
霞ヶ浦駅は臨時駅で始まり、常設駅になり、廃止になった事もある駅でした。
なんでこんなにも色々とあったのか・・・
関連性の高い、また別の駅もあって結構ワチャワチャしてます。
霞ヶ浦駅は臨時駅だった。その時にあったもう1つの駅との関係性

引用:国土地理院地図
霞ヶ浦駅の開業は1929年7月5日でした。
ただその駅は当時、臨時駅だったし
1943年に廃止となりました。
今の霞ヶ浦駅は羽津駅で、1950年に今の駅名に変わりました。
羽津駅と霞ヶ浦駅
四日市~桑名が開通した時、羽津駅が開業しました。(1929年1月30日)
駅の場所はハッキリしてないけど、阿倉川駅との間にある2本のコンクリートトンネルの近くにあったそうな。
- 羽津城山公園に駅を置ける構造ではない
- 阿倉川に近い方だと近すぎる
以上の事から、城山公園の北西方に駅を設置してたと考えられます。

ま、あくまでも推測ですけど。
霞ヶ浦駅は臨時駅として7月5日に設置されました。

場所はこの辺り。
こちらも理由はよく分かってないけど、海水浴場の利用のために作られたと思います。
今はもう砂浜がありませんが、1960年代までは砂浜が広がってました。
1931年に霞ヶ浦駅が常設駅となりましたが・・・1943年10月22日に廃止。
戦時中による節約と娯楽系の禁止が影響でしょう。
羽津駅を移転
霞ヶ浦駅を廃止したと同時に、羽津駅を今の霞ヶ浦駅の場所へ移転しました。
移転ポイントは、推定・旧羽津駅と旧霞ヶ浦駅の丁度真ん中あたりです。
この事からも、旧羽津駅の位置は城山公園の北西側にあったと考えられますね。
羽津(はづ)の由来は
羽津という駅名称は地名から。1889年に成立した羽津村から取ってます。
地元有力者の名前が含まれてない事から、羽津は人名由来でないと思いました。
- 全国的に、はず/はづ/はす。という地名はある
- 外れや先端、波立つ岬という地形由来とされている
- 羽津地区にある志氏神社が地形的にそんな感じ

このように、少し盛り上がってます。
ツールで見たら、5mほどの高低差が急にある感じです。
霞ヶ浦の由来
霞ヶ浦は茨城のものとさほど変わらんと思われる。
広大な浜辺があって、霞のようにぼんやりと広がっていた様子の事を霞浦と言います。
もう今は浜辺が無くなってますけどね。
霞ヶ浦駅の状況。今後の予定
霞ヶ浦駅は2面2線の地上駅で、駅舎と改札口は海側にしかありません。
山側ホームには構内踏切を超えるしか方法がない状態。
山側の駅外は多少のスペースはあるんですが・・・西出入口を設置する予定は無いらしい。



こんな状態。
参考:近鉄霞ヶ浦駅西口設置などで質疑、14議案を委員会に付託、四日市市議会
霞ヶ浦駅にあるちょっと珍しい神社。あとは公園

霞ヶ浦駅はそもそもが羽津地区の駅として設置されました。
で、羽津といえば羽津城跡ですけど・・・その跡地公園ってほぼ何もないし、阿倉川駅の時に紹介したので省略します。
羽津地区にある古い由緒ある神社がちょっと珍しい。
志氐 神社
垂仁天皇(11代)期、26年にはもうあったと言われてます。
神武天皇即位BC660年から記紀に基づいて計算した場合、BC4年にはあったと言う事です。
志氐神社に祀られている神様がちょっと特別で、
この神様は大祓詞に登場する4柱の1つで、祓う穢れを海の底で全て吸い込み、浄化する場所へ転送する役割を持っています。
そんな神社だから厄払いとかには最適です。
霞ゆめくじら公園
南北に広がる公園で、プール、サッカー、テニス、野球もできる所。
競輪場もありますね。
人工川を隔てた海側は四日市の工場地帯です。
夜に行けば、水面越しの工場写真が撮れます。
垂坂公園・羽津山緑地
山側にもある、ちょっと広めの公園。
公園といっても、ほぼ緑地公園なので軽い山登りしながら四季折々の花を楽しめる所です。
こっちは高台なので展望台があって、そっからの工場写真も良い感じに撮れるでしょう。
四日市花火大会の会場はかつて霞ヶ浦エリアだったのですが、千歳会場(JR四日市駅近く)に変更になったので、ここでの花火鑑賞はちょっと微妙かも?
まとめ:霞ヶ浦駅は砂浜が無くなったけど、8月は見どころあり

霞ヶ浦駅は名前からわかるように、かつては砂浜があった所でした。
最初は臨時駅で・・・戦争で消えて。羽津駅を霞ヶ浦駅に改称して今の状態に。
まぁまぁ色々とあった駅ですね。
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