撮り鉄の鉄道ノート

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上ノ太子駅のあたりは王陵の谷と呼ばれる場所だった。歴史マニア必見の地

上ノ太子駅のあたりは王陵の谷と呼ばれる場所だった。歴史マニア必見の地

引用:Google Map

上ノ太子駅南大阪線の大阪最後の駅。隣は二上山駅奈良県です。

その駅間距離はまぁまぁ長くて5.3キロ。

この長さは近鉄の中でも4番目に長い駅間距離です。

詳しい内容についてはこちら→近鉄の駅間距離4位!上ノ太子~二上山は偶然の産物?を読んでください。

この記事の内容
  • 上ノ太子駅の駅名は寺由来。太子はあの太子で間違いない
  • 上ノ太子駅の近くに何かできるかも。具体的な内容は
  • 上ノ太子駅エリアは「王陵の谷」と呼ばれている、歴史マニア必見か
<<駒ヶ谷

上ノ太子駅の歴史。開通した年に起こった事故は、ここだった

上ノ太子駅の歴史。開通した年に起こった事故は、ここだった

引用:Google Map/区間快速準急さん

上ノ太子駅は1929年3月29日、大阪鉄道が古市~橿原神宮前(当時は久米寺)を開通した時、同時に開業しました。

だいぶ山に近く、駅周辺はそんなに民家があるような所ではありません。

羽曳野市飛鳥という待ちは目の前だけど、ちょっとだけ。

ちょっと離れてはいますが、大阪府太子町の人の利用も見込んで作ったと思われます。

三重衝突事故

開通から2週間ほどで発生した、大事故です。

  1. 吉野行きの満員車両が上り勾配で停車
  2. 切り離して発進させようとした
  3. 後方が後退し、ブレーキをかけるが効かなかった
  4. 上ノ太子に居た後続列車に衝突
  5. 更に後方にいた車両も巻き込んでしまった

定員132名の所、400人以上を乗せてたり

切り離しの作業手順に問題があったり・・・と言われてます。

また勾配に対して車両スペックが足りてない事も原因の1つだったようです。

この日は朝から勾配を登りきれない車両が頻発してて、本線が大混雑してました。

なぜ太子町に直接線路を引かなかったのか

理由は2つ

  • 勾配がキツすぎる
  • ルートがイマイチ

南大阪線のルート

引用:国土地理院地図

太子町を貫いて二上山の南を超えるルートは結構勾配がキツいし、出た先は磐城エリア

當麻寺をスルーしてしまうルートになってしまいます。

當麻寺は国宝がいくつもあって、観光スポットとしては良い所。

>>当麻寺駅と當麻寺、なぜ表記が違うの?その理由は・・・・・

ようは費用対効果が低くなってしまう可能性があった。

だから、二上山の北側を通るルートにして、羽曳野市飛鳥に近い所に駅を置いたのでしょう。

駅名、上ノ太子はどのように決まった?

