撮り鉄の鉄道ノート

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河内永和駅は富田林より先にあの宗教法人と関わりがあった。名残が無いけど、どうした?

河内永和駅は富田林より先にあの宗教法人と関わりがあった。名残が無いけど、どうした?

引用:Google Map

河内永和駅はJRの"おおさか東線"との乗換駅ですが

奈良線が開通した時には設置されてませんでした。

開業したのは結構あとで、しかも臨時駅。

この駅の始まりはちょっと特別だったようです・・・

この記事の内容
  • 河内永和駅の歴史。ある宗教法人との関係性はここから
  • 河内永和駅の駅前広場は完成。乗り換えルートの改善は?
  • 河内永和駅からほど近い寺社は、どちらも歴史あるものだった

河内永和駅は、ある宗教法人のための臨時駅だった。最初の駅名は

河内永和駅は、ある宗教法人のための臨時駅だった。最初の駅名は

引用:Google Map/駅名標りんパパさん

河内永和駅近鉄奈良線の開業から22年後にできました。

しかも臨時駅で開業しました。

何があったのでしょう。

現、パーフェクト・リバティー教団(ひとのみち教団

1934年10月、ひとのみち教団は布施町の永和エリアに仮本殿を設置しました。

アクセスがちょいと悪いので、近鉄(当時は大軌)は臨時駅を設置。

人ノ道駅として開業しました。1936年8月1日のことでした。

ですが、その1年後に教団は不敬罪を問われて解散させられます。

1937年4月22日に人ノ道駅は営業休止になりました。

その後、宗教施設だった所は公共施設が建てられる事になりました。

だから永和に東大阪市の施設がいくつか集まっているのです。

↑これらが河内永和駅の近くにあります。

PL教団って、どんな宗教?

PL教団って、どんな宗教?

引用:Google Map

簡単に言うと神道系の新しい宗教。

元祖は御嶽教っていう明治にできた神道系の中の宗派。そっからさらに派生した一派のようです。

扶桑教という、また別の神道系の宗派に転向してから、独立しました。

教団は過去に弾圧された事を根に持っとるようですが、あんな第2次世界大戦に入る前のピリついた時期に、アマテラス信仰や教育勅語にゴチャゴチャ言うたら怒られるの当たり前でしょ。と言いたい。

だけど健全な宗教法人よ

ちなみに現在は教祖が不在。

2020年に3代目の教祖、御木貴日止みきたかひと氏が逝去し、後継について何も言わなかったため、ややこしい事になってるそうです。

今は貴日止氏の妻が実権を握ってますが、それはそれで求心力が得られないし。

だからといって子息に引き継がせるワケでもなし。

正直、どうしたいんですか?状態です。

参考:NEWSポストセブン

参考:週刊現代

永和駅として営業を再開する

1938年2月1日、普通の駅として営業を再開しました。

名称は「大軌永和駅」です。

永和というのは、駅南側にあるエリアの名称。

わざわざ会社名を付けたのは、他の地域にもある永和駅との区別のため。

※愛知県安西市にあるJR東海の駅。1929年に駅に昇格して開業

1941年3月15日、大軌永和→河内永和に改称しました。

ちなみに現在の"おおさか東線"は1939年に放出~八尾が開業しました。

なので、まだ河内永和駅は地上駅で、その上を貨物線が通ってました。

布施駅の二重立体構造化工事に伴う高架化

河内永和駅は1977年6月26日に高架駅となりました。

これは布施駅の大工事に伴うものです。

同じタイミングで河内小阪駅も高架駅に。

八戸ノ里駅は、数年前に府道2号線の干渉を解消した所でした。

小阪だけ地上駅は無理があるね

なんし、駅間距離が短いので。

河内永和あたりの駅間距離

引用:Google Map

ということで、一気に高架化されました。

若江岩田~東花園の高架化はだいぶ後です。

河内永和駅に駅前広場ができた

特に駅の南側、JRおおさか東線との連絡口はかなりキレイになりました。

駐車場だった所が歩行空間になり、芝生が植えられてます。

ただ、結局のところ乗り換えルートはイマイチで、近鉄→JRのルートは

3階ホーム→2階改札口→1階出入口→外→1階改札口→2階ホーム

奈良線の布施側はJRホームの直上にあるんだから、ぶち抜いたら早いんですけどね。

東大阪市議会では「これ何とかならんのけ?」と議論の中にチラっと出てましたが・・・

回答なしでした。

永和の由来

冠称の河内については、こちら→近鉄駅にある「河内○○駅」なんぼあるの?範囲広すぎん?

