引用:Google Map
この2路線は電圧も線路幅も同じですが、線路が全く繋がってないので直通する事ができません。
どうしてこんな状態のまま放置されているのか
王寺はどんな歴史を歩んだ町なのか・・・適当に調べてみました。
王寺駅の歴史。元々は全くの別会社だった王寺駅と新王寺駅
この2つは完全に分離されてますが、当日中であれば通しで計算する決まりです。
ですので、王寺は(田原本もできる)途中下車の旅ができます。
なぜ、こんな状態になっているのか・・・
それは互いの路線の歴史に原因があります。
新王寺駅の開業
今の近鉄が持っている駅で先にできたのは、新王寺駅。田原本線の方です。
新王寺駅の開業は1918年4月26日。
この路線の意義は
という意図があってできました。
王寺駅の開業
1922年5月16日に、信貴生駒電気鉄道が王寺駅を開業。
今でいう生駒線の開業目的は
計画では・・・この3つを繋げる予定でしたが、色々な事情で一部しか開通できませんでした。
王寺~五条は、すでにある国鉄線の完全並行路線なので、もちろん申請が通りません。
一方、生駒~枚方は一部だけ開通しましたが、経営難により京阪へ譲渡しました。
それが今は京阪の交野線として残ってます。
会社の名前の通り、電気鉄道ですし
改軌の記録がなさそうなので、標準軌で作ったと思われます。
つまり開業時は
互いに線路幅も違うし、電化・非電化の違いがありました。
何だかんだしている間に駅前が発展してしまう
王寺駅のある王寺町久度地区は、駅の設置で一気に発展したそうです。
JRの王寺駅ができるまでは30戸ほどの農村だったのに、あっちゅー間に商店街が形成されました。
1935年には654戸に増え、すっかり都市になってしまいます。
参考:王寺町の歴史
という事で、この2路線は繋がるタイミングが全くありませんでした。
まとめると
「王寺」の由来はもちろんお寺。でも、どこにあんねん
引用:Google Map
王寺の由来はどっから来たのか
王寺町の歴史をかる~く紹介してゆきます。
王寺って寺は無い
王寺の由来は寺ですが、王寺という寺はありません。
ですが元ネタの寺はあります。
それが放光寺・・・通称、片岡王寺です。
- 7世紀前半にできた寺
- 聖徳太子が建立した
- 片岡は、王寺のリーダー的な人の名前だった
この放光寺が王寺の由来だそうです。
何か他にも説はありましたが・・・証拠が弱そうなので無視します。
農村と商工業のまち
引用:Google Map
ということで、普通に米農家がいくつもありました。
ですが水運もあるんで、商工業もチラホラとあったようです。
立地も良く、桜井に都があった時代から重要視されてました。
だから勢力拡大の1つとして、片岡王寺を作ったりしました。
江戸時代には一部が幕府に。一部は郡山藩の縄張りだったそうです。
平城電気軌道なんてものができそうだった
1910年、王寺駅を起点に
勢野・龍田・法隆寺・小泉・郡山・西大寺・法華寺・奈良市街・春日大社・若草山とする路線を計画しました。
法隆寺や、郡山城跡、薬師寺、法華寺などなどを1本で結んでしまう観光特化の路線です。
奈良公園の景観を損なう事から、却下されてしまいました。
参考:王寺町の歴史
王寺町の見どころ、今後の開発予定が・・・またお前か
引用:Google Map
王寺町は奈良県内で住みやすい町ランキングでいつも上位に居る所です。
住める土地はそんなに無いんですけどね、結構な人が住んでいるんで、人口密度は高め。
だから住宅ばかりと思いきや
地名の由来となった放光寺(片岡王寺)など、聖徳太子が建立した寺があります。
達磨寺
引用:Google Map
こちらも聖徳太子が建立した寺で、放光寺からさほど離れてない所にあります。
聖徳太子が、腹減って死にそうな異国人を片岡山で見つけました。
その人に飯と衣服を与えたんですが、翌日に使いの人に様子を見に行かせたら、亡くなってたみたい。
丁寧に葬ったあと、墓の様子を見に行ったら遺体が消えてたそうです。
服だけは畳まれて置いてありました。
異国の人やと思ってたけど、達磨大師の生まれ変わりじゃね?なんて噂が飛び交い、聖人には聖人が分かるんだね・・・なんて話が広がります。
そうして聖徳太子の崇高さを改めて民衆は実感したそうな。
