
勢野北口の周りは新興住宅が多く、王寺にも近いから追加開業された駅なのかな?
と思いますよね。
実際、勢野北口駅は開通から25年後に開業しました。
メチャクチャ詳しい人はもう分かるかもしれませんが、どうやら住宅地とセットとは言いづらいタイミングなんですよね。
勢野北口駅はどうしてできた?住宅開発と合わない

近鉄生駒線は当初、信貴山下~王寺だけの超ローカル路線でした。
4年後の1926年になって信貴山下~仮新生駒駅が開業しました。
この時に勢野北口駅は作ってなくて、完成したのは1951年でした。
勢野北口駅
どうも最初っから1面1線の小さな駅なようで、現在までに特に大幅な変化はないみたいです。
駅名の「勢野北口」というのは、今ある「勢野北」というエリアの出入口・・・
という意味ではなくて、「勢野」エリアの北出入口という意味です。
そもそも勢野北あたりの住宅は1970年代くらいに開発されたので、勢野北口ができた時にはまだ何もありません。
住宅地開発とセットではなかったのか?

引用:国土地理院地図
勢野北口駅にほど近い、三郷町東信貴ヶ丘は1960年代の航空写真で見ても分かるように、まだまだ開発中でした。
だけど駅は1951年に開業しているので、だいぶと間隔が開いてます。
ですので、勢野北口駅と住宅地開発は完全にセット・・・とは言えなさそうです。
逆に"駅を追加したから"、住宅地を置くようになったとも考えられますね。
ちなみに駅に近い東信貴ヶ丘の開発で、
発掘調査はしていて、出土した品は奈良県立橿原考古学研究所附属博物館に展示されてます。
参考:勢野茶臼山古墳
勢野の由来
まず、ハッキリとした文献等はないそうです。
1889年の町村制の時に勢野を含む3つの村が統合されて、三郷村ができました。
その前の1876年頃に東勢野と西勢野が合併して、勢野村ができてました。
この事から「勢野」と言う地名が古いものと推測はできます。
名字由来netでは読み方が違う→人名由来の可能性は低い
地形由来もしくは歴史的背景説がGoogleAIの回答でした。
提示してきた2説は
- 勢いのある野原
- 勢力のある者が支配した野原
平群氏の影響を受けてたかもしれん場所でもあるので、どっちもありそうですね。
勢野北口駅の近くにある重要文化財。住宅エリアだけど住みやすさは?

勢野北口駅の周りはほぼ住宅街です。
勢野薬隆寺 八幡神社
現在地は信貴山口駅に近いですが、元々は勢野北口駅の東北にあったそうです。
元の場所は不明。住宅開発で移転したっぽい。
本殿が重要文化財になってます。
室町時代の特徴が残っている社殿が珍しいんだとか。
残されていたものから、少なくとも1514年にはあった事が分かってます。
参考:薬隆寺八幡神社
何の工事をやっとるんだ?

引用:国土地理院地図
三郷町勢野東5丁目は絶賛工事中のようです。
調べてみると、内水氾濫対策の事業地でした。
大和川の氾濫を防ぐために調整池を作る計画です。
全部が調整池にはならんようで、一部は住宅地になる予定らしい。
勢野北口駅のあたりは・・・
特に古くからの勢野エリアは大和川を挟んですぐの王寺にも近くて、自転車でも気軽に行ける場所です。
ちなみに勢野北エリアはバスが通っていて、王寺行きの路線。
勢野北口駅の東側の住宅地はバスすらないけど、王寺駅までは2km弱といった所です。
ただし王寺に行く時は良いけど、帰りは上り坂。
駅周辺エリアが良いかどうかは微妙な所ですが、王寺に比較的近い所なので、不便さはそこまで・・・といった所でしょうか。
まとめ:勢野北口駅は勢野の北口駅だった

勢野北口駅は1951年に開業したので、新興住宅がメチャクチャ増えた1960年代よりも10年ほど早くできました。
今の状況だけみたら、住宅地とセットで作ったんかなと思うけど
実はそういう事ではなかったみたいです。
周辺との兼ね合いで駅のすぐ近くというよりは、ガチ勢野地区(大和川に近い所)の方が便利かも。
ひょいと川を渡れば王寺市街地なので、住みやすいと思います。
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