太子町の北にあるから上ノ太子・・・というのは、どうやら違うようで

太子町にある叡福寺の別名が由来です。

叡福寺の別名が「上の太子」

これは聖徳太子が建立した3つの寺の1つ

  • 大聖勝軍寺(八尾市):下の太子
  • 野中寺(羽曳野市):中の太子
  • 叡福寺(太子町):上の太子

特にこの3つの神社が直線に並んでいるワケではありません。

これらは河内三太子と言われてて、聖徳太子のゆかりがある寺です。

なぜ太子町が「上の太子」なのかは、この太子町の歴史にヒントがあると思います。

太子町は王陵の谷

太子町は王陵の谷

引用:Google Map

これだけの陵があります。

ちなみに32代崇峻天皇陵は桜井市にあります。

シンプルに、陵に近い方を上としているのでしょう。

また、太子町あたりは「近つ飛鳥」とも言われてて、飛鳥京の時代からすればこっちが「上」だったのです。

で、上ノ太子というのは叡福寺の事で、河内三太子の1つ。通称「上の太子」と言われてて、これを採用した・・・と言う事です。

太子町ってのは聖徳太子にちなんで付けられました。

参考:太子町・町のプロフィール

南側にも駅舎ができた。今後の動きは

2004年に駅の南側にも駅舎ができました。

橋上でもないし地下道もないんで、構内踏切はそのまま。

駅前広場も作られました。

北側の駅舎はかなり古く、外観はかなりレトロな雰囲気です。

さて、羽曳野市によると企業誘致を進めているようで

そのためには水道の供給量を確保しないといけません。

そこで上ノ太子駅近くの土地を水道事業に活用してはどうか、という議論が挙がってました。

遊ばしてる用地

引用:Google Map

多分、この辺・・・ソーラーパネルがボコボコ置いてある。

何か商業施設ができる、とかではなくて公共施設ができるかもしれんという話でした。

上ノ太子駅からはちょっと歩くけど太子町は歴史マニア必見

上ノ太子駅からはちょっと歩くけど太子町は歴史マニア必見

引用:Google Map

ルート設定の都合で太子町からはちょっと離れてますが

太子町は日本の歴史でもわりと古め、飛鳥時代に関係するものがあります。

叡福寺

叡福寺

引用:Google Map

河内三太子の1つ。創建は724年です。

聖徳太子が自分で墓をここにおいてほしいと言い、叡福寺には円墳が設置されました。

課金すれば宝蔵に入れて貴重な彫刻、書画、古文書などが見れます。

小野妹子の墓

小野妹子の墓

引用:Google Map

科長神社(太子町)の隣にあります。

教科書の序盤に出てくる人物ですが、具体的に何をしたのか分からなくて遣隋使と言う事だけは覚えているかも。

小野妹子聖徳太子が持たせた「日出處天子致書日沒處天子無恙」という手紙を持って、隋に行きました。

現代語にすると、「東の天皇から西の皇帝へ。お元気ですか」

あっちの皇帝はこれに怒ったとかいうエピソードがありますが、本当かどうかは分からん。

その手紙の返事を小野妹子が持って帰ろうとしましたが、紛失したか破り捨てたのか・・・それも不明です。

なんて書いていたのかは、もう誰にも分かりませんね。

そして手ぶらで帰った小野は責任として宮廷から追放されましたが、推古天皇によって免除されました。

参考:小野妹子

功績としては、隋との外交構築に貢献した事。

実は華道を伝えた人でもあります。

あの有名な池坊華道は、小野妹子が最初です。

参考:小野妹子はどんな人?

上宮太子高等学校

上宮太子高等学校

引用:Google Map

私立で偏差値は真ん中くらい。

ですが、国公立・難関私立を目指すコースが用意されていて、難関大学への進学実績が結構あります。

上宮太子の特徴は、IT機器を使えるようになったり、リアルで使える英語教育ができたり

今の時代に沿った人材を教育するプログラムが準備されてます。

硬式野球部とバレーボール部が、まぁまぁ強いです。

上ノ太子駅からはスクールバスで行けます。

ちなみに智辯学園奈良カレッジ行きのバスも駅前から。南大阪線沿線の人は、上ノ太子駅まで出てバスに乗るのが早いです。

壷井八幡宮

壷井八幡宮

引用:Google Map

こっちは源氏関係の神社です。

近くには河内源氏の墓もあります。

鎌倉幕府の初代、頼朝のルーツがここ壺井です。

八幡宮には

などなどがあります。

参考:壷井八幡宮

飛鳥ワイン

飛鳥ワイン

引用:Google Map

駅の北側、羽曳野飛鳥にはワイナリーが2件あります。

うち1件は作っているだけですので、行くなら「飛鳥ワイン」へ。

直売所があるんで、そこで河内ワインが買えます。

辛口から甘口まで。重さはミディアムとライトがあるみたい。

好みのワインが見つかれば良いですな。

まとめ:上ノ太子は歴史マニア必見

上ノ太子は歴史マニア必見

引用:Google Map

駅からはちょっち距離がありますが、聖徳太子ゆかりの寺や

河内源氏ゆかりの地がここ、上ノ太子エリアにあります。

河内ワインも駅近くで買えるんで、ぷらっと観光に行ってみてはどないでっしゃろ。

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