河内というのは大阪の旧国の1つで、北は枚方市。南は河内長野市までの山側の範囲を指します。

で、永和は全く新しい地名です。

荒川村

引用:Google Map

荒川村という所があり、その周りの長堂・三ノ瀬・横沼は独立しようとしてて荒川と言い合いにになってました。

明治になって堺県ができた時に

荒川、お前が引け

そして長堂・三ノ瀬・横沼が荒川から分かれて1つの村になりました。

その時に、末永く平和であるようにと「永和」と名付けられました。読みは「ながにご」

和は「なごむ」と読めるんで、この読み方を崩した言い方ですな。

1889年4月1日、永和村などが合併して布施村が発足した時に読みが「えいわ」となりました。

河内永和駅からほど近い寺社は、どちらも歴史あるものだった

河内永和駅からほど近い寺社は、どちらも歴史あるものだった

引用:Google Map

河内永和駅の近くには寺社が2つほど。

なかなか歴史あるものがありました。

あとスーパー銭湯があったので紹介しときます。

長栄寺

長栄寺

引用:Google Map

聖徳太子が支援してできた寺です。

戦後に敷地が縮小されたそうで、今よりはかなり広い地所を所有してました。

長栄寺と長堂の位置関係

引用:Google Map

布施駅のすぐ北にある長堂エリアは、この寺のお堂があった事が由来です。

長栄寺には聖徳太子が刻んだ十一面観世音菩薩像が安置されてます。

どうやら飛鳥寺とか四天王寺と同格くらいの寺だった・・・なんて話もあるくらい、由緒ある寺院だそうです。

敷地内には庭園があって、特に梅と桜がキレイ。

参考:河内西国霊場会

鴨高田神社

鴨高田神社

引用:Google Map

673年に造られた神社で、賀茂氏が祖神を祀ったとされてます。

祭神から、スサノオ系統だろうとのこと。他にも崇神天皇の系統もあるらしい。

一時期には石清水八幡宮支配下にあったそうで、境内には「八幡宮」と刻まれた石燈籠があります。

御朱印は対応してないそうです。

参考:神社巡遊録

なにわ健康ランド湯~トピア

なにわ健康ランド湯~トピア

引用:Google Map

24時間、年中無休のスーパー銭湯です。

天然温泉は使ってない、ただの銭湯・・・だけど、サウナが充実していてサウナー界隈ではわりと有名なんだとか。

  • 高温サウナ
  • 超高温サウナ
  • ソルト(女性のみ)
  • フィンランドロウリュ(女性のみ)
  • セルフロウリュ(男性のみ)
  • ウィスキング(男性のみ)

風呂だけでなくマッサージルームやリラックススペースは、男女が完全にフロアごとで分かれてます。

もちろん共用スペースもあり。

色々とアメニティが揃っているので、手ぶらでも行けます。

  • 入館:1,380円
  • 深夜時間帯:1,650円
  • 燃料費高騰によるプラス:120円

フロントにてICチップ付きのロッカーキーがもらえます。

チェックアウトする時に精算するルールです。

まとめ:河内永和駅は現PL教団の施設があった。今は公共施設だけど

河内永和駅は現PL教団の施設があった。今は公共施設だけど

引用:Google Map

河内永和駅は最初、PL教団の施設があったから臨時でできた駅でした。

ちょっとヘマをして日本政府に弾圧されてしまい、解散。その後に普通の常設駅になりました。

JRと近鉄の乗り換え需要がどんだけあるか分かりませんが、一応・・・一応ね、乗り換えルートの改善は議会でチラっと議論されてました。

住みやすさとしては、普通。

不便さを感じない程度の街並みだそうです。

近鉄奈良線は普通しか停まらんけど。

布施駅がそんなに遠くない所にあるので、自転車で布施まで行く人が多いかもしれませんね。

あえて普通に乗って混雑を回避する方法もあります。

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