という意味です。

ちなみに京阪の丹波橋駅は1910年に開業してます。

ですので、京阪のほうがだいぶお兄さん。

近鉄と京阪の相互乗り入れ開始

近鉄と京阪の相互乗り入れ開始

引用:Wikipedia-近鉄丹波橋駅

工事が始まったのは1944年で、完成は1945年12月でした。

こんな時期でも工事をしたって点からも、かなり強い意思があったんでしょうな。

  • 連絡線を京阪丹波橋駅の南北に作る
  • 駅機能は全て京阪に移行する
  • 堀内駅は廃止扱い

どうしてそこまで?と思うけど、近鉄京都線はそもそも近鉄と京阪が合同で作った路線だからです。

詳しい話はこちら→近鉄京都線の歴史。政治家の影もチラついていた、近鉄と京阪が作った最強路線

ケンカ別れした?乗り入れ解消へ

1968年12月20日に乗り入れは完全に解消されました。

主な理由は、近鉄の電圧アップです。

近鉄は600Vから1500Vへの昇圧を考えてたのですが、京阪はまだ必要が無いくらいでした。

電圧違いは乗り入れの大きな障壁になるため、解消される事に。

近鉄丹波橋駅、もとい堀内駅は廃止扱いだったので、復活の準備などなどもあり

  1. 仮駅として復活
  2. 京阪との連絡通路を設置
  3. 京阪と分離
  4. 昇圧

これに2年半かかりました。

連絡線の名残はあって

桃山御陵前駅に近い所

桃山御陵前駅の北に空白地帯があったり

京阪線と近鉄線がオーバークロスしている所

京阪とクロスする所には、余ったスペースがあって、そこを京阪運営の駐輪場にしてたり。

近鉄丹波橋駅の立地

近鉄丹波橋駅の立地

引用:Google Map

丹波橋あたりは伏見の中心地で、安土桃山時代に町が形成されました。

江戸時代でも特に幕末は、みんな大好き(?)坂本龍馬もたまーに居ました。

ですので、都会とも言えます。

洛内にとても近く、交通網もあり、とても便利な場所なんで人口はどんどん増え2000年くらいにピークを迎えてます。

2002年3月のダイヤ改正で特急停車駅に設定されて、今に至るのです。

しまかぜ停車駅になったのは、京阪の乗り換えを見込んだのでしょうね。

近鉄で最短の駅間距離

近鉄で最も駅間距離が短いのは、この近鉄丹波橋駅桃山御陵前駅の間です。

営業キロは0.5キロで、同じ距離は無し。単独1位です。

関連記事:近鉄の駅間距離を調べてみた

実距離なら、大和八木・八木西口の方が短いですけどね

あっちは同一駅扱いなので、営業キロはゼロです。

>>大和八木駅は日本でも珍しい構造してる駅。多分、私鉄でココだけ

丹波橋」の由来は、名前の通り橋

「丹波橋」の由来は、名前の通り橋

引用:Google Map

駅からちょっと西へ行った所に、丹波橋が架かってます。

この橋の近くには、桑野丹波守の屋敷がありました。

桑野氏の屋敷で、この地域「丹波」の守護をやってました。

桑野氏は本家が但馬竹田城で、そっから和歌山城に移転。

長男は、大和新庄藩。次男は御所藩の初代藩主でした。

近鉄丹波橋駅のオススメスポット伏見桃山城の秘密

近鉄丹波橋駅のオススメスポット伏見桃山城の秘密

引用:Google Map

近鉄丹波橋駅の辺りは伏見の中心街です。

とはいえ、例の寺田屋とかからは離れてます。

ちなみに池田屋は中京区。場所が全然違う。

桓武天皇陵・明治天皇

桓武天皇陵・明治天皇陵

引用:Google Map

桃山の方に桓武天皇陵と明治天皇陵があります。

明治神宮は東京にありますが、御陵は京都に。

これは明治天皇が残されたた大御言によるものです。

明治天皇以前の御陵は全て畿内に。

ですが大正以降は、東京都八王子の武蔵陵にあります。

伏見桃山

伏見桃山城

引用:Google Map/NOKA picture.productionさん

今は通称、伏見桃山城と言われてますが、正式名は伏見城です。

最初は豊臣秀吉が隠居目的で築城。

その後は家康が入り、城を維持してました。

石田三成派によって落城し、その時に城の大半は焼失しました。

1602年ごろに再建されたようですが、1619年に廃城。

伏見城の一部分は二条城や淀城、福山城に移築されました。

※淀城ってのは、京阪本線淀駅の近くに跡地がある

伏見城跡地には桃の木が植えらたことで、一帯を「桃山」と呼ぶようになりました。

では、なぜ今復元されたものがあるのか・・・

実は、近鉄が作ったのです。

もちろん慈善事業じゃなくて、伏見桃山城キャッスルランドという遊園地を作る時に再現しました。

伏見桃山城キャッスルランド

引用:国土地理院地図

1964年~2003年までありました。

洛中洛外図を参考に再現したそうです。

閉園しましたが、城は京都市に贈与。残りの敷地はスポーツ施設になりました。

建物自体の耐震補強ができておらず、また京都市もお金をかけてないので、中に入る事はできません。

酒所・伏見

酒所・伏見

引用:Google Map

伏見は酒蔵が多く、多くの会社が丹波橋駅の西側にあります。

桃山御陵前の方が近いですが、月桂冠の製造本部もここ伏見です。

中には見学・試飲できる所があるかも。

府立桃山高等学校

府立桃山高等学校

引用:Google Map

京都府内でもわりと高い偏差値で、普通科と自然科学科があります。

自然科学科は理数系専門学科で、全ての通学圏から志願可能です。

部活動も盛んで、全国大会へ出場するほどの実績があります。

まとめ:近鉄丹波橋駅は主要駅級だけど2面2線

近鉄丹波橋駅は主要駅級だけど2面2線

他社私鉄との乗換駅だし、特急も停まる駅ですが・・・

2面2線の単純な駅構造です。

周りが発展しすぎてて余裕が無いこと。

最初っから京阪と協力するつもりだったから、無理して大きく作らなかった事が尾を引いていますね(?)

結局は新設した上鳥羽口や、向島駅に待避設備を作る事になってます。

ま、仕方がないですけどね。

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