
阿倍野から見て、大阪市を出て1つ目の自治体と言う事もあって、準急停車駅です。
どんな街なのか・・・も含めて河内松原駅の事を紹介してゆきます。
河内松原駅、線内3位の利用者になった理由

2位は藤井寺駅。1位はもちろんあの駅です。
なぜここまで人が集まる駅になったのか、それには松原市の位置に理由があります。
河内松原駅を中心とする松原市の歴史
松原市は大阪のちょうど真ん中あたりにあるため「大阪のへそ」とも言われてます。
位置的な事もそうだけど、古くからある国道も通る交通の要所でした。

南北には
東西には長尾街道と竹内街道が通ってます。
どれもかなり古い道路です。
このうち竹内街道の方は、奈良県葛城市でそのまま東へゆくと
いわゆる伊勢街道です。
参考:難波大道の調査(PDF)
現在ではそれらの街道はあんま意味をなしてないけど、松原市は高速道路も通っててデカいジャンクションもある。
過去も現在も交通の要所となってます。
んな所だから、松原市はわりとあちこちに行きやすいです。

河内松原駅
河内松原駅は1922年4月18日に開業しました。
道明寺から布忍まで延伸した日と同じ日。
駅名変更の情報が上がってないので、最初っから冠称「河内」が付いてたかどうか不明。
松原駅は長崎県大村市にあって、開業は1898年。1907年に国有化されてます。
ですので、最初っから河内松原だったかも。
設備更新で橋上駅舎に
1993年7月24日、橋上駅舎タイプとなりました。
それまでは南北それぞれに駅舎があって、駅の西側に構内踏切がありました。
そんなに前の話ではないので、まだ当時の駅を覚えている人が居るかも。

恵我ノ荘駅側に渡り線があり、これは非常時に使われるくらいのようです。
南側には駅前ロータリー、駅前広場があって整備は十分と言えます。
「松原」の由来
松原市そのものは1955年に発足したんで、開業当時はあくまでも松原町の駅でした。
で、松原の元ネタは
当時から松原と言われたワケではなく、あとで「松生いし丹比の松原」と言われるようになったのが元ネタ。
参考:松原市の歴史
河内松原にある、ちょっと変わった?神社。移転してきた高等学校

河内松原駅は大阪のベッドタウン、松原市の代表駅なだけあって周りは住宅だらけ。
竹内街道や長尾街道沿いには古民家が残ってる・・・かもしれません。
そんな松原、さきほど触れた反正天皇を主祭神とした神社があります。
柴籬 神社
歯の神様とされ、境内には日本で唯一の「歯磨き面」があります。
見た目は怖いけど、歯に触れて一生健康な歯になれるようお祈りしてみてください。
なんで反正天皇が歯の神様とされたのか・・・その理由は、生まれながらにして綺麗な歯並びだったから・・・そんな伝説がありました。
8月8日の午後8時8分になるとロウソクで境内が照らされる、歯神社祭りが行われます。
大阪府立生野高等学校
松原なのに生野となっているのは、元々生野区にあった学校をそのまま持ってきたからです。
生野区とは昔、同じ学区内だった時期があった事。
松原市に高等学校が無かった事など、色々と重なって松原に設置される事になりました。
生野高校は結構偏差値が高め。(といっても69前後)
ですので国公立や難関私立への進学者が多めです。
部活動も盛んで、運動部も文化部も色々と成績を残しています。
両方充実したいなら、生野高校も良いかも。
まとめ:河内松原の近くには松の木が生い茂ってたみたい

河内松原駅の由来、松原はかつてあった宮廷の事を指してました。
実際、柴籬神社の境内には松の木が数本残ってます。
チビでも連れて行って、一生歯の健康に困らないようお願いすると良いでしょう。
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