ここには木造聖徳太子像などの重要指定文化財が、多数安置されてます。
全国だるまさんがころんだ選手権大会も開催されてます。
片岡神社
引用:Google Map
放光寺のすぐ隣にあります。
少なくとも1200年の歴史はある神社です。
こじんまりとした神社ですが、一帯の代表神社みたいなもんで管理が結構行き届いてます。
最寄り駅は→近鉄下田駅です。
この辺りでは最も栄えてるけど普通科高校はない
王寺町に普通科の高等学校はなく、隣の三郷町・・・信貴山下駅が最寄の県立西和清陵高等学校と
隣の河合町に奈良県内トップの進学校、西大和学園中・高等学校があります。
と、高校生がまぁまぁ集まる町ではありますね。
ちなみに王寺町の公立小学校、中学校は統一されて9年一貫となってます。
ですので6年生の後、卒業式がありません。
そこに不満があるという口コミがありました。
王寺駅の北エリアが抱える問題
引用:Google Map
王寺駅の北側エリア・・・久度地区は、狭い道路が結構多いです。
そのくせ交通量は多いもんだから、緊急車両が簡単に通れない事が問題視されてます。
そこで王寺町議会は、道路の拡幅計画を出してました。
近々、改善されるものと思われます。
引用:Google Map
この地区には神社「
こっちも少なくとも1200年以上の歴史はあるみたいで、地域の守り神的な存在です。
御朱印が無料で頂けました!という口コミがありますが、本来は無料ではありません。
その場で納めなくとも、賽銭箱には入れましょう。
王寺駅南エリアに移転するはずだった県立病院が・・・
引用:Google Map
王寺町には今ありませんが、大和川を渡った三郷町に県立病院「奈良県西和医療センター」があります。
わりと王寺駅から近く、歩いて行こうと思えば行ける距離です。
県立病院は老朽化が進み、移転+立て直しの計画があり、王寺駅の南エリアに置く予定でした。
周辺自治体も合意済み。
ですが県知事が変わった事で、再検討するよう言われました。
- 細かく検討されてない
- 王寺駅の南は用地が狭い
- 水害リスクもある
- 移転補償の費用もかかる
という事で再検討され、法隆寺駅の南側にある農地を新たな移転候補地にする事が決まりました。
実際に王寺地区は過去に水害に遭ってます。
1982年8月、王寺町の中心部で甚大な被害が出ました。
王寺駅の南を流れる葛下川があふれ、66戸が全壊。半壊が174戸、床上浸水1445戸、床下浸水272戸と、かなりデカイ水害でした。
参考:王寺町の過去の災害
地形的にも位置的にも、ちょっと水害には弱い所なんですよね。
しかも、取れる用地は1haくらいらしい。
と、山下知事おこ(?)かどうだったか知らんけど。
王寺町でも、この人によって計画が変わってました。
まぁ税金は無限にあるわけじゃないんでね、コスト・ベネフィットを考えた結果なんでしょう。
コスト(ぶち込む税金)に対して、どんだけの利益(ベネフィット)が見込めるのか・・・という数値。 簡単に言えばコスパ。費用対効果比とも言う。
明神山
引用:Google Map
王寺町の山の方には展望台があり、世界遺産を高い所から眺められます。
ただ、行くのは大変で
王寺駅→バス→明神四丁目→徒歩→明神四丁目→ハイキングコース(40分)→山頂
とにかく歩くしかねぇ所ですが、散歩ついでに行けるレベルの山です。
全然高くない山で、標高274m
それでも大阪平野から奈良盆地まで見渡せるんで、眺めは結構良いです。
伊丹空港に降りる飛行機も、ルートによってはかなり近い所を通ります。
まとめ:王寺駅と新王寺駅はこれからもずっと別居
生駒線の王寺駅と田原本線の新王寺駅は、JRの王寺駅を挟むように設置されてます。
なぜ同一会社の支線が、こんな中途半端にぶち切れているのかというと
- そもそもが別の会社だったこと
- 線路幅が違い、電化と非電化だったこと
- 王寺町の発展が早く、整備するタイミングがなかった
という理由で、繋げる事ができませんでした。
近鉄はシステム的に、通算で運賃計算するように設定してるんで、特に今以上にどうこうする事は無いでしょう。
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